【折々の花だより】

”季節の花だより”
花たちとの出会いを楽しんでます

京都府立植物園

2019-12-29 | 花だより
京都府立植物園
京都市左京区、賀茂川と北山通りに挟まれた植物園。 日本で最初の公立植物園として、1924年(大正13年)1月1日に開園しました。
12月5日に訪れた時の写真です。

ハボタン

原種はヨーロッパ西南部の海岸地帯に自生。耐寒性の2年草の葉を観賞する園芸植物。
アブラナ科。ワイルドガーデンで。






イチゴノキ





ヨーロッパを原産とする樹高5m程度までの低木。実が苺に似ることから名付けられ、
初冬にアセビのような花が咲きます。ツツジ科。


  


サルビア レウカンタ

北山ワイルドガーデンで。






水琴窟


フウ(楓)


  
マンサク科の落葉高木。高さ20mほど。あじさい園で。


園内風景






  





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紅葉2019

2019-12-25 | 花だより
2019年度、紅葉風景集めてみました。

鍬山神社 11月18日







円成寺 11月25日







正法寺 11月27日







熊川街道 12月9日





京都植物園 12月5日









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ロームイルミネーション2019

2019-12-22 | デジカメ紀行
2019年11月22日(金)から12月25日(水)までの約1ヵ月間にわたり、京都の大手半導体メーカー・ローム本社(京都市右京区)周辺で行われる、大規模なイルミネーションイベント「ロームイルミネーション2019」。市内最大級のイルミネーションイベントだそうです。
約86万球の電球により冬の京都を暖かく照らし出します。

12月5日訪れました。

五条通りと佐井通りの交差点にある2本のヤマモモの木が光で彩られています。









そこを抜けた佐井通りの歩道沿いは、20本のメタセコイヤの木の枝にイルミネーションが張り巡らされています。



ローム本社南側


ローム本社南隣にある名倉公園もライトアップされます。








名倉公園の横にある芝生広場。LED球の色がだんだん変わっていきます。








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円成寺

2019-12-20 | デジカメ紀行
奈良市忍辱山町。奈良市街と柳生の里のほぼ中間に立地する柳生街道随一の名刹。


円成寺縁起創建については諸説あります。
当山に伝わる「和州忍辱山円成寺縁起」(江戸時代)によると、天平勝宝8年(756)聖武上皇・孝謙天皇の勅願で、鑑真和上の弟子、唐僧虚滝和尚の開山であるとされていますが、命禅上人が、万寿3年(1026)、この地に十一面観音像を安置したのが始まりのようです。

天永3年(1112)には、「小田原聖」と呼ばれた経源が阿弥陀堂を建て、阿弥陀如来像を安置し、仁平3年(1153)、広隆寺別当、東寺長者、高野山管長、東大寺別当を歴任した京都御室仁和寺の寛遍上人が忍辱山に登り、真言宗の一派忍辱山流を始め、基礎が築かれました。

平安時代から鎌倉時代にかけて多くの堂宇や尊像が造顕されてきましたが、文正元年(1466)、応仁の兵火により、堂宇の大半を失いますが、当山子院知恩院院主・栄弘阿闍梨を中心に、復興造営が開始され、栄弘が没した文明19年(1487)には、14の堂宇が復興されました。
江戸時代には、130石でしたが、応仁の兵火復興の過程で請来された「高麗版大蔵経」(現、増上寺蔵)献上の恩賞として105石が加増、寺領235石、山内23寺をもつ一大霊場となりました。
幕末の動乱と維新の神仏分離以降は、寺領の返上と社会風潮の一変で衰退の一路をたどり、明治10年(1877)には、本堂、楼門、護摩堂、観音堂、鎮守三社を残すのみとなりました。
明治15年(1882)、盛雅和尚の晋山以降、楼門、本堂の大修理と本坊、脇門の移建が行われ、県道の整備もあり、ようやく残った伽藍の保持がなされ、次の霊瑞和尚、先代賢住和尚の時代に主要堂宇のほとんどが改修、多宝塔も再建、浄土庭園などの境内地も整備され、今日の姿が整いました。




