【折々の花だより】

”季節の花だより”
花たちとの出会いを楽しんでます

カメヤマローソクタウン

2024-08-12 | デジカメ紀行

三重県亀山市栄町に、今年オープンした「カメヤマローソクタウン」

 

 

 

工場見学は、手作りキャンドル体験と製造工程の見学がセットになった、約1時間のプログラム。

ワークショップでキャンドルを手作りした後は、冷え固まるまで工場内を自由に見学出来ます。

国内最大級のキャンドル品揃えを誇る「ローソクタウンストア」や、キャンドルで彩られた幻想的な空間「灯ミュージアム」での癒し体験など、ローソクの魅力を存分に味わえる内容となっています。 

 

 

当日、工場見学のみも出来ます。

8月9日、訪れました。

駐車場に入ると・・・

ローソクタウンストア

 

 

撮影スポット

 

入口へ

 

手作りキャンドル体験は・・・

 

 

受付で工場見学(のみ)の申し込みをし、名札をもらい、工場へ。

 

ローサちゃんが花束を持って迎えてくれました。

 

顔はめパネル、こちらはローソくん。

 

工場へ入ります。

 

 

 

 

 

 

1ちょうめ

 

 

2ちょうめ

 

 

 

 

 

 

キャンドルが展示されています。

 

トミカ等、企業とのコラボ、飲みもの、食料品など楽しいローソクが展示されています。

これらの商品はタウンストアで買うことが出来ます。

 

看板などが展示されています。

 

 

 

海外向けデザイン

 

灯museum

 

 

 

 

 

 

 

ストアで買い物も・・・。

 

 

工場内は、実際のレーンや、説明動画などは、カメラに収めることはできません。

説明文は公式サイトを参考にしました。

 

 


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8月カレンダー

2024-07-31 | 絵手紙

厳しい暑さが続く8月。

8月の代表的な和風月名は、「葉月(はづき)」です。

葉月のもっとも有力な語源説は、「葉落ち月」が変化したという説です。旧暦8月は、現在の9月頃ですが、昔は葉が落ち始める頃だったようです。
「葉落ち月」も、そのまま、8月の異称として使われました。
ほかに、稲の穂がふくらむ月という意味の「穂張り月」が変化したという説もあります。

 

8月カレンダー

 

8月の異称は・・・

「月見月」(つきみづき)

旧暦では7月から9月までが秋とされ、8月は真ん中の秋なので「仲秋」。


「青秋」(せいしゅう)

昔は、8月になれば、心地よい秋風が吹き、さわやさが感じられたようです。「秋風月(あきかぜづき)」や「清月(せいげつ)」も旧暦8月をさします。


「燕去月(つばめさりづき)」

燕は、春に日本に飛来し、子育てをし、旧暦8月頃、南の国に渡って冬を越すので、「燕去月」という異称もつきました。
昔は日本のどこにでも、燕と入れ替わりに雁(かり)が渡ってきたので、8月のことを「雁来月(がんらいげつ)」ともいいました。


「木染月」(こぞめづき、きそめづき)

木の葉が染まり始める月ということす。
旧暦8月は、今の9月頃。「こぞめづき」は「濃染月」とも書きました。また「紅染月(べにそめづき・こうぞめづき)」という異称もあります。

「竹春」(ちくしゅん)

初夏に出てきた筍(たけのこ)は、旧暦8月頃には、立派な若竹になり、筍に栄養を回して、葉が枯れたようになっていた親竹も、いきいきとよみがえり、若葉を茂らせます。

竹だけは春なので、この時期は「竹春」と呼ばれるようになり、旧暦8月の異称としても使われました。


「草津月」(くさつづき)

「草津月」の「つ」は、「の」という意味の古語で、「津」は当て字。
旧暦8月になると、少し日差しもやわらぎ、照りつけられ、しおれがちだった草が、息を吹き返したように元気を取り戻す時期です。
草の月という意味で、草津月と呼ばれるようになりました。


