【折々の花だより】

”季節の花だより”
花たちとの出会いを楽しんでます

千本釈迦堂(大報恩寺)

2024-01-30 | デジカメ紀行

大報恩寺(だいほうおんじ)は、京都市上京区にある真言宗智山派の寺院。
本尊は釈迦如来。通称「千本釈迦堂」。

霊宝殿は新西国三十三箇所第16番札所で本尊は六観音。快慶作の十大弟子立像、定慶作の六観音像、千手観音像(いずれも重要文化財)などを安置。

おかめの物語や、12月の風物詩である大根焚きで知られます。また、智積院能化の隠居所として護持されました。

藤原秀衡の孫と伝える義空上人の開創。真言宗智山派の名刹。

 

 

 

 


<本堂>


千本釈迦堂(大報恩寺)にある鎌倉時代初期安貞元年(1227)建築の国宝建造物。鎌倉初期の遺構としては本市に現存する最古のもの。外観は簡素な構造ですが、内部には中陣の天井周りの七宝つなぎなどの装飾があります。
木造六観音菩薩像は大報恩寺にある鎌倉時代作の重要文化財彫刻。貞応3年(1224)仏師定慶の作。玉眼入り、等身大の素木の像。聖・千手・十一面・馬頭・准胝・如意輪観音の六躯。写実性に富んだ衣文に宋風の影響が見られます。

 

「おかめ」の展示がされています。

 

 



<おかめ塚>

 

 


千本釈迦堂境内の東の塀ぎわの石造宝篋印塔。寺伝によると本堂創建のとき、大工棟梁長井高次が柱の一本を短く切ってしまい、深く悩んでいるのを見た妻の亀女が、名案をだして助けた。しかし亀女は女の入れ知恵が世間に洩れては夫の名声に傷がつくと、上棟式を待たず自害したという。この塔は高次が亀女の冥福と、本堂の安全を祈って建立したもの。千本釈迦堂では毎年亀女の福徳を慕う人で「おかめ節分」が行われます。

 

<布袋尊>

 

 

 

<観音菩薩像>

 

 

 

<稲荷社>

 

  

 

 

<不動明王堂>

 

 

 

<北野経王堂願成就寺>

 

 

説明文は公式サイトを参考にしました。
写真は大根焚きの行われた昨年12月7日に訪れた時のものです。


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絵手紙

2024-01-25 | 絵手紙
「へたでいい へたがいい」を励みに続けています。



一月も残り少なくなってしまいましたが・・・。

手作りカレンダー
一月

我當 千秋萬歳

二月












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薬祖神祠

2024-01-22 | デジカメ紀行
京都市中京区東玉屋町にある神社。
江戸時代後期に「薬師講」として神農を祀ったのが由来とされる。蛤御門の変で二条の薬業街が焼失。明治39年に現地に。

<京都二条薬祖神祠(やくそしんし)、通称神農さん>

二条通には秀吉の時代以来多くの薬問屋があったが江戸初期には薬種業者の組合が結成された。江戸時代後期には「薬師講」ができ、薬師如来、住吉大明神、中国の神農を祀ったのが薬祖神祭の始まり。


3国の神が合祀されている。
日本の薬の神様である少彦名命(すくなひこなのみこと)、大己貴命(おおなむちのみこと)(大国主命)。
中国で医薬と農業を司る神といわれている神農。
古代ギリシャの医師で西洋医学の父といわれるヒポクラテス。

毎年11月の第一金曜日に「薬祖神祭」が行われ、神薬を奉納しています。
「無病息災を祈願した笹」が販売されるようです。


<薬師院 黄檗宗>






本尊の薬師如来は、伝教大師が大願により一刀三礼彫刻された薬師仏七体の御一体。
寛喜二年(1230)京の市中に疫病が流行した時、薬師如来が院主の夢に現れ「一切病苦の衆生、我が前に来たらば諸病悉く除くべきに来也(こぬか)来也(こぬか)」とのお告げがありました。
院主は感涙し、これを人々に知らしめたところ、疫病諸病が平癒。人々はこれより仏の言葉を仰ぎ「こぬか薬師」と言うようになったそうです。

