【折々の花だより】

”季節の花だより”
花たちとの出会いを楽しんでます

アーモンドの花

2022-03-28 | 花だより
アーモンド

3月16日撮影


=「アーモンド」と「桜」の違い=
アーモンドは桜と同じバラ科のサクラ属の落葉高木で、アメリカカリフォルニア州では2月上旬~3月中旬ごろに開花します。
アーモンドの開花時期は3月上旬ごろ。
桜(ソメイヨシノ)の開花時期は3月下旬ごろ。
品種によっても変わりますが、一般的にはアーモンドの方が桜よりも早く開花時期を迎えます。

アーモンドは品種によって白色の花びらとピンク色の花びらに分かれています。
ピンク色のアーモンドは4月上旬ごろに開花します。
アーモンドと桜の大きな違いは 花柄(かへい)。
花柄とは、枝上における花の配列状態を支える茎のこと。
アーモンドはこの花柄が短く、枝に沿うように花を咲かせています。一方、桜はさくらんぼのようにふんわりとした長い花柄で、1つの花芽から複数の花を咲かせます。

花が終わり受粉が行われると5月から6月にかけて実が膨らみます。

8月頃に果肉が割れて中の殻が見えてくると、収穫時期。
木からはずして、残っている果肉を取り、約1週間陰干しすると、来年に種として使えます。
殻を割って出てくるのが普段私たちが食べてるアーモンドです。
収穫したアーモンドには微量のシアン配糖体を含む可能性があり、安全のため、【観賞用】としてお楽しみくださいとのことです。

説明文は東洋ナッツのサイトから。












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京都府立植物園

2022-03-23 | 花だより
京都府立植物園
京都市街北部の平坦地に位置し、東は比叡山、東山連峰を望み、西に加茂の清流、北は北山の峰々を背景とした景勝の地にあります。
大正6年(1917)に着工し、同13年(1924)1月1日に日本で最初の公立植物園、「大典記念京都植物園」として開園しました。
園内には観覧温室のほか、正門花壇、はす池、ばら園など20ほどのエリアがあり、面積240,000㎡ (24ヘクタール) の広大な敷地にテーマ別に約12000種類、約12万本の植物が植えられています。
日本の四季の花が見られる花壇や洋風庭園、熱帯植物を集めた温室があり、北半分は半木(なからぎ)の森と呼ばれる自然に近い森を利用した生態植物園などがあります。

(公式サイトを参考にしました。)

3月15日訪れました。


ミモザ


毎年3月8日は「国際女性デー(International Women’s Day)」。
この女性の社会参画を願う日として国連が定めた「国際女性デー」は、イタリアでは「ミモザの日」とも呼ばれています。
この時期はイタリアでミモザの花が咲き始める時期だから「ミモザの日」と呼ばれているそうです。
また黄色は西洋では春を象徴する色とされていて、黄色い花は寒く厳しい冬が終わり、暖かな春が来たことを告げる「幸せの花」と言われています。
このミモザの日には、男性が普段お世話になっている女性に日頃の感謝や尊敬の気持ちを込めて、ミモザをプレゼントします。
ミモザの葉はシルバーリーフと呼ばれ、すこし銀色のような色をしていて、正式名称を、銀葉(ぎんよう)アカシアといいます。

日本でミモザの花言葉は「優雅・友情」などがあります。
「優雅」という花言葉は、小さく丸い花がたくさん咲いている様子から来ているそうです。

(花キューピット公式サイトを参考にしました)






温室へ

こんにゃくの花










  

  

  

  

  

  





  

  







園内を散策します。

桜~梅林へ













  
  







  

  



  
  



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淡嶋神社

2022-03-19 | デジカメ紀行
淡嶋神社は和歌山県和歌山市加太にある神社。

神功皇后が三韓出兵からお帰りの際、瀬戸の海上で激しい嵐に出会いました。沈みそうになる船の中で神に祈りを捧げると、お告げがありました。
「船の苫(とま)を海に投げ、その流れのままに船を進めよ。」
その通りに船を進めると、友ヶ島にたどり着く事が出来ました。友ヶ島には、少彦名命と大己貴命が祭られていて、皇后さまは助けてくれたお礼の気持ちを込めて、持ち帰ってきた宝物をお供えになりました。
何年か経ち、神功皇后の孫にあたられる仁徳天皇が友ヶ島に狩りに来られ、いきさつをお聞きになり、島では何かとご不自由であろうと、お社を対岸の加太に移され、社殿をお建てになったのが、加太淡嶋神社の起こりとされています。