「壮月」(そうげつ)

「壮月」も旧暦8月の異称です。
「壮」には、盛ん、活力に満ちているという意味があり、「草津月」と同様、草が元気になるということを表しています。

 

 

 

 

説明文はウェザーニュースを参考にしました。


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京都府立植物園

2024-07-30 | 花だより

京都府立植物園は、京都市街北部の平坦地に位置し、東は比叡山、東山連峰を望み、西に加茂の清流、北は北山の峰々を背景とした景勝の地にあります。
大正6年(1917)に着工し、同13年(1924)1月1日に「大典記念京都植物園」として開園しました。
第2次大戦中は園内に菜園が設けられ食糧増産の場になり、戦後は、昭和21年(1946)から12年間連合軍に接収され、多くの樹木が伐採されるなど苦難の時代が続きましたが、昭和36年(1961)4月、憩いの場、教養の場としてその姿を一新し、再び公開しました。



=ワイルドガーデン辺り=

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

園内で恐竜発見!

「スペシャルコラボ企画の恐竜たちがやってくる」の展示準備でしょうか・・・。

 

=竹笹園辺り=

 

 

 

 

 

 

 

=あじさい園辺り=

 

 

 

 

 

 

 

 

 

説明文は公式サイトを参考にしました。

写真は7月16日撮影のものです。


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祇園祭

2024-07-20 | デジカメ紀行

コンコンチキチン、コンチキチン。祇園囃子とともに、7月の京都は祇園祭一色。祇園祭は千年以上の歴史を持ち、7月1日(吉符入)から31日(疫神社夏越祭)まで、1か月にわたって多彩な祭事が行われる八坂神社の祭礼です。

古くは、祇園御霊会(ごりょうえ)と呼ばれ、貞観11年(869)に京の都をはじめ日本各地に疫病が流行したとき、勅を奉じて当時の国の数66ヶ国にちなんで66本の矛を立て、祇園社より神泉苑に神輿を送って、災厄の除去を祈ったことにはじまります。

ハイライトは17日(前祭)と24日(後祭)の山鉾巡行。山鉾行事はユネスコ無形文化遺産に登録されています。

 

祇園祭の「ちまき」は、厄除けのために各山鉾町で売られています。
ちまきが厄除けの役割を担っているのは、八坂神社の祭神・素戔嗚尊(すさのおのみこと)が旅の途中でもてなしてくれた蘇民将来に対し、 お礼として「子孫に疫病を免れさせる」と約束し、その印として「茅(ち)の輪」を付けさせたのが始まりと言われています。
それぞれの山鉾のちまきは、厄除け・疫病除けの他、縁結び、金運招福、学業成就など、様々なご利益や由来をもちます。

 

「鶏鉾のちまき」

ご利益:厄除け・疫病除け

 

「行者餅」

「常ハ出ませぬ一日限り」

京都のまちが祇園祭の熱気に包まれる7月16日、1年に1度、この日にしか手に入れられない京菓子。

クレープ状のふのやきに、粉山椒の風味が効いた味噌餡と四角い小さな餅が包まれる。行者の篠懸(すずかけ)を模した形という。

 

文化3年(1806)、京の都に疫病が大流行し、まちは大混乱した。当時の柏屋の先代が山伏として、奈良・大峰山回峰修行中に霊夢を授かり、京都に戻った後、夢のお告げの物をつくり、修験道の開祖役小角(役行者)らを御神体とする「役行者山」に供えて縁者にも配ったところ、その人々は疫病から免れ、「無病息災の霊菓」と喜ばれた。以来、「行者餅」と名付けて年に1度、宵山の日に限って発売することになったという。

 

説明文は公式サイトより


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プリンの森

2024-07-08 | デジカメ紀行

ならやま大通り沿いの

絵本に出てくるお菓子の家のような「プリンの森」

 

オーナーさんが「プリンの中でプリンを作りたい」という長年の夢を形にしたお店だそう。

 

