【折々の花だより】

”季節の花だより”
花たちとの出会いを楽しんでます

丹州華觀音寺

2021-06-28 | 花だより
丹波あじさい寺 水子供養寺
補陀洛山(ふだらくさん) 丹州觀音寺

関西随一の花のお寺として知られています。

「関西花の寺第一番札所」「丹波西国第一番札所」「丹波古刹第十五番札所」「数珠巡礼」に指定されており、毎年6月~7月には100種・1万株のあじさいが境内を彩ります。

五月初めの藤、梅雨のあじさい、晩秋には紅葉、立春の頃の蝋梅…と、一年を通じて花や古木、紅葉が境内を美しく彩ります。

奈良養老四年(720年)に、この地を訪れた法道仙人によって開かれました。
平安時代(961年)に、空也上人が七堂伽藍を建立し、丹波地方の観音信仰の中心となって栄えてきました。
その後鎌倉時代に最盛期を迎え、北条時頼・貞時等の比護を受け、25余坊の寺院をもつ中本寺の寺として栄えました。
約3600通余りの古文書、聖教類(京都府指定文化財)が現存します。

2016年6月に訪れていますが、今年6月10日再訪です。


<総門>





<仁王門>





迎えてくれました。





<斗藪庭>







  
  



「ガラスに映る紫陽花」の写真が撮れるように、庫裡のガラス戸には暗幕がされていました。



          ↓         






          ↓         


<七観音霊場めぐり>へは、ここから入ります。

途中で振り返ると・・・。


左手に庫裡、右手に三門、心休庵が見えます。


<無常橋>









<本堂>








<鐘楼>





本堂の奥に。

<太子堂>



<熊野神社>



本堂の横に。






<籠り堂>



籠り堂の横から山門へ、階段を下りて行きます。




<手水舎>






<山門>




山門の前で、お出迎え。



境内で見られるお地蔵様たち。
  


  


  



















  


  


  


       
説明文は公式サイトを参考にしました。
  

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ひこにゃん

2021-06-17 | デジカメ紀行


滋賀県彦根市金亀町1-1 彦根城天守閣に住んでいます。

彦根城、訪れました。





彦根城築城は、将軍徳川家康公の命により佐和山城を一掃するため、慶長9年(1604)より着工されました。
当初は湖畔の磯山を予定していたといわれていますが、直継の代になって現在の彦根山に決定し、20年の歳月をかけて築城されました。
天守は大津城から、天秤櫓は長浜城から移築。天守は2年足らずで完成しましたが、表御殿の造営、城郭改造など、城郭の完成は1622年とされています。
この間、井伊直孝は大坂冬の陣で兄直継に代わって出陣し、その功績によって家督を継ぎ、夏の陣では豊臣方の木村長門守重成と戦い大功をあげ、井伊直政(常に先鋒を務め、徳川四天王のひとり)に劣らぬ武将と賞賛されました。
直孝は、秀忠、家光、家綱の三代にわたって、将軍の執政となり、幕府政治確立にも貢献。これらの功により3回加増され、譜代大名としては例のない30万石となる。彦根35万石といわれるのは、このほかに幕府領5万石の預かりがあり、合わせて35万石となります。天守は18万石の頃の完成でした。

彦根城は、明治に解体の危機にみまわれましたが、今も往時の面影が今日によく残っているのは、明治天皇が明治11年10月、北陸巡幸を終え、彦根を通られたときに、保存するようにと大命を下されたからでした。
一説には、随行した参議大隈重信がその消失を惜しみ、天皇に奉上したとする説。 また一説には、天皇が近江町長沢の福田寺で小休止されたとき、住持攝専(せっせん)夫人で、天皇の従妹(いとこ)にあたるかね子が奉上したとも言われています。

天守は国宝です。
彦根城の周囲は特別史跡に指定されています。








  


<二季咲桜>


  




「本丸」へ向かいます。  

<天秤櫓(てんびんやぐら)>(重要文化財)

