【折々の花だより】

”季節の花だより”
花たちとの出会いを楽しんでます

大根干し(ダイコンツリー)

2018-12-28 | デジカメ紀行
19日、京都府八幡市八幡の円福寺で、「大根干し」が行われました。



「大根干し」は毎年この時期に行われている恒例行事で、僧侶たちがたく鉢で地元の農家などを回って受け取った大根が使われます。
修行僧が境内にある高さ15メートルのいちょうの木に、1500本の大根を滑車とロープを使ってつるします。
大根を1か月ほど天日で干したあと、1年から3年漬け込んでたくあんにし、修行僧の精進料理などに、また、春と秋に行われる「万人講」の精進料理で振る舞われるそうです。

円福寺は天明3年(1783)、臨済宗最初の専門道場、江湖道場として建立されました。


重要文化財で日本最古と伝えられる達磨大師坐像が坐禅堂の聖僧として安置されているので「達磨堂」とも呼ばれています。
天明3年(1783)白隠四天王のひとり斯経によって臨済宗の修行道場として建立されました。普段は寺の中に入れません。
4月20日と10月20日の大祭「萬人講」の日だけは特別に境内が解放され、鎌倉時代作とされる日本最古の「木造達磨大師像」(重要文化財)が特別公開されます。

ダイコンツリー










三門方面



三門


扁額


門の前、左右に建てられた碑
  


塀の外から

鐘楼

  
日本最古の達磨尊像 特別御開帳

萬人講の由来 
修行中の雲水が毎月決まった家々(日供講)をまわり お米やご志納などのお布施を頂く形式の托鉢を「日供合米」と言い、日供講の方をお寺に招待して法要を営み、お斎(精進料理)を召し上がって頂く仏事を「講中斎」と言います。

「講中斎」の日に日供講以外の方々にも広く門戸を開くことで、この伝統的な仏事がより地域に根ざした民間行事になるよう目指されたそうです。
当日は、参道や山門の前には懐かしい露店や手作り市も並ぶそうです。

萬人講の日に特別に開帳します。寺宝の円福寺達磨大師坐像(重要文化財)は、円福寺に奉安されるまでに何度も各地で災火をくぐり抜けてきた因縁から、「七転八起」「厄災消除」のシンボルとして古くから多くの信仰を集めています。

説明文はニュース、公式サイトを参考にしました。

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十輪寺 塩竈清めの祭

2018-12-21 | デジカメ紀行
京都府京都市西京区大原野小塩町にある十輪寺(じゅうりんじ)。
天台宗の寺院。山号は小塩山(おしおざん)と言います。

本尊は延命地蔵菩薩。京都洛西観音霊場第三番札所。

創建は嘉祥3年(850)。文徳天皇の后、染殿皇后(藤原明子)の世継ぎ誕生を祈願したところ、後の清和天皇である皇子が誕生。このことから文徳天皇の勅願所となり、その後藤原北家(花山院家)の菩提寺となりました。度重なる戦乱で堂宇はすべて焼失し、往時のものは残っていません。

平安初期の歌人で六歌仙のひとり在原業平が、晩年この寺に隠棲したと伝えられ「業平寺(なりひらでら)」とも言われています。

中庭に植えられている樹齢約200年の枝垂れ桜(なりひら桜)でも知られる。

6月の大阪北部地震では本堂の屋根が損傷、台風21号では山内の樹木と建物に被害も出ました。

11月23日、 塩竈(しおがま)清めの祭が催されました。





本堂


本堂の屋根は鳳輦という珍しいもので寛延3年(1750)に造られました。
鳳輦は、「屋根に鳳凰の飾りのある天子の車」を意味し、天皇の正式な乗り物。


本堂前の境内地には、立派な大樟樹や楓の木があります。こちらの大樟樹は、ご本尊の地蔵菩薩の神通力により一夜にして大樹になったという言い伝えが。
ご本尊は樟でつくられているため、この木はご本尊の分身ともいわれています。

 

 


