戒光寺
京都市東山区泉涌寺山内町にある真言宗泉涌寺派準別格本山の寺院。
後掘河天皇のご勅願所として鎌倉時代中期に創建された戒光寺は応仁の乱で伽藍を消失。
全高10mの木像「丈六釈迦如来像」(通称 丈六さん)は奇跡的にその大火から免れました。
何度かの移築後、後水尾天皇のお身代わりになられたことから皇室の菩提所である泉涌寺の塔頭となりました。
7月18日訪れました。
門をくぐります。
風鈴が涼しげです。
弁財天
泉山七福神の第二番、泉山融通弁財天は、金銭の融通をして下さる弁天様で、学芸・商売はもとより、融通を利かせてあらゆるお願いを聞いて下さいます。尊像は伝教大師作と伝えられています。
本殿の前で。
本殿へ入ります。
TVの「ミント」で放送されたそうです。
説明を聞き・・・。
丈六釈迦如来像
(公式サイトより)
(公式サイトより)
鎌倉時代の仏師 運慶・湛慶親子の合作。宋風をおびた極彩色の木像・寄木造で重要文化財に指定されています。
身の丈、約5.4メートル、台座から光背部を入れると約10メートル。
付け爪のような長い爪とふっくらした手。
首の辺りから何か流れている様に見えるのは、血の跡だといわれています。これは、後水尾天皇が東宮であった頃、即位争いに巻き込まれ暗殺者に寝首を掻かれた時に、この釈迦如来が身代わりにたたれ、ついた血の跡だといわれています。
この事から、身代わりのお釈迦様と呼ばれるようになり、「悪しき事のお身代わりになってくださる」又、「首から上の病気、のどの病気を治してくださる」と、崇められ、大きな仏様という意味で「丈六さん」と呼ばれ親しまれています。
本堂内陣に入ります。
不動明王像
(公式サイトより)
(公式サイトより)
木像。造られた時代・作者共に不明ですが、鎌倉時代より前のものではないかと言われています。
不動明王の像は岩座を踏み締めるのが普通ですが、この像は足の裏を見ることが出来ます。
戒光寺を後にして、泉涌寺参道を上がって行きます。
観音寺、参道へ。
真言宗泉涌寺派。
平安の昔、弘法大師空海上人が唐の国から帰国ほどなくの頃、東寺で真言密教の秘法を修法されていたとき、東山の山中に光明がさし瑞雲棚引いているのを見られました。
不思議に思われてその方へ行かれると、白髪の一老翁が姿を現われ、
「この山に一寸八分の観世音がましますが、これは天照大神の御作で、衆生済度のためにこの地に来現されたのである。ここに一宇を構えて観世音をまつり、末世の衆生を利益し救済されよ。」
と語りかけられ、一寸八分の十一面観世音菩薩像と、一夥の宝印を大師に与えられました。
大師はお告げのままに一堂を建立、一尺八寸の十一面観世音菩薩像を刻まれ、授かった一寸八分の像を体内仏として納め、奉安されたのがはじまりです。
弘法大師御作の観世音菩薩像は秘仏として祀られています。
鳥居橋
観音寺と泉涌寺の間の谷を流れる今熊野川を越えるのが鳥居橋です。
橋を渡って参道を進みます。
子まもり大師
大切な子供達を護り育んで下さるのが、子護弘法大師です。
弘法大師は観音寺を開創された方です。子供達の心身健康・学業成就・諸芸上達・交通安全など。
階段を上がって行きます。
境内へやってきました。
医聖堂
本堂東側の山上に高くそびえ立つ平安様式の多宝塔です。
医と宗教がともに手をたずさえて、人類がともに明るく健康に暮らせるような社会が築かれますよう、との住職の願いを込めて建立。
医界に貢献された多くの方々が祭祀されています。
本堂
正徳2年(1712)に、宗恕祖元律師によって建立されました。
西国霊場の巡拝者は、まずここに参拝して御納経(御朱印)を戴きます。
本尊は、弘法大師御作と伝えられる十一面観世音菩薩(身丈・一尺八寸)。
体内仏として熊野権現より授かった、天照大神作の十一面観世音菩薩(身丈・一寸八分)が祀られています。
本堂でのお参りはこちらから。
注意書きがありました。
注意書きがありました。
三重石塔
創建時(平安様式)
創建時(平安様式)
五智の井
弘法大師が当山を開かれるときに錫杖をもって岩根をうがたれて湧き出した水が五智水です。
その五智水が井戸水として湧き出しています。
大師堂
開創された弘法大師をお祀りしているお堂です。
ぼけ封じ観音
大師堂の前に立たれる観音さまです。
私たちをとりまく心や身体のぼけを取り除いて下さる観音さまです。
お身代わりの石仏に願い事を込めて奉納されています。
鎮守社として二社あります。
稲荷社
稲荷明神をお祀りしています。大師堂の南側に位置し、稲荷明神は、京都伏見に鎮座され、日本全国の各地に奉祀される穀稲食貨の神です。
熊野権現社
平安の昔、弘法大師空海上人が唐の国から帰国したほどなくの頃、山中の光明にひかれてこの地に来、そこで熊野権現と会いました。
大師に一寸八分の観世音を授けられ、また永くこの地の守護神になると約されたと伝えられています。
鐘楼
説明文は公式サイトを参考にしました。