3月11日訪れました。

=境内案内図=



御祭神は 少彦名命(すくなひこなのみこと)医薬の神様。
特に、女性の病気回復や安産・子授けなどに霊験あらたかといわれています。
大己貴命(おほなむじのみこと)
息長足姫命(おきながたらしひめのみこと)
(神功皇后)

=鳥居=




淡嶋神社の境内には海産物を扱うお店が3軒並んでいます。

二の鳥居をくぐります。








=11 宝物殿=

地下1階、地上2階建て、徳川家より奉納された雛人形や宝物を展示・保管しています。



猫・・・
  



=10 浄火=

お祓いを受けた人形を燃やす所です。


=本殿と顔出しパネル=



=1 本殿=









=2 授預所(じゅよしょ)=
授預所に隣接してあるのが
=16 紀文の帆柱(きぶんのほばしら)=
  
紀国屋文左衛門のみかん船の帆柱。
願い事を唱えながら、この柱の穴をくぐり抜けると、願い事が叶うと言われています。



=手水舎=



=3 姿社(すがたしゃ)、7雛倉(ひなくら)=



奥にある白い社には、以前は徳川家より奉納された雛人形が入っていましたが
現在は古い雛人形のみを納めています。(紀州徳川家10代藩主治宝建立)



=4 御神水(ごしんすい)=

=5 紀文稲荷社(きぶんいなりしゃ)=




  
淡島神社の近くで生まれ巨万の富を築いた紀国屋文左衛門が、
江戸に移り住む前、淡島神社に奉納したお稲荷さん。



=6 遷使殿(せんしでん)=

ご祭神の少彦命名の使い神である蛙をまつっています。
本殿でお願いした事をしっかりと伝えて下さい、と使い神に託します。



=8 御神木(ごしんぼく)=
芳樟(ほうしょう)の木。


=9 針塚(はりづか)=

針祭(針供養)2月8日午前11時より
祭神少彦名命は、裁縫の道を初めて伝えた神様で一年の間に納められた針を、本殿で祓いを受けた後、針塚に納め、塩をかけ土に返すことで、針の労をねぎらい、今後の上達を祈る祭りです。


=12 末社(まっしゃ)=
ご祭神と八百万の神をまつり、安産・子請授・婦人病等、女性の願いが叶うところです。


=13 塩壷(しおつぼ)=

通称、お歯黒石。この水を歯につけると歯痛が消えたところから
身体の痛い部分にこの水をつけると治るとされています。



=14 大国主社(おおくにぬししゃ)=
ご祭神の少彦命名とともに国つくりを行った大己貴命(大国主命)をお祀りしています。


=15 神輿倉(みこしぐら)=

江戸時代に出開帳に使われた神輿。



淡島神社には、長い時代を静かに生き抜いてきた見事な雛人形が、数多く残っています。この多くは、紀州徳川家から奉納されたものです。
姫君誕生のおりに、その初節句には必ず一対の雛人形が奉納されました。
古文書には、姫君たちの名前である寛姫様・菱姫様・芳姫様献上の記述も見られます。

雛祭
親は、わが子の健やかな成長への願いをお雛様に込めます。
男びな女びなの始まりは、淡島神社のご祭神である少彦名命と神功皇后の男女一対のご神像であるとされています。
雛祭りが三月三日になったのは、友ヶ島から対岸の加太へのご遷宮が、仁徳天皇五年三月三日であったことからだそうです。
雛祭りの語源も、スクナヒコナ祭が後に簡略化されて、ヒナまつりと言われるようになったとされています。

雛流しの神事(雛流し)3月3日正午より
それぞれの思いや願いと共に、関西はもとより日本全国から境内に女性たちが集まってきます。
人形に願い事を書き、人形とともに舟に乗せます。
穏やかな春の海に紙吹雪がまかれ、神の国へと続く道ができます。
本殿でお祓いを受けた人形を満載した白木の舟が、先導する舟に引かれ、沖へ沖へと向かっていきます。
ひとりひとりの思いが神の国へと流れていくそうです。