鐘楼

寛文6年(1666)建立。
不迷鐘(まよわずのかね)と呼ばれています。
何か決められないことがあればこの金を撞くと決心がつくのだとか。

本堂から高廊下、業平御殿へと続きます。



本堂廊下から


本堂内で







高廊下


高廊下から見た茶室





茶室は老朽化のため立ち入り禁止になっています。
屏風が置かれていました。


三方普感の庭



本堂を再興した寛延3年(1750)に造られた庭園。
高廊下、茶室、業平御殿の3カ所から場所を変え視点を変えて、
見る人にいろいろな思いを感じさせる「心の庭」です。
高廊下、業平御殿からは立って眺め、坐って眺めるなど、違った角度から眺めることで
リラックスした気持ちで見ていただきたいと思います、と。
藤原の貴族たちもこのようにして心を癒やしたと伝えられています。
日常から離れて、自分を取り戻す「癒やしの庭」でもあるのです。

本堂を出て裏山へまわります。










在原業平のお墓とされる「宝篋印塔」


在原業平が築き、塩焼きの風情を楽しんだと云わる塩竈(しおがま)跡があります。

在原業平が塩焼きの風流を楽しんだといわれる塩竈。毎年11月には業平が塩焼紫の煙に思いを寄せて二條后におくったという古事にちなみ、塩釜清めの祭りが開催されます。




新しい注連縄が張られ、竈の中には炊きつけの木や落ち葉が準備されています。






塩竈のお清め、火入れがされ、私たち参列者もお清めに参加(塩竈に花びらをまきます)ができます。


三味線によく似た三弦という楽器をつかった三弦法曲声明が営まれます。

塩竃は近年再現されたものですが、塩竃のある窪地は業平が塩焼きに使っていた場所だという記録が文献に残っているそうです。
ここで塩焼きをすると煙が一筋昇り、大原野神社に参拝する二条后(藤原高子、業平のかつての恋人でした)にも見えたのではないか、といわれているそうです。
自分がここにいること、今も心は変わりません、ということを后に伝えるために塩焼きをしたともいわれているようで、二人にあやかって恋愛成就祈願に訪れる方も多いんだとか。


塩竈の火が消され、塩竈の上に供えられていたお菓子が配られます。

いただきました。


そうだ 京都、行こう。

東海旅客鉄道が1993年から実施のキャンペーンです。
2014年春のキャンペーンの舞台になったそうです。


十輪寺の愛猫、アイドル猫「序音(じょね)」ちゃん

NHK BSプレミアム「岩合光昭の世界ネコ歩き」に出演。   
それを記念して「十輪寺 猫御朱印」がいただけるそうです。
また、雑誌「猫びより」11月号の表紙になったそうです。
残念ながらじょねちゃんには会えず・・・。遠くからも会いに来られるそうです。


境内で。



  





  
御朱印


説明文は公式サイト、「そうだ 京都、行こう」副住職さんの話を参考にしました。

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天台宗 宝橋山 高蔵寺

2018-12-11 | デジカメ紀行
天台宗 宝橋山 高蔵寺

丹波篠山の自然豊かな地にたたずんでいます。

開創は孝徳天皇大化2(646)年、播磨国法華山一乗寺を草創して、この地を訪れた法道仙人が、黒頭峯(くろづほう)の嶺にかかる金銀珠玉の雲の架け橋を見て宝橋山(ほうきょうざん)と号したことが始まりといわれています。黒頭峯の堂之尾(どのお)と呼ばれた中腹には、七堂伽藍二十一ヵ坊の堂宇を誇りましたが、天正年中、明智軍の兵火に遭い、消失。
その時、氷上柚子村(ゆずむら)の人が雑兵にまぎれて守り奉ったのが、現存する本尊十一面観世音菩薩(稽文会・稽首勲両仏師の作)と伝えられています。大和(奈良)長谷寺の観音像と同木同作と伝承され、普段は秘仏として宮殿(くうでん)の中にお祀りされていますが、33年に一度御開扉されます。

本堂は、聖徳2(1714)年、本尊脇侍の龍王権現と雨法童子は、永禄10(1568)年の作。
平成7(1995)年に新・丹波七福神霊場として弁財天が奉安されました。平成13(2001)年に檀信徒の
先祖供養、回向道場として阿弥陀堂が建立。
花の寺としても知られており、平成25(2013)年より篠山市内、文保寺、大国寺と共に「丹波篠山もみじ三山」として秋には参拝者が多く訪れているそうです。

33年ぶり開扉期間の11月16日、訪れました。




楼門


明和7(1771)年作。


扁額


金剛力士像

右側は那羅延、左側は密迹。篠山市文化顕彰会指定の文化財。


左手に見えてくるのは・・・。





阿弥陀堂




歴代住職の念願であった阿弥陀堂が平成13(2001)年、篤信檀信徒および全檀信徒により、建立。
五間四面の木造寄せ棟造りで、阪神・淡路大震災規模の地震にも耐えうる構造となっているそうです。
檀信徒、参拝者の回向道場として広く解放され、新・丹波七福神の弁財天が奉安されています。
お堂正面には第二百五十五世天台座主渡邊恵進猊下に揮毫による
「光明殿」と書かれた扁額が掛けられているそうです。

