【折々の花だより】

”季節の花だより”
花たちとの出会いを楽しんでます

めんたいパークびわ湖

2023-08-23 | デジカメ紀行





明太子の老舗かねふくが運営する明太子専門テーマパークです。







背比べをしたり・・・


ハッピを着て記念撮影も出来ます。



氷川きよしさんがお出迎え。



<製造工程が見られる工場見学>



ガラス越しに明太子の製造過程を見学できます。明太子の歴史や豆知識も。




工場直売、できたて明太子ショップや明太子を使った軽食が楽しめるフードコーナーもあります。


<タラピヨキッズパーク>



2階へはこちらから。




<琵琶湖が目前の琵琶湖サンセットテラス>






(夜景写真は公式サイトより)



<エレベーター>



<おにぎり>



説明文は公式サイトを参考にしました。


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美濃和紙の里会館

2023-08-16 | デジカメ紀行
美濃和紙は、福井県の越前和紙、高知県の土佐和紙と並び「日本三大和紙」のひとつに数えられています。

1300年の歴史を持つ美濃和紙。
長良川・板取川の美しい水に育まれて受け継いできた、柔らかく、繊細でありながら強靭で、美しい美濃手すき和紙。
主な原料は、用途に合わせて楮(こうぞ)・三椏(みつまた)・雁皮(がんぴ)が使われます。
伝統の技術は長い歴史の中で進化を遂げ、多くの用途に対応した多様な和紙が生産されています。
美濃手すき和紙は、日本の伝統的な生活スタイルや、現代の生活の様々なシーンで使用され、また、世界の文化財修復の現場でも活躍しています。

美濃和紙がつくられる岐阜県は提灯や灯篭、和傘の一大産地としても有名。
提灯や灯篭は雨風にさらされるため、用いられる紙には灯火を守れるだけの粘り強さと、灯りを通せるような薄いものがよく、また、和傘の紙は雨風に強いことはもちろん、すぼめたり広げたりされるため丈夫さが求められます。
そうした機能を兼ね備えた和紙として、美濃和紙は古くから提灯や灯篭、和傘に用いられ、地場の産業を支えてきました。

美濃の手すき和紙は「美濃和紙」として昭和60年(1985年)に国の伝統的工芸品に指定されています。


<美濃和紙の里会館>
1300年以上の歴史と伝統を誇る美濃和紙を見て、触れて、体験できる施設です。美濃和紙の歴史や原料、美濃和紙ができるまでの全てを知ることができ、紙すき体験も行っています。
美濃和紙の歴史や技術、現代における和紙の展開と未来の可能性を紹介する常設展示室のほか、紙をテーマとしたユニークな企画展も行っています。

8月3日訪れました。





<第1、第2展示室>
和紙の歴史や紙すきの技術、全国の和紙の産地を紹介し、又多彩な形態をとって生まれ変わる和紙、その奥の深さと幅広さ、未来への可能性を紹介しています。


(写真はホームページより)


工程
「原料」
美濃和紙の原料には、楮、三椏、雁皮などがあります。
楮(こうぞ)・・・障子紙、便箋、封筒
三椏(みつまた)・・・お札など
雁皮(がんぴ)・・・あぶらとり紙など

「剥皮(はくひ)」
楮の木の皮をむいて白い皮にします。

「さらし」
原料を水に浸す事によって、水に溶けやすい不純物「あく」を除き原料を柔らかくします。

「煮熟(しゃじゅく)」
楮の繊維だけを取り出すために、晒された楮を炭酸ソーダを入れた大釜で2時間ほど煮ます。

「ちりとり」
まだ原料に残っている黒皮などのチリ、変色した部分などを作業で取り除いていきます。

「叩解(こうかい)」
ちりを取り終わった原料を、石の板の上に置き、木槌で叩いてほぐします。
現在では、この作業は『ビーター』という機械で行われることも多くなりました。

「紙すき」
原料と『ねべし』と呼ばれるトロロアオイの根から抽出した液を、漉舟(すきぶね)に張った水の中に入れてよく混ぜ合わせます。
次に、簀桁(すけた)という道具を使って漉舟(すきぶね)の中の液をすくい、揺ります。

「圧搾(あっさく)」
すき上げた紙に圧力をかけて水分を搾ります。1日間、時間をかけながら徐々に強く絞っていきます。

「乾燥」
一枚ずつはがした紙を特製の刷毛を使って板に貼り付け、天日で乾かします。
今では、中にお湯を循環させる金属製乾燥機に貼り付けて乾かすこともあります。


和傘や、和紙で作られたウエデイングドレス等、ユニークな作品も見られます。
部屋には上がることも出来ます。


(写真はホームページより)


ワークショップでは、紙すきの実演、体験ができます。自分で漉いた和紙にオリジナルの模様を付けることもできます。


<企画展示室では>
Dr.コトー、美濃和紙にすかれる。『Dr.コトー診療所』©山田貴敏原画展 開催中!