色々な種類の「人形」が境内のいたるところに置かれています。











境内で
  




マンホール

紀州てまりを描いた無彩色盤の蓋。てまりの中に市章が組み込まれています。








説明文は公式サイトを参考にしました。





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北野天満宮梅まつり

2022-03-12 | 花だより
本年より北野天満宮の御祭神菅原道真公ゆかりの梅苑を、京都洛中の名庭『雪月花の三庭苑』のひとつ、北野天満宮『花の庭』として新たに再興いたします。

江戸時代に歌人・連歌師・俳諧の祖として讃えられた松永貞徳(1571〜1653)により作庭されたと伝わる「雪月花の三庭苑」は、江戸時代、寺町二条の妙満寺(現在は左京区岩倉)の「雪の庭」、清水寺の「月の庭」、そして北野天満宮の「花の庭」それぞれが成就院(成就坊)という塔頭に造られた庭として、その名を馳せました。
本年、明治以降は現存していなかった「花の庭」を再興させ、令和再興『雪月花の三庭苑』として、妙満寺・清水寺・北野天満宮の三社寺が力を合わせ、京都の新たな魅力を発信して参ります。

北野天満宮は、菅原道真公を御祭神としておまつりする全国約1万2000社の天満宮、天神社の総本社です。
天神信仰の発祥の地であり、親しみをこめて「北野の天神さん」、「北野さん」と呼ばれています。
公式サイトより。


2月25日訪れました。

<一の鳥居>

今出川通りに面して建つ高さ11.4メートルの大鳥居。木曽の花崗岩の一本柱で、大正10年10月に建立されました。扁額は高さ2.7メートル・幅2.4メートル、重量は563キログラム。平成26年に修復がなされ、閑院宮載仁親王御筆の「天満宮」の文字が美しくよみがえりました。


<楼門>

扁額「文道大祖 風月本主」
平安時代中期の学者・慶滋 保胤(よししげ の やすたね)、大江匡衡(おおえのまさひら)が菅原道真公を讃えた言葉です。


<花手水>






<なで牛>





<本殿>

北野天満宮の創建は、平安時代中頃の天暦元年(947)に、西ノ京に住んでいた多治比文子や近江国(滋賀県)比良宮の神主神良種、北野朝日寺の僧最珍らが当所に神殿を建て、菅原道真公をおまつりしたのが始まりとされます。





宇多上皇の巡幸にお供された菅原道真公が山々の紅葉の美しさに感銘を受け、手向山八幡宮に紅葉の枝を奉じて祈願された史実から、紅葉もまた道真公と深いご縁のある樹木といえます。
桃山時代、豊臣秀吉公は洛中洛外の境界、水防のための土塁「御土居」を築きました。その一部が残る境内の西の一帯は長らく自然林で、自生のものと後に植林されたものを含め、現在、約350本の紅葉を有する名所「もみじ苑」となっています。紙屋川にかかる朱塗りの太鼓橋「鶯橋」や、茶室の梅交軒に設けた舞台からの眺めは絶景です。






<鶯橋>












見上げると・・・




梅苑「花の庭」には、苑内を一望できる特設舞台や枯山水の庭、また夜間ライトアップでは、約700燈ものろうそくの灯りが梅花を照らし出し、幻想的な世界を演出いたします。




























特設舞台からの眺め。






説明文は公式サイトを参考にしました。







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馬見丘陵公園

2022-03-09 | 花だより
昭和40年代後半より丘陵西部では真美ヶ丘や西大和ニュータウンなどの大規模宅地開発が始まりましたが、丘陵東部に位置する馬見丘陵公園は、これらの開発から自然や古墳群を保全するため、「歴史と自然に囲まれた憩いの空間」を目指して、昭和59年8月に都市公園(広域公園)として都市計画決定し、同年度より公園事業に着手しました。
平成24年6月、馬見丘陵公園は中央エリア及び南エリアの一部を開園し、全面開園しました。
馬見丘陵は、香芝市・広陵町・河合町など2市3町に跨る標高70m程度の東西約3km、南北約7kmに及ぶ低い丘陵地で、この丘陵は馬見古墳群のエリアと一致し、古墳の集積地となっています。

3月6日梅見に、出かけました。













  

















  


  








春に向けてチューリップが植えられています。



ハクセキレイ
  






北今市1号墳







北今市2号墳






河津桜が咲き始めていました。
















  
  