新・丹波七福神とは。
平成7(1995)年、春に丹波地方の天台宗の寺院七ヵ寺(妙高山神池寺、安泰山大国寺、慈眼山済納寺、五大山白毫寺、照月山桂谷寺、竹林山常勝寺、宝橋山高蔵寺)によって設立されたのが新・丹波七福神です。
七福神とは、恵比寿・大黒天・毘沙門天・布袋尊・福禄寿・寿老人・弁財天の七つの仏様のことをいい、高蔵寺は七福神の中の紅一点、女性の仏様である弁財天をお祀りしています。
財宝をもたらす仏様、また愛橋・芸能の仏様として知られています。


右手に見えてくるのは・・・。



やすらぎ観音


平成3(1991)年、高蔵寺開創1354年・比叡山開創1200年を記念し、住職の発願により、篤信檀徒の寄進によって建立された(地上5メートル・身丈2メートル30)聖観音菩薩の石像。
このやすらぎ観音に手を合わせ、人々の安らかな幸と世界平和を願います。
やすらぎ観音前の庭園には憩いの庵・孝友庵や枝垂桜などがあり、
訪れる人々のやすらぎの聖地とされています。


右に見えるのが孝友庵です。参道を進みます。






観音名水



梵鐘




戦前にあった梵鐘は享保年間改鋳の鐘でしたが第二次世界大戦の折、供出。
現在の鐘は昭和28(1953)年鋳造のものです。
鐘の周りには「具一切功徳 慈眼視衆生 福聚海無量 是故応頂礼」と
観音経の四句が刻まれているそうです。


小宮堂



本堂






本尊十一面観世音菩薩像

ホームページより

境内で見られた花など。






  





  


説明文は公式サイトを参考にしました。


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甲賀三大仏

2018-12-05 | デジカメ紀行
丈六仏に抱かれ、過去・現在・未来、三世の安隠を祈る。

「甲賀三大佛を巡る」

=蓬莱庭園の大池寺(だいちじ) 釈迦如来坐像=
=いちいの観音 櫟野寺(らくやじ) 薬師如来坐像=
=摩耶夫人の十楽寺(じゅうらくじ) 阿弥陀如来坐像=


11月8日に訪れました。

いちいの観音 櫟野寺(らくやじ)

JR油日駅の北東約3kmにあります。この地方における天台文化の中心寺院で、一般に「いちいの観音様」という名で知られています。奈良時代末期、最澄が霊夢を感じて櫟(イチイ)の生木に十一面観音像を彫り、それを本尊として開山したといいます。

本尊は日本最大の十一面観音坐仏。この平安時代の丈六薬師仏は、寄木造りの大仏像で当時の作である二重円光の光背も残る本格的なものです。高さ3.3m、一木造で左手に華瓶、右手は膝の上で念珠を持ち、頭上には十一面化仏を戴いています。

その後延暦21年、征夷大将軍を拝命の坂上田村麻呂公は夷賊を討伐の為、杣ヶ谷を櫟野まで登り、櫟野観音の御力により兇賊を退治することが出来ました。
そのため将軍は当寺を祈願寺と定め、大同元年七堂伽藍を建立、永く当山守護の為に自ら等身の毘沙門天の尊像を彫刻、国技の相撲を奉納。これが現在まで継続している大会式(10月18日)の奉納相撲です。

三門へ向かいます。



参道の両サイドに。




三門


境内へ入ります。



本殿の前にある土俵


手水舎


鐘楼


鐘楼の内側(柱)に貼られていました。


消防信號(滋賀県)
近火(部内) ○○○○○ 連点
区域内(組内)○○○  三点
応援区域   ○○   二点
鎮  火   ○ ○○  一点と二点
演習招集   ○ ○○○ 一点と三点
風水害其他
??異常   ○○○○  四点
      
鐘楼の前にある霊木「櫟木」




元の木は残念ながら切られてしまいましたが、飛んできた種から、新たに芽が出てきています。
切られた木はテーブルなどに利用されたそうです。

境内におかれた顔はめパネル


甲賀三大佛「薬師如来坐像」

(写真はホームページより)
東方瑠璃光浄土の教主で医薬を司る仏であり、医王仏とも呼ばれています。
手には薬つぼを持ち、現世(この世)において心身の病を除き安楽を与えてくださる仏さまです。