住職、吉野玄輝さんによる =ミニ説法=
「薬師如来とは病気平癒をお祈りする仏様とされて居りますが、
その病とはお互いの肉体における病だけでなく、心身ともに内からも外からも侵されるあらゆる不幸・災難苦悩も皆悉く病であります。
浄らかな信心を起こし正しい実践がなされるようになれば、自然と病も癒されるものと信じます。」


近所を散策します。

<三井越後屋京本店記念庭園>







昔のたたずまいを残しつつ・・・。






近くにあるNHK京都放送局を覗きました。














二階へ案内してくれたのは

ねこまるくん








説明文は公式サイトを参考にしました。
写真は2023年11月2日に訪れた時のものです。
     

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伏見稲荷大社

2024-01-21 | デジカメ紀行
私たちにとって、もっとも身近な神社といえる「お稲荷さん」。
全国に30,000社あるといわれ、全国各地で老若男女を問わず親しまれています。その総本宮が伏見稲荷大社です。



1月8日訪れました。
稲荷信仰の原点が、稲荷山です。御祭神である稲荷大神様がこのお山に鎮座されたのは、奈良時代の和銅4年(711)2月初午の日のこと。
伏見稲荷大社は、都が京都に遷る前の和銅4年(711)に創建されたと伝わっています。その日から数えて、平成23年(2011)に御鎮座1300年を迎えました。
当時、この辺りの発展に貢献した渡来系の秦氏の子孫・秦伊侶具(はたのいろぐ)が、稲荷山にある三ヶ峰に神を祀ったことが創建の由来。平安遷都以前の山城国の文化風土や地理などが記された『山城国風土記』の伝承には、秦伊侶具が射た餅が白鳥となって飛び立ち、降り立った山の峰に稲が実ったことから「伊奈利(いなり)」という社名になったと記されているそうです。
初めは農耕の神として、後に商売繁昌の神として庶民から篤い信仰を集めてきた伏見稲荷大社。
2月の初午(はつうま)の日には多くの参拝者で賑わいます。
古くは清少納言が『枕草子』にこの初午詣の様子を記したほか、『蜻蛉日記』や『今昔物語集』などの古典にも、伏見稲荷大社のことを指す「稲荷社」の名前がしばしば出てきます。
平安時代に東寺(教王護国寺)の鎮守社となったことや稲荷詣の人気も重なり、都人から篤く尊崇され、最高の格式である「名神大社」に数えられ、正一位(しょういちい)の極位が与えられました。室町時代に入ると応仁の乱で社殿はことごとく焼失しましたが、全国各地からの寄付によって再建しました。

「稲荷大神様」のお使い(眷族)はきつねとされています。
野山に居る狐ではなく、眷属様も大神様同様に我々の目には見えません。
そのため白(透明)狐=“びゃっこさん”といってあがめます。



境内には稲荷大神のお使いである「狐」が眷属(血筋のつながっている者。親族。)として鎮座しており、「玉」や「鍵」、「巻物」や「稲穂」などを様々にくわえています。 稲荷の神はもと農耕神ですから、稲に関係するものをくわえていることが多いようです。

・稲穂・・・稲荷神が、『農耕神』『五穀豊穣の神』として信仰されることから。
狐のしっぽが、実る稲穂に似ていることから、神使とされたという説もあります。

・巻き物・・・知識・知恵の象徴、どんな願いも叶える稲荷の秘法を表しています。

・玉(宝珠)・・・稲荷神が秘める御神徳(ごしんとく)・霊徳の象徴。

・鍵・・・稲荷大神の宝蔵を開く秘鍵(ひけん)の象徴。
     稲荷神の御神徳(みたま)を得ようとする願望の象徴。
     『米倉(こめぐら)の鍵』とも言われます。

何もくわえていないお狐さまもあります。
御本殿の装飾にも白狐が見られます。

<伏見稲荷大社>



大きな鳥居の先に立つ<楼門>(重要文化財)





