正暦寺
奈良市東南の郊外の山間にあるお寺です。
992(正暦3)年、一条天皇の勅命を受けて兼俊僧正(藤原兼家の子)によって創建。
当初は、堂塔・伽藍を中心に86坊の塔頭が渓流をはさんで建ち並び、勅願寺としての威容壮麗を誇っていましたが、1180(治承4)年、平重衡の南都焼き討ちの際、その類焼を受け、全山全焼、寺領は没収されました。1218(建保6)年、興福寺一乗院大乗院住職信円僧正(関白藤原忠通の子)が、法相宗の学問所として再興しましたが、江戸時代以降は衰退し、ほとんどの堂塔・伽藍は失われ、現在では、福寿院客殿と本堂・鐘楼を残すのみとなっています。
現在は菩提山真言宗の本山となっています。
自然を身近の感じられる場所で、風の音、渓流、山ホトトギス、鶯、鈴虫や、せみの声が聞こえるそうです。
3000本を超える楓が山内にあり、紅葉の鮮やかさから、『錦の里』と呼ばれてきました。
秋から冬にかけては1000株以上の南天が赤い実をつけて参道を染めるんだとか・・・。
11月16日行ってきました。
菩提仙川に沿って坂道を上がっていきます。
本来、寺院での酒造りは禁止されていましたが、神仏習合の形態をとる中で、鎮守や天部の仏へ献上するお酒として、荘園からあがる米を用いて寺院で自家製造されていました。
このように荘園で造られた米から僧侶が醸造するお酒を「僧坊酒」と呼んでいます。毎年1月に酒母の仕込みが行なわれているそうです。石垣の上方に山門が見えてきました。
山門
福寿院入り口
福寿院客殿1681(延宝9年)に建替え・建立。上壇の間を持つ数寄屋風客殿建築で、国の重要文化財に指定されています。
県指定重要文化財の孔雀明王像、京狩野3代目狩野永納筆の襖絵等を見ることができます。
瑠璃殿、護摩堂へ。
白壁の瑠璃殿(収蔵庫)の下部の模様。
瑠璃殿への入口。
参拝当日は立入禁止になっていました。
護摩堂入り口に
清めて入ります。
平成18年に開眼した、仏師・上本慶舟氏の不動明王像が見られます。
庭に・・・。
本堂へ向かいます。
石段の横には
石段を登ると本堂境内が広がり、鐘楼〈1925年(大正15年)に再建〉と本堂がたたずんでいます。
1916年(大正5年)に再建。
国指定重要文化財「本尊薬師如来倚像」が公開されています。
帰り際に・・・。
散ったイチョウの葉が、地面一面に敷き詰められたようになっていました。
奈良市東南の郊外の山間にあるお寺です。
992(正暦3)年、一条天皇の勅命を受けて兼俊僧正(藤原兼家の子)によって創建。
当初は、堂塔・伽藍を中心に86坊の塔頭が渓流をはさんで建ち並び、勅願寺としての威容壮麗を誇っていましたが、1180(治承4)年、平重衡の南都焼き討ちの際、その類焼を受け、全山全焼、寺領は没収されました。1218(建保6)年、興福寺一乗院大乗院住職信円僧正(関白藤原忠通の子)が、法相宗の学問所として再興しましたが、江戸時代以降は衰退し、ほとんどの堂塔・伽藍は失われ、現在では、福寿院客殿と本堂・鐘楼を残すのみとなっています。
現在は菩提山真言宗の本山となっています。
自然を身近の感じられる場所で、風の音、渓流、山ホトトギス、鶯、鈴虫や、せみの声が聞こえるそうです。
3000本を超える楓が山内にあり、紅葉の鮮やかさから、『錦の里』と呼ばれてきました。
秋から冬にかけては1000株以上の南天が赤い実をつけて参道を染めるんだとか・・・。
11月16日行ってきました。
菩提仙川に沿って坂道を上がっていきます。
「日本清酒発祥の地」の石碑
本来、寺院での酒造りは禁止されていましたが、神仏習合の形態をとる中で、鎮守や天部の仏へ献上するお酒として、荘園からあがる米を用いて寺院で自家製造されていました。
このように荘園で造られた米から僧侶が醸造するお酒を「僧坊酒」と呼んでいます。毎年1月に酒母の仕込みが行なわれているそうです。石垣の上方に山門が見えてきました。
山門
福寿院入り口
福寿院客殿1681(延宝9年)に建替え・建立。上壇の間を持つ数寄屋風客殿建築で、国の重要文化財に指定されています。
県指定重要文化財の孔雀明王像、京狩野3代目狩野永納筆の襖絵等を見ることができます。
客殿からみえる借景庭園。
瑠璃殿、護摩堂へ。
白壁の瑠璃殿(収蔵庫)の下部の模様。
瑠璃殿への入口。
参拝当日は立入禁止になっていました。
護摩堂入り口に
清めて入ります。
平成18年に開眼した、仏師・上本慶舟氏の不動明王像が見られます。
庭に・・・。
本堂へ向かいます。
本堂への石段
石段は観世音菩薩の誓願の数にちなんだ33段と、阿弥陀如来の誓願の数にちなんだ48段、合計81段になっています。この石段をすべて登りきると、観世音菩薩と阿弥陀如来のご加護を受けられるとされています。
石段は観世音菩薩の誓願の数にちなんだ33段と、阿弥陀如来の誓願の数にちなんだ48段、合計81段になっています。この石段をすべて登りきると、観世音菩薩と阿弥陀如来のご加護を受けられるとされています。
石段の横には
供養塔
正暦寺で亡くなった僧侶の墓石を集めた供養塔。
十三重石塔が両サイドに建ち、数多くの僧侶たちが供養されています。
正暦寺で亡くなった僧侶の墓石を集めた供養塔。
十三重石塔が両サイドに建ち、数多くの僧侶たちが供養されています。
石段を登ると本堂境内が広がり、鐘楼〈1925年(大正15年)に再建〉と本堂がたたずんでいます。
振り返ると…。
鐘楼
正暦寺本堂
鐘楼
正暦寺本堂
1916年(大正5年)に再建。
国指定重要文化財「本尊薬師如来倚像」が公開されています。
帰り際に・・・。
散ったイチョウの葉が、地面一面に敷き詰められたようになっていました。
説明は公式サイトを参考にしました。