汚水管マンホールの蓋

土山町総合計画「はばたけみどりとかおりのまち・土山」 のテーマに基づき、町づくりを進めています。 その一環として町民に親しまれている「町の木(杉)、町の鳥(きじ) 、町の花(茶)」を
デザイン化したものです。(淡海環境プラザの説明より)
「つちやま」「おすい」の文字。

11月15日。

摩耶夫人の十楽寺(じゅうらくじ)

元来、天台宗であったものが信長の兵火に会い消失しました。
寛文年間(1661~)巡化僧広誉可厭大和尚、本堂、庫裏、茶所を完成し,清浄山二尊院十楽寺と名称し念仏道場と定め、浄土宗総本山知恩院の直轄末寺となり今日に及んでいます。

本尊は日本最大級の丈六阿弥陀如来座像。
他、十一面千手観音、救世観音坐像、法隆寺と当寺がその形を所持している懐からお釈迦様が誕生されたお姿の麻耶夫人立像など天台のおりの様相を含めた仏像が安置されています。




鐘楼






本堂



  


甲賀三大佛「阿弥陀如来坐像」

(写真はホームページより)
両方極楽浄土の教主で無量寿仏・無量光仏とも呼ばれています。
限りのない命、光慈悲により、たとえ悪行をした者でも漏れなく救って下さる仏さまです。


大池寺に向かう途中で立ち寄った、道の駅あいの土山で。

顔はめパネル


  


蓬莱庭園の大池寺(だいちじ)




近江鉄道水口駅の北西約1.2km、臨済宗妙心寺派の寺院です。
寺伝では、奈良時代末期にこの地を訪れた行基が、現在も寺の周囲にある4つの大きな溜め池「心字(しんじ)の池」を造り、そのほぼ中央に本堂を立てたのが寺の始まりとされています。
「心字の池」はその後、一千年以上にわたって灌漑(かんがい)用水として周囲の水田を潤してきたといいます。

駐車場の前に。

水口 八幡神社



今回は正面だけで失礼して、先へ進みます。




左折した断崖の上方が八幡神社です。





見えてきました。



大池寺庭園




禅寺である大池寺書院の蓬莱(ほうらい)庭園。
サツキの大刈込み鑑賞式枯山水(かんしょうしきかれさんすい)庭園で、
江戸時代に水口城を築城した小堀遠州(こぼりえんしゅう)が作庭したと伝えられています。 




鑑賞式枯山水(かんしょうしきかれさんすい)庭園




心池庭


山門

山門をくぐると・・・。

境内には本堂のほか、書院・茶室・庫裏などが立っています。本堂の床は四半畳敷きの瓦で珍しく、
行基(ぎょうき)の作と伝えられる釈迦如来像が安置されています。

鐘堂



左から、稲荷堂、弁天堂、佛足石堂


山門をくぐり境内へ。

庫裡の前に。

水琴窟


庫裡、書院、茶室、仏殿とまわります。

書院の正面にある2段大刈込みは、海の大波小波を表し、真っ白い砂の上に宝船を浮かべた姿を表現しています。その中に、様々な刈込みを用いて七福神が乗っているように象徴しています。
書院に続く茶室前から見える蓬莱山の石組み。




お茶をいただきました。

廊下から・・・。






甲賀三大佛「釈迦如来坐像」

(写真はホームページより)
仏教の開祖でもあり、大恩教主、発遣教主とも呼ばれています。
人々をこの苦しみの世界から苦しみの無い世界へ導くために教えを説かれ、
仏の世界にお送り下さる仏さまです。


境内で
  






頂いた散華です。

「御自身のお守りとして、
また、
先祖さまやご縁のある方への供養としてお祀り下さい」と。

   
汚水管マンホールの蓋

東海道五十三次の五十番目の宿場町であり 、二万五千石の城下町として栄えた 享保二十年(約二百七十年前)から伝わる 水口曳山祭(水口祭)で巡航する「曳山の車輪」を デザイン化したものです。
周囲には、町の花「さつき」を図案化して配置しています。 (淡海環境プラザの説明より)
「みなくち」「おすい」の文字。


説明文は公式サイト、甲賀市観光協会サイトを参考にしました。

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