主人公Dr.コトーこと五島健助が、離島を舞台に、医療をテーマとした名作『Dr.コトー診療所』。

美濃青年会議所創立60周年の記念事業の一つとして、美濃市との共催で、原作者の山田貴敏先生の出身地でもある岐阜県の伝統的工芸品「美濃和紙」と「Dr.コトー」がコラボ。

今回の企画展の為に描かれた美濃手漉き和紙作品「Dr.コトー診療所×美濃和紙」を始め、コミックスのカルテ1、2をまるっと読める原画や迫力満点の名シーンパネル、貴重なカラー原画などが展示されています。






<ショップ>



(写真はホームページより)



建物から外を見ると






バーベキューも出来ます。


和紙に関するクイズ、3問正解で頂きました。



美濃和紙あかりアート展
「うだつの上がる町並み」として知られる美濃市の一帯で、美濃和紙の再生と町の活性化を目指して1994年(平成4年)から毎年10月に開催されているアート展。美濃和紙を取り入れたあかりのアート作品が全国から一般公募で寄せられ、町中を優しく彩ります。


機会があれば、「うだつの上がる町並み」を歩いてみたいと思います。


説明文は、美濃手すき和紙協同組合、美濃和紙の里会館ホームページより


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京都府立植物園、ヒオウギ、スエコザサ

2023-08-02 | 花だより
京都府立植物園は、京都市街北部の平坦地に位置し、東は比叡山、東山連峰を望み、西に加茂の清流、北は北山の峰々を背景とした景勝の地にあります。
大正6年(1917)に着工し、同13年(1924)1月1日に「大典記念京都植物園」として開園しました。
第2次大戦中は園内に菜園が設けられ食糧増産の場になり、戦後は、昭和21年(1946)から12年間連合軍に接収され、多くの樹木が伐採されるなど苦難の時代が続きましたが、昭和36年(1961)4月、憩いの場、教養の場としてその姿を一新し、再び公開しました。

祇園祭巡行前日の7月16日訪れました。

「ヒオウギ(檜扇、日扇)」



アヤメ科の多年草植物。大きな葉が重なり合い、長く扇状に広がり檜扇に似ていることに由来しています。
中国・朝鮮半島や本州中部以西・四国・九州などの山野・海岸などに自生。午前中に咲き、夕方にしぼむ一日花です。

祇園祭(ぎおんまつり)は平安時代前期の869年(貞観11年)に全国に疫病が流行し、牛頭天王(ごずてんのう)・素戔嗚尊(すさのおのみこと)の祟りであるとし、卜部日良麿(うらべのひらまろ)が神泉苑に国の数と同じ66本の鉾を立て、悪霊を移して穢れを祓い、薬師如来(やくしにょらい)の化身とされる牛頭天王を祀り、更に牛頭天王を主祭神とする八坂神社から3基の神輿を送り、病魔退散を祈願した祇園御霊会(ぎおんごりょうえ)が起源と言われています。

「祭花(まつりばな)」として、植物のヒオウギを屋敷の床の間や玄関などに活けたり、家の軒先などに飾ったりする習慣があります。祇園祭の宵山期間中などに家宝の屏風などと一緒に活けられたりします。ヒオウギは古くから厄除けの植物とされ、祇園祭に欠かせないものとされてきました。檜(ヒノキ)の薄板でできた檜扇は平安時代前期の807年(大同2年)の歴史書「古語拾遺」の中で、厄災が村を襲った際、檜の薄板でできた檜扇で扇ぐとたちまち村が元通りに戻ったという話が記されています。
田畑でイナゴが発生した際、「烏扇(からすおうぎ・檜扇)を以(も)ちて之を扇(あお)ぐべし」と記されています。

秋に熟すと裂け、種子は約4ミリで、黒く艶があり、射干玉(ぬばたま・ぬぼたま・むばたま)とも言われています。

ぬばたまの夜のふけゆけば 久木生ふる清き川原に 千鳥しば鳴く
(夜が更けるにつれて、久木が生える清らかな河原で千鳥がしきりに鳴いているよ)
万葉集 巻6 925番歌(作者・山部赤人)


この「ぬばたま」をイメージして作られた、京都市の和菓子店「亀屋良長」の「烏羽玉」。1803年創業以来作り続けられているそうで、京都人には馴染みの深い和菓子です。


=竹笹園へ=





「スエコザサ」

アズマザサの変種で、宮城県と岩手県南部に自生。日本の植物学の父といわれる牧野富太郎博士が昭和2年に宮城県仙台市で発見し、亡き夫人の名にちなんで名付けたことで知られています。
スエコザサの葉は長さ10センチ程度の長楕円形。表面に白くて長い毛が並び、葉の縦半分が裏側に反り返って皺になっています。
触ってみると、笹のイメージと違って柔らかいです。

NHK連続テレビ小説『らんまん』。主人公のモデルとなった植物学者、牧野富太郎博士は約1500以上の植物を発見し、学名を付けるなど「日本の植物学の父」と言われています。
博士の研究生活を長年支えた妻・壽衛(すえ)さんへの感謝の気持ちを込めて「スエコザサ」と名付けました。

東京都台東区谷中の天王寺にある牧野夫人の墓碑には、牧野博士自作の句が刻まれているそうです。
「家守りし 妻の恵みや 我が学び 世の中の あらん限りや すゑ子笹」



園内で出会った花達。

「梅花藻(バイカモ)」
  

キンポウゲ科の淡水植物。
梅の花に似た、白い小さい花を5月中旬~9月下旬まで咲かせ、7月下旬~8月下旬にかけて見頃を迎えます。
この水草は、水温14℃前後の清流にしか育たず、全国でも生育場所が限られています。
滋賀県醒井宿の清流、地蔵川が有名。



  

  


  


  


  

    
  
  




カリンの木にフウラン。




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