淡嶋神社は和歌山県和歌山市加太にある神社。
神功皇后が三韓出兵からお帰りの際、瀬戸の海上で激しい嵐に出会いました。沈みそうになる船の中で神に祈りを捧げると、お告げがありました。
「船の苫(とま)を海に投げ、その流れのままに船を進めよ。」
その通りに船を進めると、友ヶ島にたどり着く事が出来ました。友ヶ島には、少彦名命と大己貴命が祭られていて、皇后さまは助けてくれたお礼の気持ちを込めて、持ち帰ってきた宝物をお供えになりました。
何年か経ち、神功皇后の孫にあたられる仁徳天皇が友ヶ島に狩りに来られ、いきさつをお聞きになり、島では何かとご不自由であろうと、お社を対岸の加太に移され、社殿をお建てになったのが、加太淡嶋神社の起こりとされています。
3月11日訪れました。
=境内案内図=
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御祭神は 少彦名命(すくなひこなのみこと)医薬の神様。
特に、女性の病気回復や安産・子授けなどに霊験あらたかといわれています。
大己貴命(おほなむじのみこと)
息長足姫命(おきながたらしひめのみこと)
(神功皇后)
=鳥居=
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淡嶋神社の境内には海産物を扱うお店が3軒並んでいます。
二の鳥居をくぐります。
=11 宝物殿=
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地下1階、地上2階建て、徳川家より奉納された雛人形や宝物を展示・保管しています。
猫・・・
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=10 浄火=
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お祓いを受けた人形を燃やす所です。
=本殿と顔出しパネル=
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=2 授預所(じゅよしょ)=
授預所に隣接してあるのが
=16 紀文の帆柱(きぶんのほばしら)=
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3b/d0/1d4b490b911531205de8a7f7e555acf2.jpg)
紀国屋文左衛門のみかん船の帆柱。
願い事を唱えながら、この柱の穴をくぐり抜けると、願い事が叶うと言われています。
=手水舎=
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=3 姿社(すがたしゃ)、7雛倉(ひなくら)=
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奥にある白い社には、以前は徳川家より奉納された雛人形が入っていましたが
現在は古い雛人形のみを納めています。(紀州徳川家10代藩主治宝建立)
=4 御神水(ごしんすい)=
=5 紀文稲荷社(きぶんいなりしゃ)=
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淡島神社の近くで生まれ巨万の富を築いた紀国屋文左衛門が、
江戸に移り住む前、淡島神社に奉納したお稲荷さん。
=6 遷使殿(せんしでん)=
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ご祭神の少彦命名の使い神である蛙をまつっています。
本殿でお願いした事をしっかりと伝えて下さい、と使い神に託します。
=8 御神木(ごしんぼく)=
芳樟(ほうしょう)の木。
=9 針塚(はりづか)=
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針祭(針供養)2月8日午前11時より
祭神少彦名命は、裁縫の道を初めて伝えた神様で一年の間に納められた針を、本殿で祓いを受けた後、針塚に納め、塩をかけ土に返すことで、針の労をねぎらい、今後の上達を祈る祭りです。
=12 末社(まっしゃ)=
ご祭神と八百万の神をまつり、安産・子請授・婦人病等、女性の願いが叶うところです。
=13 塩壷(しおつぼ)=
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通称、お歯黒石。この水を歯につけると歯痛が消えたところから
身体の痛い部分にこの水をつけると治るとされています。
=14 大国主社(おおくにぬししゃ)=
ご祭神の少彦命名とともに国つくりを行った大己貴命(大国主命)をお祀りしています。
=15 神輿倉(みこしぐら)=
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江戸時代に出開帳に使われた神輿。
淡島神社には、長い時代を静かに生き抜いてきた見事な雛人形が、数多く残っています。この多くは、紀州徳川家から奉納されたものです。
姫君誕生のおりに、その初節句には必ず一対の雛人形が奉納されました。
古文書には、姫君たちの名前である寛姫様・菱姫様・芳姫様献上の記述も見られます。
雛祭
親は、わが子の健やかな成長への願いをお雛様に込めます。
男びな女びなの始まりは、淡島神社のご祭神である少彦名命と神功皇后の男女一対のご神像であるとされています。
雛祭りが三月三日になったのは、友ヶ島から対岸の加太へのご遷宮が、仁徳天皇五年三月三日であったことからだそうです。
雛祭りの語源も、スクナヒコナ祭が後に簡略化されて、ヒナまつりと言われるようになったとされています。
雛流しの神事(雛流し)3月3日正午より
それぞれの思いや願いと共に、関西はもとより日本全国から境内に女性たちが集まってきます。
人形に願い事を書き、人形とともに舟に乗せます。
穏やかな春の海に紙吹雪がまかれ、神の国へと続く道ができます。
本殿でお祓いを受けた人形を満載した白木の舟が、先導する舟に引かれ、沖へ沖へと向かっていきます。
ひとりひとりの思いが神の国へと流れていくそうです。
マンホール
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紀州てまりを描いた無彩色盤の蓋。てまりの中に市章が組み込まれています。
説明文は公式サイトを参考にしました。