奈良でお馴染み、蓋に大仏様の絵が描かれたプリン。

(ホームページより)

 

 

 

 

 

 

 

「プリン」の中で食べることも出来ます。

 

外の椅子で。

 

ブランコに乗っても。

 

 

庭でのんびりしても。

 

 

 


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7月カレンダー

2024-06-30 | 絵手紙

 

7月カレンダー

 

七月(文月・ふみづき)

7月のよく知られた異名として「文月(ふみづき)」があります。
これは旧暦の7月、今の暦でおおよそ8月を表しています。

語源の一つに、稲の穂が実る頃という意味の「穂含月(ほふみづき)」が転じて「文月」になったという説があります。

また、昔、七夕に書物を干す行事があって書物(文)をひらく(披く)という意味から、「文披月(ふみひろげづき)」と呼ばれるようになり、それが「文月」になったという説もあるようです。

ほかに、7月の代表的な行事である七夕にちなみ「七夕月(たなばたづき)」や織女と彦星が互いに愛し合うという「愛逢月(めであいづき)」といった呼び名があります。

ご先祖をお家にお迎えして供養をする盂蘭盆会 (うらぼんえ) の行われる月でもあり、「親の墓参りに行く月」の意味の「親月(しんげつ・おやづき)」もあります。

また、旧暦7月(今の8月頃)は厳しい暑さも次第におさまっていき、秋の気配を感じはじめるころでもあり、このことから、「涼月(りょうげつ・れいげつ)」や「秋初月(あきはづき・あきそめつき)」といった風情のある呼び名もつけられています。

 

説明文は「ウェザーニュース」より

 

「絵手紙」

 

 

ビー玉に顔彩をつけ、紙の上をころがせます。その上に言葉や絵を描きます。

 

 


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来訪者

2024-06-25 | 花だより

6月の初め、我が家に・・・

「イソヒヨドリ」

 

プランターに植えていた、水菜を食べられてしまいました。

 

春先、ご近所の梅の木にきたのは・・・

「コゲラ」

 

木をコツコツとつついていました。


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三室戸寺

2024-06-20 | 花だより

「夜もすがら月をみむろとわけゆけば 宇治の川瀬にたつはしらなみ」

西国十番の観音霊場、明星山三室戸寺は、観音応現の霊地であり、光仁天皇勅願の精舎。

 

6月13日訪れました。昨年の6月にも訪れています。

三室戸寺は花の名所として、また源氏物語の聖地のひとつとして注目されています。

度重なる火災や織田信長の焼き討ちによって伽藍を焼失し、都度再興が果たされましたが、境内には江戸時代に再建された重層入母屋造りの本堂をはじめ、平安時代作の阿弥陀三尊坐像を安置する阿弥陀堂、江戸時代の建立で播磨の国・高蔵寺から移築された歴史をもつ三重塔などが立ち並びます。

 

 

 

「三室戸寺」

 

 

 

「手水舎」

 

 

蓮はもう少し・・・

 

 

 

 

「本堂」

 

 

 

「鐘楼」

 

 

「三重塔」

 

 

 

「宇賀神(うがじん)」

耳をさわると招福、髭をなでると健康長寿、しっぽをさすれば金運が訪れるという神様。


「福徳兎」

丸い穴に手を入れて中にある卵型の石を立てられたら願いが通じ、さらに、足腰健全になります。


「宝勝牛」

口の中にある玉石をなでると勝運がつきます。

 

お参りを終え、あじさい園へ

 

 

 

 

 

 

 

  

 

  

 

  

 

  

 

  

 

 

  

 

 

 

 

 

説明文は公式サイトを参考にしました。


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平安神宮神苑

2024-06-14 | 花だより

京都市左京区に位置する平安神宮。

 

 

平安神宮は平安遷都1100年を記念して創建されました。御祭神は桓武天皇と孝明天皇。

6月7日訪れました。

 

応天門

 

門をくぐり、境内へ。

 