柳生街道ルート369



こちらから下りて行きます。



目のまえに見えてきたのが名勝庭園。



池の向こうに楼門が見えています。

池の周りを巡り進んで行くと・・・。


東側にある脇門。



門の方から見ました。



平安時代末期に寛遍上人のころに造成されたと見られています。平安から鎌倉時代にかけて貴族住宅に流行した寝殿造系庭園に類似し、寺院としては阿弥陀堂の前面に広がる浄土式庭園として、奥州平泉(岩手県)の毛越寺庭園とともに貴重な遺構です。
苑池中央と西には中島があり、かつて中央の島には橋が架かっていました。
明治以降、池と伽藍地の間に県道が走り、その景観を著しく損なっていましたが、昭和36年(1961)県道を庭園の南に移し、昭和51年に庭園の復元改修を行いました。


楼門

扁額

重要文化財、室町時代。
文正元年(1466)に応仁の兵火により焼失し、応仁2年(1468)に再建されました。下層出入口の上に正面、背面とも花肘木(はなひじき)を入れ、正面は蓮唐草浮彫の中央蓮華上の月輪(がちりん)にキリク(梵字で阿弥陀如来を表す)を刻み、背面は牡丹唐草浮彫の中央、牡丹花上に宝珠が刻まれています。

十三重石塔

重要美術品。平安時代後期庭園西北にある松香石(黒燿石の一種)と見られる十三重の石塔です。塔身には薬師・釈迦・阿弥陀・弥勒の四仏の種子が彫られています。


階段を上がると、受付です。



本堂(阿弥陀堂)

重要文化財、室町時代。
応仁の兵火後、平安後期に建てられた本堂と同じ姿に再建された堂宇です。堂内には本尊阿弥陀如来坐像(重文・平安後期)、その四方に四天王立像(重文・鎌倉)が、左右庇下の御堂、経蔵、局には開山当初の本尊と伝わる十一面観音立像(平安中~後期)や寺宝が安置されています。
内陣(本尊厨子・阿弥陀如来来迎図)、重要文化財。
本堂内陣母屋四本柱には、本尊阿弥陀如来に従うように観音菩薩、勢至菩薩をはじめ、様々な楽器を演奏し舞い踊る諸菩薩が極彩色で描かれています。阿弥陀二十五菩薩来迎の構成を意識したもので、本尊阿弥陀如来と一体となった空間構成をつくることを考慮にいれて制作されたものだと思われます。


写真はホームページより。










本堂から見た楼門。



石仏

本堂の西側にあります。阿弥陀仏・天文19年(1550) 地蔵菩薩(右)・永禄9年(1566) 地蔵菩薩(左)・天正年間(1573~92)境内には多くの石造仏や碑などがあります。在銘のものも多く、この石仏もそのひとつです。


護摩堂

江戸時代・平成改修。享保15年(1730)再建の堂宇が老朽化したため、平成6年に改修されました。不動明王立像、旧食堂本尊の僧形文殊菩薩坐像、宗祖弘法大師坐像を安置しています。毎月28日には不動明王護摩供養が営まれています。




鎮守社 春日堂・白山堂



鎌倉時代。
本堂東の石垣の上に立つ、同形、同寸の二つの社殿。安貞2年(1228)、春日社造営の折、当時の春日社神主藤原時定卿が旧社殿を拝領し、円成寺の鎮守社としました。全国で最も古い春日造の社殿です。当山の鎮守である春日大明神、白山大権現がそれぞれ祀られています。大正5年(1916)の解体修理の際に、春日社から発見された、永正15年(1518)から慶応3年(1867)までの6枚(表裏合わせて8枚)の修理の棟札が残され、社殿と共に国宝に指定されています。


宇賀神本殿

重要文化財、鎌倉時代。
白山堂・春日堂の東隣の覆屋内に建っています。春日造社殿の向拝を唐破風とした奈良県内最古級の社殿です。農耕神あるいは蛇神・龍神ともされる宇賀神は仏教では弁才天と習合し、書道の神としても信仰されています。