大手門と表門からの両坂道を登りつめたところにあります。目の前の廊下橋は戦時には落とすと伝わり、表門山道、大手門山道を上がってきた敵兵が天秤櫓の高い石垣を登らないと本丸へ侵入できませんので重要な拠点となります。この廊下橋に接続する櫓門部分を中央に、両坂道に面している多聞櫓の角を二重櫓とすることで、左右対称となっており、天秤櫓の名の由来となっています。他の城から移築したものと考えられます。建物土台の石垣は向かって右側が築城当時の打込みハギ積み、左側が江戸時代後期の改修による落とし積みとなっています。

天秤櫓を抜け坂道を登りきった所にあります。

<太鼓門>(重要文化財)



門前は攻め手が180度折り返す桝形になった造りで、彦根城本丸を守る重要な城門となっています。
門をくぐり本丸側から振り返ると、二階部分には庇と高欄が設えられ、櫓内には太鼓が設置され、音が遠くまで響くようにこのような構造になっているとする説があります。


彦根城本丸にやって来ました。
ひこにゃんのパネルがお出迎え。



「ひこにゃん」
彦根藩井伊家二代当主である井伊直孝公をお寺の門前で手招きして雷雨から救ったと伝えられる"招き猫”と、井伊軍団のシンボルとも言える赤備え(戦国時代の軍団編成の一種で、あらゆる武具を朱塗りにした部隊編成のこと)の兜(かぶと)を合体させて生まれたキャラクター。
愛称の「ひこにゃん」は、全国より寄せられた1167点のなかから決定。巷ではひそかに「モチ」という愛称も……。
趣味は散歩。彦根城の周辺を散歩するのが好きだそう。
仕事は、彦根市のPRで、彦根城天守前広場や彦根城博物館に毎日登場します。
毎日のお仕事の他に登場するために出陣することがあります。

誕生日平成18年(2006年)4月13日。
足が短いために階段昇降が苦手。
正月には全国のファンから年賀状が届き、バレンタインデーにも全国のファンからチョコレート等が届きます。
一見裸足のようですが、実は靴を履いています。建物の中に入る時は玄関で靴を脱いで上がるんだとか。
彦根市内にある四番町スクエアには石像が鎮座しているそうです。

性別 - 特に決まっていない。見た人の心に映ったままに。
出身地 - 彦根城
現住所 - 滋賀県彦根市金亀町1-1 彦根城天守閣
趣味 - お城の周辺を散歩すること
目標 - 国宝・彦根城築城400年祭を成功させること、井伊直弼と開国150年祭を成功させること (目標達成)



  

  







<特別住民票>


ひこにゃんと別れ、散策します。

<時報(じほう)鐘(しょう)>

城全体に響くようにと『鐘の丸』より移されたもので、今も定時に鐘がつかれ「日本の音風景百選」に選ばれています。
幕末期12代藩主直亮の時に、より美しい音色にしようと鋳造のさい大量の小判が投入されました。


<名勝 楽々園>

現在、楽々園と呼んでいる範囲は延宝5年(1677)に4代直興によって造営されたと伝わる下屋敷の範囲であり、江戸時代には「槻御殿」などの名前で呼ばれていました。この槻御殿は下屋敷であると同時に「隠居所」としても使用され、13代直弼は隠居していた11代直中の子としてこの槻御殿で産声をあげています。槻御殿については平成17年度より歴史的建造物の保存修理事業を実施しています。


<玄宮園(げんきゅうえん)>

玄宮園は下屋敷である槻御殿(現楽々園)に伴う後園として江戸時代前期に作庭された大規模な池泉回遊式庭園です。
中央に掘られた池泉には大小4つの中島が築かれ、さまざまな形式の橋が架けられて自由な回遊性を確保するとともに庭園内の景観にもなっていました。








  


  



<御朱印>



写真は3月4日に訪れた時のもので、一部工事中です。
説明文は、公式サイトを参考にしました。

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