天正17年(1589)に豊臣秀吉が母の大政所(おおまんどころ)の病気平癒祈願の御礼に造営。
豪奢な桃山様式を用いた入母屋造で、高さはおおよそ14mと、神社の楼門の規模としては最大級の大きさを誇ります。美しい朱塗りが目を引く二層構造。

楼門の前に

  

 

<下拝殿>





<東丸神社>







<本殿>(重要文化財)

応仁の乱後の明応8年(1499)に再建されたもので、牡丹唐獅子や唐草など、室町時代と桃山時代の両方の特徴をもつ繊細な装飾が特徴です。
主祭神である宇迦之御魂大神(うかのみたまのおおかみ)を中央の下社、佐田彦大神(さたひこのおおかみ)を北座の中社、大宮能売大神(おおみやのめのおおかみ)を南座の上社に祀り、その両側には摂社の田中大神(たなかのおおかみ)と四大神(しのおおかみ)が奉祀されています。これら5つの柱の祭神名は、稲荷大神の広大な神徳の神名化とされています。
元々は五穀豊穣を司る神様でしたが、現在は商売繁昌や家内安全、交通安全、芸能上達の守護神としても信仰されるようになっています。

本殿の前に

  



<神楽殿>



<歌碑>




進むと正面に見えてきました。

<玉山稲荷社>





左手。


右手。







<千本鳥居>

鳥居の「朱」。伏見稲荷大社の鳥居は社殿と同じく「稲荷塗」といわれ、朱(あけ)で彩色するのが慣習となっています。この「あけ」という言葉は、赤・明・茜など、明るい希望に満ちた気持ちを五感に含み、稲荷大神のチカラの豊かさを表す色ともいわれています。
朱色は、魔力に対抗する色ともされていて、古代の宮殿や神社仏閣に多く用いられています。こちらに限って云えば稲荷大神様のお力の豊穣を表す色と説明されています。お稲荷さんだけが朱塗りではなく、朱塗りの神社は他にも多くあります。
また朱の原材料は水銀=丹です。これは昔から木材の防腐剤として使われてきました。

鳥居がいっぱいあるのは・・・
願い事が「通る」或いは「通った」御礼の意味から、鳥居を感謝のしるしとして奉納することが江戸時代以降に広がりました。現在は約1万基の鳥居がお山の参道全体に並んで立っています。


奥社奉拝所の後にある石灯篭は・・・
<おもかる石>

灯篭の前で願い事の成就を念じながら、石灯篭の空輪(上部)を持ち上げ、思っていたよりも軽ければ願い事は叶い、重ければ叶うのは難しいという占いができる石とされています。


この辺りに「神宝神社」への曲道があります。



先へ進みます。






<根上がりの松(奇妙大明神)>





奥社奉拝所(奥の院)から約10m程進んだところに位置しています。根っこが地表に出ていることから名付けられたそうです。
松の木肌を撫でてから自分の治したい部分を撫でるか、根をくぐると痛みが治るご利益があると言われています。
また、語呂合わせで”値上がりの待つ”にかけて、株や証券などの値上がりに縁起が良いとしても信仰されているようです。


さらに進みます。









  


狐さんに見送られ、伏見稲荷大社を後にしました。







「お稲荷さん」のご利益。
古くは朝廷が、雨乞いや止雨と共に五穀豊穣を願われたり、国の安穏を願われるなど公の願い事が多く記録されています
平安時代には良縁を願ったり、秀吉は母親の病気平癒を真剣に願い、おかげを受けています。
時代が下って商売繁昌・産業興隆・家内安全・交通安全・芸能上達の守護神として信仰を集め、今日もなおこれらの信仰は続いています。

<御朱印>



説明文は公式サイトを参考にしました。

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伏見神宝神社(ふしみかんだからじんじゃ)

2024-01-12 | デジカメ紀行
伏見稲荷大社の千本鳥居を抜けていく途中の丘に鎮座しています。

1月8日訪れました。

=伏見稲荷大社=


一の鳥居をくぐります。


本殿から千本鳥居を通り・・・


奥の院(奥社奉拝所)から熊鷹社へと向かう途中にある「根上がり松」の手前右側に案内看板があります。



階段状の山道を上がって行きます。


 