神苑へ入ります。

明治時代の代表的な日本庭園として広く内外に知られている平安神宮神苑は、社殿を取り囲むように東・中・西・南の四つの庭からなっています。
総面積約33,000㎡(約10,000坪)の広大な池泉回遊式庭園で、明治の有名な造園家7代目小川治兵衛らの手になるものです。平安京千年の造園技法の粋を結集した庭園として、昭和50年12月に国の名勝に指定されています。

 

 

「萩」が咲き始めています。

 

こちらは「半夏生」。

 

「青もみじ」も綺麗です。

 

 

池の向こうは、人、人、人の大渋滞。

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

コウホネ

 

中神苑へ

 

 

臥龍橋が見えます。

天正年間に豊臣秀吉によって造営された三条大橋と五条大橋の橋脚が用いられています。

この橋を渡る人には、「龍の背にのって池に映る空の雲間を舞うかのような気分を味わっていただく」という小川治兵衛の作庭の意図が織り込まれています。

 

 

さらに進みます。

 

 

泰平閣(橋殿)へ

 

 

 

 

 

 

 

説明文は公式サイトを参考にしました。


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馬見丘陵公園

2024-06-08 | 花だより

=馬見丘陵公園=

昭和40年代後半より丘陵西部では真美ヶ丘や西大和ニュータウンなどの大規模宅地開発が始まりましたが、丘陵東部に位置する馬見丘陵公園は、これらの開発から自然や古墳群を保全するため、「歴史と自然に囲まれた憩いの空間」を目指して、昭和59年8月に都市公園(広域公園)として都市計画決定し、同年度より公園事業に着手しました。
平成24年6月、馬見丘陵公園は中央エリア及び南エリアの一部を開園し、全面開園しました。
馬見丘陵は、香芝市・広陵町・河合町など2市3町に跨る標高70m程度の東西約3km、南北約7kmに及ぶ低い丘陵地で、この丘陵は馬見古墳群のエリアと一致し、古墳の集積地となっています。

 

<公園館>

 

<ドームの天井>

 

 

 

菖蒲園(中央エリア)へ向かいます。

 

 

 

ハナショウブは見頃を迎えています。

毎年約100種3万本の花菖蒲が咲いているそうです。

 

 

  

 

  

 

   

 

  

 

  

 

 

 

 

 

  

 

  

 

  

 

 

  

 

 

 

  

  

 

  

 

  

 

 

 

 

  

 

  

 

  

 

  

 

 

  

 

  

 

  

 

  

 

  

 

  

 

 

 

 

 

中央エリアのバラ園へ 

全体的に見頃を過ぎていますが、開花中の品種もあります。

 

 

 

 

ポツンと・・・

 

中央エリアのあじさい園へ

色づいているアジサイもありますが、全体的には3割程度の開花状況です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こんな花達も・・・。

 

 

 

 

 

説明文は公式サイトを参考にしました。


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6月カレンダー

2024-06-03 | 絵手紙

6月といえば雨の季節で多くの地域で梅雨入りを迎えます。

6月の代表的な和風月名は、「水無月(みなづき)」。

旧暦の6月は、現在の7月頃。いよいよ梅雨も明け、暑さの厳しい日が続く時期です。そこから、水が涸れ尽きて無くなるという意味の「水無し月」が変化したものだといわれます。

最も有力な説は、田んぼに水を張る月という意味の「水な月」だという説です。“な”は“の”という意味の古語で、“無”は当て字というわけです。

ほかに、田植えも終わり、大きな農作業をすべてし終える月であることから、「皆仕月(みなしづき)。これが変化したという説もあります。

 

6月のカレンダー

 

6月1日 衣替え

この日を目安に冬服から夏服へと替える風習です。

 

毎年6月の第3日曜日 父の日 (今年は6月16日)

