京都府立植物園からの帰り、藤袴の群落が見られるとのことで、洛西ニュータウンに寄りました。
洛西ニュータウン(京都市西京区)は、京都市が昭和44年に計画し実施した、京都で初のニュータウンです。
面積は約260haで、多くの自然を残し、緑豊かな住み良い環境を備えた街です。
街中を流れる小畑川沿いで藤袴が咲いています。
藤袴はキク科の多年草で、万葉の昔から日本人に親しまれ、万葉集に詠まれた秋の七草の一つです。淡い紫紅色の小さな花を付けるのが特徴です。
かつては日本各地の河原などでよく見られましたが、水質汚染などの影響から現在ではその数を減らし、環境省が定めるレッドリストでは「準絶滅危惧種」に指定されています。
2007年、KBS京都は「守ろう!藤袴プロジェクト」を立ち上げました。
この活動を通じて、京都の文化や自然環境を守ることの大切さを感じてほしいと思います、と。
1998年、京都市西京区大原野の古池の堤防で発見された藤袴の野生種。
この藤袴は、「乙訓の自然を守る会」の藤井 肇氏によって受け継がれ、大原野神社の境内と長岡京市・光明寺近くの畑で、約200株の原種が大切に守られていました。
2008年度は3,000株600鉢を、2009年度も、約500鉢を育て、京のまちに飾りました。
2010年3月にプロジェクトは終了しましたが、さまざまな地域で保全活動が生まれ、市内各地で藤袴が見られるようになるとともに、保全活動を通じて地域の交流も深まっているそうです。
「洛西ニュータウン創生推進委員会」の小畑川活用検討チームが、自然環境を豊かにして多くの住民に川に親しんでもらおうと企画。
区役所洛西支所から野生種を譲り受け、5月に挿し芽作業。1カ月後、約15センチに育った100株を洛西大橋近くの3カ所(計10平方メートル)に植えられたそうです。9月下旬に開花しました。
「藤袴」は、『源氏物語』五十四帖の巻名のひとつ。第30帖。玉鬘十帖の第9帖。
巻名は夕霧が詠んだ和歌「同じ野の露にやつるる藤袴あはれはかけよかことばかりも」にちなんでいます。
また、乾燥させた藤袴は香料としても用いられ、往時の女性達は藤袴を香袋に入れ、十二単にしのばせていたようです。
藤袴の香を詠んだ代表的な歌に・・・。(紀貫之・古今和歌集より)
「やどりせし 人のかたみか 藤袴 わすられがたき 香ににほいつつ」
(我が家に泊まっていった人の残した形見か、藤袴よ。忘れがたい香にしきりに匂って…)
渡りをする蝶「アサギマダラ」が飛来しています。
南の海から飛来する、「渡りの蝶」アサギマダラは、藤袴の蜜を好んで吸います。蜜には、アサギマダラの繁殖に欠かすことのできない物質が含まれているのです。
気温20~25度を好むアサギマダラは、涼しくなると高原から里に舞い降りてきます。
しかし温暖化が進むと、藤袴が開花する初秋に里に降りる事ができず、藤袴の花の盛りにアサギマダラはその蜜を吸えなくなる日が来るかも知れません。
藤袴とアサギマダラは、正常な地球環境のバロメーターになっています。
秋になると、栄養補給をしながら、春とは逆に南方へと旅立ちます。
1、500 km以上も移動するそうです。
アサギマダラの成虫は長年のマーキング調査で、秋に日本本土から南西諸島・台湾への渡り個体が多く発見され、または少数は初夏から夏にその逆のコースで北上している個体が発見されています。日本本土の太平洋沿岸の暖地や中四国・九州では幼虫越冬するので、春から初夏に本州で観察される個体の多くは本土で羽化した個体と推測されているそうです。
このあたりの川べりで見かけました。
ムラサキシキブ
洛西ニュータウン(京都市西京区)は、京都市が昭和44年に計画し実施した、京都で初のニュータウンです。
面積は約260haで、多くの自然を残し、緑豊かな住み良い環境を備えた街です。
街中を流れる小畑川沿いで藤袴が咲いています。
藤袴はキク科の多年草で、万葉の昔から日本人に親しまれ、万葉集に詠まれた秋の七草の一つです。淡い紫紅色の小さな花を付けるのが特徴です。
かつては日本各地の河原などでよく見られましたが、水質汚染などの影響から現在ではその数を減らし、環境省が定めるレッドリストでは「準絶滅危惧種」に指定されています。
2007年、KBS京都は「守ろう!藤袴プロジェクト」を立ち上げました。
この活動を通じて、京都の文化や自然環境を守ることの大切さを感じてほしいと思います、と。
1998年、京都市西京区大原野の古池の堤防で発見された藤袴の野生種。
この藤袴は、「乙訓の自然を守る会」の藤井 肇氏によって受け継がれ、大原野神社の境内と長岡京市・光明寺近くの畑で、約200株の原種が大切に守られていました。
2008年度は3,000株600鉢を、2009年度も、約500鉢を育て、京のまちに飾りました。
2010年3月にプロジェクトは終了しましたが、さまざまな地域で保全活動が生まれ、市内各地で藤袴が見られるようになるとともに、保全活動を通じて地域の交流も深まっているそうです。
「洛西ニュータウン創生推進委員会」の小畑川活用検討チームが、自然環境を豊かにして多くの住民に川に親しんでもらおうと企画。
区役所洛西支所から野生種を譲り受け、5月に挿し芽作業。1カ月後、約15センチに育った100株を洛西大橋近くの3カ所(計10平方メートル)に植えられたそうです。9月下旬に開花しました。
「藤袴」は、『源氏物語』五十四帖の巻名のひとつ。第30帖。玉鬘十帖の第9帖。
巻名は夕霧が詠んだ和歌「同じ野の露にやつるる藤袴あはれはかけよかことばかりも」にちなんでいます。
また、乾燥させた藤袴は香料としても用いられ、往時の女性達は藤袴を香袋に入れ、十二単にしのばせていたようです。
藤袴の香を詠んだ代表的な歌に・・・。(紀貫之・古今和歌集より)
「やどりせし 人のかたみか 藤袴 わすられがたき 香ににほいつつ」
(我が家に泊まっていった人の残した形見か、藤袴よ。忘れがたい香にしきりに匂って…)
渡りをする蝶「アサギマダラ」が飛来しています。
南の海から飛来する、「渡りの蝶」アサギマダラは、藤袴の蜜を好んで吸います。蜜には、アサギマダラの繁殖に欠かすことのできない物質が含まれているのです。
気温20~25度を好むアサギマダラは、涼しくなると高原から里に舞い降りてきます。
しかし温暖化が進むと、藤袴が開花する初秋に里に降りる事ができず、藤袴の花の盛りにアサギマダラはその蜜を吸えなくなる日が来るかも知れません。
藤袴とアサギマダラは、正常な地球環境のバロメーターになっています。
秋になると、栄養補給をしながら、春とは逆に南方へと旅立ちます。
1、500 km以上も移動するそうです。
アサギマダラの成虫は長年のマーキング調査で、秋に日本本土から南西諸島・台湾への渡り個体が多く発見され、または少数は初夏から夏にその逆のコースで北上している個体が発見されています。日本本土の太平洋沿岸の暖地や中四国・九州では幼虫越冬するので、春から初夏に本州で観察される個体の多くは本土で羽化した個体と推測されているそうです。
このあたりの川べりで見かけました。
ムラサキシキブ
KBS京都「守ろう!藤袴プロジェクト」&京都市ホームページを参考にしました。