鎮守拝殿

奈良市指定文化財、江戸時代。
延宝3年(1675)建立。桁行四間、梁行三間(東側二間)の入母屋造こけら葺。


鐘楼



江戸時代
寛文7年(1667)の再建。桁行梁行ともに9尺の入母屋造瓦葺。梵鐘は近年寄進をうけたもの。


多宝塔

後白河法皇が寄進したとされます。応仁の兵火で焼失、再建された塔も大正9年、老朽化に伴い鎌倉へ移譲され、現在の塔は平成2年(1990)に再建されたものです。塔内には大日如来坐像(国宝・運慶作、平成に模刻)が安置されています。

運慶作大日如来(国宝)は「相應殿(そうおうでん)」にお祀りされています。
密教の根本仏で、智拳印を結んだ金剛界の大日如来です。藤原和様から鎌倉新様に移る過渡期に当たる運慶青年期の快心の作であり、自筆の墨書銘をもつ最初期の作として、日本彫刻史上画期的な意義を持つ尊像だそうです。








  

  


説明文は公式サイトを参考にしました。

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天理イチョウ

2019-12-11 | 花だより
奈良県天理市川原城町天理市役所から天理大学付近、約100本のイチョウの木が600メートルにわたって続いています。
イチョウは天理市の市木にもなっています。

11月23日訪れました。









歩道橋の上から







  


歩道にはめられています。


雨水管マンホール蓋

「おやさとふ志ん」の文字。「雨水」の文字の周りに、梅の様な模様の天理教の紋が描かれています。


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鍬山神社

2019-12-08 | デジカメ紀行
鍬山神社は丹波の国を造った神を祀る神社。
和銅二年(709)、創祀1300年を迎える古社です。

11月17日訪れました。

石造鳥居

昭和11年造営。後方に見えるのは面降山(天岡山)。

湖だった丹波の国に神々が降臨され、鍬や鋤を使って開削し人々が住める肥沃な耕地を造ったそうです。その時に使った鍬が山のようにうず高く積みあがったことから、鍬山という名が付いたといわれています。
ふるさと亀岡を開拓した先人の偉業を神話として伝えているものです。




百太夫神社




見えてきました。





参道



絵馬掛堂



鳥居


扁額



手洗の池


鳥居をくぐり、階段を上がって行きます。




境内図






拝殿


本殿は二棟あり、向かって左に鍬山宮、右に八幡宮が並んでいます。

一間社流造で、千鳥破風、正面に一間の唐破風造の拝所を。屋根は柿葺。
両宮とも社殿は京都府登録文化財に登録されています。






この二神は、仲が良くないそうで、一度は別の場所に移されたのだそうです。
江戸時代に現在の場所に社殿を再建した時、いさかいが起こらないようにするため、間に池が造ってあります。

鍬山宮

祭神は大己貴命(おおなむちのみこと)、大国主命と同じで、出雲神。
創建以来祀られる主神とされています。神紋は大国主命に因み兎。





隣の八幡宮へ。




八幡宮

祭神は誉田別尊(ほんだわけのみこと)、応神天皇と同じで、八幡神。
永万元年(1165年)以降祀られる客神とされています。神紋は鳩。




                                                                                                         
社殿の周囲をまわれるように、ぐるりと通路がめぐらされています。





本殿のお参りを終え、心字池(しんじいけ)へ。池を回遊できる散策路が設けられています。



安産石

安産石は、天岡山トンネルを開通させた時に拾った貫通石で、この石に触って、お祈りすると、
無事に出産できると伝えられています。

愛宕神社(左)、天満宮(右)








天満宮には牛がいます。


さらに池に沿って進みます。

弁財天社



この辺りは・・・。












本殿の左奥に行くと。




ハトとウサギの着ぐるみを着て、注意を!。


マンホール

亀岡市の市章の形に亀が2匹組み合わされています。「亀岡市」と「汚水」の文字。


説明文は、公式サイト、Wikipediaを参考にしました。

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