父の日は、アメリカのワシントン州に住むソノラ・スマート・ドッドによって提唱されたことが始まりだといわれています。ドッドの父、ウイリアム・ジャクソン・スマート氏は、南北戦争(1861年~1865年)復員後、過労によりこの世を去った母の代わりに、6人の子を男手ひとつで育てあげました。
そんな父の姿を見て育った末っ子ドッドが、1909年に父を称えて「父の日」を提唱し、父の誕生月にあたる6月に父の日の式典が開催されるようになり、1972年にアメリカの正式な記念日となりました。
ドッドが父親の好きだったバラを選び、白いバラを父のお墓に供えたことに由来します。

 

6月21日 夏至の日

2024年の夏至の日は、6月21日です。北半球においては、一年で最も太陽の位置が高くなるので、日が昇ってから沈むまでの時間が長く「一年で最も日が長い日」。夏至は立夏と立秋のちょうど真ん中にあたります。梅雨の最中の地域が多いのですが、「夏に至る」と書くように、この頃から夏の盛りに向かっていきます。

 

6月30日 夏越の祓

6月末(6月30日)に行う祓の行事。神社の境内で、茅(ちがや)という草を編んでつくられた茅の輪(ちのわ)をくぐって罪や穢(けが)れを落とすため、「茅の輪くぐり」とも呼ばれています。

古来、日々生活していると、さまざまな罪や穢れが生じると考えられていました。そこで、茅の輪や形代(かたしろ)などで罪や穢れを祓う大祓(おおはらえ)を行うようになりました。6月末に行われるものが「夏越の祓」(夏越大祓)、12月末に行うものを「年越の祓」(年越大祓)といいます。今年前半の穢れを祓って無事に過ごせたことに感謝し、後半も元気に過ごせるよう祈る行事です。

 

 

 

 

説明文は「ウエザーニュース」を参考にしました。


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猫猫寺

2024-05-31 | デジカメ紀行

猫猫寺と書いて「にゃんにゃんじ」。寺紋は肉球です。

猫猫寺は比叡山の麓、大原三千院へ行く途中の八瀬エリアにある猫好きの聖地。築100年の古民家を寺院風にした猫が主役の寺院型テーマパークで、店内すべてが猫アートの美術館です。

猫好き一家の熱い思いが形になっています。

 

 

 

 

<御神木>

むくの木。二本の榊が自生しているそうです。   

 

 

 

中から「猫」ちゃんが外を見ています。

 

<チケット>

   

 

 

館長の加悦 徹さん(雅号 徹應)は、20 歳より神社仏閣を彩色する絵師として全国の仏画・襖絵・天井画等を手掛けられています。 

副管長の加悦順子さんは、羊毛フェルト作家。

息子さんの加悦雅乃(かや みやの)さんも猫作家。

 

 

入口には猫の被り物が置いてあり、被って写真を撮ることが出来ます。

 

入口近くは犬と猫の手作り雑貨スペース。

雑貨ショップには、犬猫作家さん130名程の作品を委託販売。

 

 

塗り絵

 

 

2017年「にっぽん招き猫100人展 大賞作品の『招き猫建造祭』

この作品はTV番組『マツコの知らない世界』でも紹介されたそうです。

それぞれ自由気ままに好きな事をしながら巨大な招き猫を建造している猫たちの姿、好き放題しながらも目指すところは一緒。自由に伸び伸びと、そして周囲に笑顔と幸せを与えるものを作り上げていく。

まさに猫そのものです。

 

ギャラリーでは雅乃さんの作品を見る事ができます。

 

雅乃さん作、22匹の猫を描いた襖絵「日月22匹招き猫の図」

 

 

 

 

バーカウンターのような・・・

 

 

あの「猫」ちゃん、ここから眺めていたんですね。

 

本堂へ向かいます。

=猫磨(にゃるま)=

 

<本堂>

 

羊毛フェルトの猫住職

 

欄間にも「猫」

 

44名の作家による猫の天井画

 

 

歴代の住職さん?