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雛祭り

2022-03-02 | デジカメ紀行
雛祭り(ひなまつり)
女の子の健やかな成長と健康を願う「桃の節句」の行事。
ひな人形(「男雛」と「女雛」を中心とする人形)に桜や橘、桃の花など木々の飾り、雛あられや菱餅などを供え、白酒やちらし寿司などの飲食を楽しみます。



雛祭りは人形(ひとがた)の風習、「天児(あまがつ)、這子(ほうこ)」などによる祓いの信仰、「ひいな遊び」などの行事が融合したものと考えられています。
古代中国には上巳の日(3月最初の巳の日)に川で身を清める風習があり、これが日本に伝わって草や藁など作った人形(ひとがた)に穢れや災いを移して川や海に流す風習と融合したとされています。

貴族の間では幼児を災いから守る「天児と這子」が作られ、後の「立雛」の起源になり、上流階級の子女の間には「ひいな遊び」という遊びがありました。
京都では平安貴族の子女の雅びな「遊びごと」として行われ、その当時においても、小さな御所風の御殿「屋形」をしつらえ飾ったものと考えられています。初めは儀式ではなく遊びであり、雛祭りが「ひなあそび」とも呼ばれるのはそのためです。

平安時代には川へ紙で作った人形を流す「流し雛」があり、「上巳の節句(穢れ払い)」として雛人形は「災厄よけ」の「守り雛」として祀られる様になりました。当時の乳幼児死亡率は現代とは比較にならないほど高く、赤ん坊のうちに亡くなることは珍しくはなく、親としては必死の思いでこの成長を見守り、枕元には形代を置き、厄除けとしました。そして、1年の災いを、春のひな流しで祓う。これが、ひな祭りの起源だそうです。


【最上段】親王(殿・姫)

段飾りの最上段には、内裏びなの男雛(お殿さま)と、女雛(お姫さま)。
向って左にお殿さま、右にお姫さまを飾ります。後ろには金屏風を立て、両脇に(雪洞)ぼんぼりと、二人の間には桃の花をさした瓶子(へいし)をのせた三方(さんぼう)飾りを置きます。
京風は男雛と女雛の並びが逆になります。
男雛の冠は、纓(えい)をまっすぐ立ててください。笏(しゃく)は右手に持つものです。太刀(たち)は左の腰の袖の下にいれます。女雛の桧扇(ひおうぎ)は、開いて手に。


【二段目】三人官女

手に、まん中の官女が「三方」(京風は「島台」)、向かって右の官女が「長柄銚子(ながえのちょうし)」、左の官女には「加銚子(くわえのちょうし)」。
間には高坏(たかつき)を置いて、桜もちや草もちなど季節の和菓子をお供えします。


【三段目】五人囃子

五人囃子(ごにんばやし)です。これは雅楽(ががく)の楽人のときもあります。
向かって左から「太鼓(たいこ)」、「大皮鼓(おおかわつづみ)」、「小鼓(こつづみ)」、「笛」、「扇」を持つ「謡い手」が右端です。


【四段目】随身・【五段目】仕丁

四段目は随身(ずいじん)を飾ります。
随身は向かって右が左大臣でおじいさん、左が右大臣で若者がきます。
冠をかぶせ、巻纓(けんえい)、耳飾りのような(おいかけ)をつけます。
左手には弓をもたせて袖にはさみ、矢は羽根を下に右手にもたせます。背負い矢は、向かって右の肩から先が見えるようにします。
中央に菱餅(ひしもち)と掛盤膳(かけばんぜん)を並べます。

五段目には、仕丁(してい)(衛士(えじ))を飾ります。
沓台(くつだい)をもっている仕丁がまん中、向かって左に台笠、右に立傘をもたせます。
桜、橘(たちばな)は、桜を向かって右(左近の桜)、橘を左(右近の橘)におきます。


【六段目・七段目】

六段目には、嫁入道具揃(よめいりどうぐぞろい)。
箪笥(たんす)・長持(ながもち)・鏡台・針箱・表刺袋(うわざしぶくろ)・火鉢(ひばち)・茶道具。
七段目には、御輿入れ道具(おこしいれどうぐ)。
御駕籠(おかご)・重箱(じゅうばこ)・牛車(ぎっしゃ)。


絵手紙



お雛様色々。























(フイルムケースで作りました)


絵手紙教室で用意してくださった人形たち。
どれも、優しい「目」をしています。描くのがむつかしく・・・。

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