着きました。
=伏見神宝神社=

<鳥居>


<扁額>


<狛犬>
  







天照大御神を主祭として稲荷大神を配祠、十種の神宝(とくさのかんだから)を奉安。創祀 は平安時代初期。かつては稲荷山上に祀られていました。
仁和年間(885~89)宇多天皇は、大神宝使を発遣するなど、皇室の信仰も篤かったが、政変などにより中世以降は廃れていきました。1957年(昭和32)に今の場所に再建されました。

社名の「神宝」は奉安の十種の神宝、別名「天璽瑞宝十種(あまつしるしみずたからとくさ)」とも呼ばれる天孫の証となる10種類の宝物で、三種の神器のルーツとされています。物部氏の祖神、饒速日尊が天上よりもたらしたとされます。

十種神宝
沖津鏡(おきつかがみ)、辺津鏡(へつかがみ)、八握剣(やつかのつるぎ)、生玉(いくたま)、死返玉(まかるかへしのたま)、足玉(たるたま)、道返玉(ちかへしのたま)、蛇比礼(おろちのひれ)、蜂比礼(はちのひれ)、品物之比礼(くさぐさのもののひれ)

境内の摂社・末社には、龍頭社、八大龍王大神、白龍大神が祀られ、龍神のパワースポットです。
4月18日神宝大祭鳴動神事、 7月土用中の日鎮魂大祭、11月3日御火焚祭。


<拝殿>


<神寶宮の扁額>


<狛龍>

  




    
向かって左が「地龍」右が「天龍」。あらゆる願いをかなえる力があるとされる、金色の「如意宝珠」を持ち拝殿を護っています。この2頭の龍は、天照大御神の神使(しんし)=神様の使者とされており、天と地を行き来しているそうです。


<稲荷山遥拝所>

霊山である稲荷山を遥拝する場所。朱塗りと竹製の2つの鳥居の真下には、磐境(いわさか)があり、神社の御神石とされる、降臨石「たけのこ石」が祀られています。
稲荷山の一の峰の直線上に遥拝所は位置し、稲荷山の神様の気が集まる場所で境内で随一のパワースポットとされています。

<おもかる石>





<正一位稲荷大明神の扁額>

かつてあった井戸の神様が祀られているそうです。


<祖霊社>

歴代の伏見神宝神社の神主、神官たちが祀られているそうです。


境内で。







<龍頭社(りゅうずしゃ)>摂社

稲荷山の地主神とされる龍頭大神が祀られています。西陣織の金具の龍頭にちなみ“衣の神様”とされています。

伏見神宝神社は「竹取物語」発祥の地とされています。龍頭社に祀られている龍頭大神は、かぐや姫が求婚者のひとりである大納言大伴御行(だいなごんおおとものみゆき)に出した難題、龍の首にある五色の玉の持ち主なのだそうです。

祠の横にあります。
水の中から姿を表す<龍頭像>

龍が口にくわえている宝珠を回しながら祈ると願いが叶うとされています。


<御朱印>



説明文は公式サイトを参考にしました。

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2024,1,1

2024-01-01 | 絵手紙
明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。



2024年の干支(えと)は甲辰(きのえたつ)。干支はもともと、古代中国の思想・陰陽五行説から発生したもので、本来は十干(じっかん)と十二支(じゅうにし)の組み合わせ。

「辰」は「子」から始まる十二支の5番目。もともと干支は年、月、日、時間、方位などを示すためにも使われていたもので、「辰の刻」は午前8時を中心とする前後2時間で、現代でいえば丁度ラッシュアワーの時間帯。 辰の方角は東南東。

十二支にはそれぞれ動物が割り当てられていますが、「辰」は「竜 / 龍」に結びついている。十二支では唯一の想像上の動物。 竜王、竜宮の神、竜宮様とも呼ばれ、水を司る水神として日本各地に祭られています。農山村では日照りの年は、竜神がすむとされる沼や淵で雨ごいをし、漁村で竜神に豊漁を願いました。 神社などの手水舎(水盤舎)で竜が口から水を吐きしているのは、まさに水にまつわる神ならでは。

2024年はどんな年になるでしょうか・・・。

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