 

=本堂=

本堂に安置されている御本尊の「大日猫来(だいにちにゃらい)」。

22方睨み(にらみ)と言う、どの角度から拝んでも慈悲深いまなざしがついてくるそう。

脇侍は猫観音様(左)と猫不動様(右)。

いずれも仏教美術の技法が使われた本格的な猫佛(ねこぶつ)です。

 

=神式の祭壇=

猫照大御神(ねこてらすおおみかみ)様、素戔猫尊(すさにゃるのみこと)様の二柱が鎮座。

三種の猫器(さんしゅのにゃんぎ)

 「猫玉(にゃがたま)」

 「猫咫鏡(にゃたのかがみ)」

 「草猫劔(くさにゃぎのつるぎ)」

こちらも九頭竜大社の神主の祈祷を受けており、遊び心も合わさった霊験あらたかな本物です。

 

地下では、猫仏展が開催されています。

 

=猫勒菩薩(にゃろくぼさつ)=

 

 

 

 

=空猫(くうにゃん)=

 

 

=猫鈷杵(にゃんこしょ)=

 

 

 

 

 

=猫迦牟尼仏(にゃかにぶつ)=

 

 

=風猫雷猫図屛風(ふうにゃんらいにゃんずびょうぶ)=

 

 

=猫修羅(にゃしゅら)=

 

 

=猫足石(にゃんそくせき)=

 

 

=猫槃図(にゃはんず)=

 

 

=にゃりけん=

 

入口に戻ると、「地域猫」が遊びに来ていました。

 

 

 

<御朱印>

 

 

<絵葉書>

  

 

説明文は公式サイトを参考にしました。


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熊野神社

2024-05-23 | デジカメ紀行

熊野神社は京都市左京区聖護院山王町にある神社。

 

 

811年(弘仁2)修験道の日円上人がこの地に紀州熊野大神を勧請したのが始まりです。

聖護院の守護神です。

熊野神社は全国に3000社以上もあるそうですが、この熊野神社もそのうちの一つです。

熊野神社、新熊野神社、熊野若王子神社の京都三熊野の一つ。

応仁の乱で荒廃しましたが再建し、江戸期に整備されました。ご利益は縁結び・安産・病気平癒・鎮火。

熊野神社では神武天皇が熊野から大和への道のりを八咫烏(やたがらす)に導かれ、大和を平定したという神話が語り継がれています。
この由縁から八咫烏(やたがらす)は神のおつかいとして、良い方向へ導くとされています。
八咫烏(やたがらす)の絵馬に願いを託せば「すべて良い方向へ導いてくださる」ご利益に授かれるそうです。

 

<拝殿、本殿>

 

 

 

 

 

 

御祭神
主神  伊弉冉尊(いざなみのみこと)
相殿に祀られているのは 伊弉諾尊(いざなぎのみこと)
            天照大神(あまてらすおおみかみ)
            速玉男尊(はやたのをみこと)
            事解男尊(ことさかのみこと)

 

ご神紋は、「八咫烏(やたがらす)」3本の脚を持ったカラス。

神使・八咫烏(やたがらす)にちなんでサッカー選手やサポーターの参拝も多いそうです。

 

 

春日大神、須賀大神、神倉大神が祀られています。

 

説明文は公式サイトを参考にしました。

写真は2月3日、節分祭の時に撮影したものです。


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吉田神社

2024-05-16 | デジカメ紀行

京都大学のほど近く、吉田山に建つ吉田神社。

 

京都大学の時計台を見ながら・・・

 

吉田神社

貞観元年(西暦859年)平安京の守護神として創建、導き厄除け開運の神様として崇敬篤き神社です。
境内には、全国の神々を祀る大元宮(重要文化財)や料理の神様やお菓子の神様など、様々なご信仰のお社があります。

 

 

 

 

<さざれ石>

 

 

さざれ石の隣には

 

<吉田神社 本宮>

 第一殿  健御賀豆知命(たけみかづちのみこと)
 第二殿  伊波比主命(いはいぬしのみこと)
 第三殿  天之子八根命(あめのこやねのみこと)
 第四殿  比売神(ひめがみ)

 

第一殿・第二殿の御祭神は諸々の災難より逃れ幸福を勝ち取る厄除・開運の神、第三殿の御祭神は神祇の祖神であり思慮深き学問の神、第四殿の御祭神は女神として女性に特別の徳を授ける神様です。
また第三殿・第四殿は夫婦神として、良縁や夫婦和合の御神徳を。

清和天皇の御代 貞観元年4月(西暦859年)に中納言藤原山蔭(ふじわらやまかげ)卿が京の都の鎮守神として吉田山に勧請し創建されました。
この鎮座地である吉田山は、古来より「神楽岡」(神が集いし岡)と呼ばれ親しまれている聖地であり、現在でもその秀麗な山容は東山三十六峰の12峰目に数えられています。

 

<末社 今宮社>

 

御祭神は 大己貴神(おおなむちのかみ)
     大雷神(おおいかづちのかみ)
     健速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)

古くから木瓜大明神と称され吉田町の産土神として御神徳が授かれます。

鎮座の年代は詳らかではありませんが、建保3年には吉田小社註進状の内にその名が既に明らかにされており、文化13年に現地に造営されたお社です。

 

  

 

  

                               

 

 

<菓祖神社>

 

果物の祖と言われる橘を日本に持ち帰ったとされる田道間守命(たぢまもりのみこと)と、日本で初めて饅頭をつくったとされる林浄因命(はやしじょういんのみこと)の2神を菓子の祖神として祀る社です。
京都菓子業界の総意により菓祖神社創建奉賛会が結成され、昭和32年11月11日 兵庫県 中島神社、和歌山県 橘本神社、奈良県 林神社の祭神を鎮祭された社です。

 

 

  

 

 

 

 

<末社、斎場所大元宮(さいじょうしょだいげんぐう)>

=厄塚(やくづか)=

 

 

延喜式内社全3,132座の天神地祇八百万神を祀る。八角形の本殿に六角の後房を付けた極めて特異な形状をしており、重要文化財に指定されています。慶長6年(1601年)の再建。

 

厄塚は節分祭の期間中、大元宮正面に立ち、参拝者の厄を負するという節分信仰の中心をなします。厄神や心に潜む鬼を塚に封じ込め、社殿と繋がった注連縄により八百万の神との感応を願って一年の健康を祈るものです。

吉田神道の教義により宇宙軸を現す大元宮は、始まりの神(虚無大元尊神)を中心に祀り、そこから生まれ来る八百万の神々を祀る事で、全国の神々を祀る社として、様々な御神徳を授かることができます。

天神地祇八百萬神(あまつかみくにつかみやおよろづのかみ)
  東神明社   天照皇大神
  西神明社   豊宇氣比売神
  東西諸神社  全国68か国の式内神3132座

 

 

昔左京室町にあった社を吉田兼倶が後土御門天皇の御代 文明16年(1484年)に現地に造営、同年11月24日奉請の上遷座されました。
吉田神道の根元殿堂として道を説き 教えを設け、神職界の宗家として「宗源宣旨(そうげんせんし)」、「裁許状(さいきょじょう)」を発行するなど、大元宮を神道の中心地として神祇道の振興に貢献しました。

節分祭では大元宮を中心に特殊神事が行われ、厄塚による厄除祈願の参拝者が群集するなど、本宮と並び賞されるご崇敬極めて篤い社です。

 

<山蔭神社>

 

 

昭和32年の吉田神社御鎮座1100年大祭を機に、全国料理関係者が創建に協賛し、昭和34年5月に鎮祭された社です。

吉田神社創建に貢献された藤原山蔭卿を祀る社です。
山蔭卿は日本で初めてあらゆる食物を調理調味づけたといわれ、古来より包丁の神・料理飲食の祖神として、多くの料理店や業界の方々の信仰を集めています。

説明文は公式サイトを参考にしました。

写真は2月3日に訪れた時のものです。


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豊国神社

2024-05-11 | デジカメ紀行

<豊国神社>

 

御祭神:前関白太政大臣 正一位 豊臣秀吉公

出世開運・厄除招福・良縁成就・商売繁盛の神様として崇敬されています。

慶長3(1598)年8月18日、天下統一を果たした英傑豊臣秀吉公は伏見城においてその波乱に満ちた生涯を終えました。翌慶長4年、中腹に秀吉公を祀る豊国社が創建されました。
豊国社も慶長20(1615)年、大坂夏の陣において豊臣家が滅亡すると徳川家康により廃祀。以後江戸時代を通じ草叢に埋もれてしまっていたが、明治元(1868)年、明治天皇の御沙汰により再興が決定。同6年、別格官弊社に列し、同13年(明治13)には方広寺大仏殿跡地に社殿が造営され名実共に再興されました。

飛地境内の阿弥陀ヶ峯には秀吉公の墓所豊国廟があります。

<手水舎>

 

 

 

 

<豊臣秀吉公之像>

 

 

<唐門>

桃山時代建築の国宝建造物。本殿正面に建つ四脚唐門。南禅寺金地院から移築されました。

伏見城の遺構と伝えられ、欄間や扉などに豪華な装飾が施されています。

 

絵馬は、秀吉の馬印である、千成瓢箪(せんなりびょうたん)に因んだ瓢箪形をしています。

 

拝殿の奥には幣殿・回廊。その奥に本殿、北政所豊臣吉子方おね様を祀る貞照神社があります。

秀吉公の遺品・豊国社の社宝を収蔵する宝物館等もあります。

 

<槙本稲荷大明神(まきもといなりだいみょうじん)境内社>

 

北側に

<方広寺>

大黒尊天の御堂の前には伝教大師御作・豊太閤護持の文字を刻んだ石碑があります。

 

天台宗の寺院である方広寺は、豊臣秀吉が東大寺に倣って大仏(盧舎那仏)を安置するために天正十四年(1586年)から十年もの歳月をかけて造られた寺院です。

文禄四年(1595年)には、南北88m、東西54m、高さ49mの巨大な大仏殿が完成し、高さ約19メートルの木製金漆塗座像が安置されますが、翌年、京都を襲った慶長大地震によって大仏は大破してしまったそうです。

秀吉は慶長三年(1598年)に大仏開眼供養を待たずに亡くなってしまいます。

秀吉の意志を継いだ豊臣秀頼によって金銅製の大仏が完成したのは、江戸時代となった慶長十七年 (1612年)のことだそうです。

 

<鐘楼>

 

 

高さ4.2m、外径2.8m、厚さ0.27m、重さ82.7tもの巨大なこの鐘は、東大寺、知恩院の鐘とともに日本三大名鐘といわれています。

 

天井画

 

梵鐘に彫られた銘文

この「君臣豊楽」「国家安康」が、徳川家を冒涜するものとされ豊臣家滅亡のきっかけとなったといわれています。

「君臣豊楽」「国家安康」は豊臣が君主として家康の名を分断したと徳川家康の怒りをかったそうですが、「国家安康」は国の安泰を願う一般的な表現であることから、現在では徳川家がこの銘文を曲解して豊臣家に因縁を付けたものと解釈されています。

明治17年に建て直された際、天井画(元々は伏見城の女性の化粧室の天井画)が移築されました。

 

瓢箪がぶら下がって・・・

 

 

説明文は公式サイトを参考にしました。

写真は2月1日に撮影したものです。

 

ちなみに・・・

 大河ドラマ第65作で描くのは、戦国時代のど真ん中!!

 強い絆で天下統一という偉業を成し遂げた豊臣兄弟の奇跡ー

 夢と希望の下剋上サクセスストーリーです!

 主人公は天下人の弟・豊臣秀長(とよとみ・ひでなが)・・・だそうです。




 


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