【折々の花だより】

”季節の花だより”
花たちとの出会いを楽しんでます

竹天日干し

2018-02-13 | 花だより
1月から2月にかけての竹の天日干し風景は大和・高山の冬の風物詩となっています。

高山竹林園(たかやまちくりんえん)でみられるとの事で、1月26日、訪れました。

高山竹林園は奈良県生駒市高山町にある市営の公園です。











資料館にやって来ました。


資料館の壁に施された「竹」の模様です。


高山茶筌(ちゃせん)や茶道具、編み針をはじめとする、地場産業の竹製品を紹介する資料館や、竹の生態園、茶室、多目的広場、ゲートボール場、市民サービスコーナーなどが設置されています。

茶筅
室町時代中期に当地(大和国添下郡高山村)の領主であった鷹山氏(高山氏)出身の宗砌(そうぜい)が考案したとされ、近代まで鷹山氏やその家臣による一子相伝の技術として受け継がれ、高山の地を全国一の茶筅産地にしました。
形状、竹の種類により60余種の茶筅を製造し、その工程のほとんどは小刀等を用いた手作業で行っています。
3年生の良質の竹を油抜きし、天日干しを施した後1年以上貯蔵したものを材料とし、各流儀、用途に沿って60~120本ぐらいの穂先を一つひとつ丹念に形作っていく、手づくりの伝統産業です。

茶道具
400年来の伝統を有し、茶筅に並ぶ知名度を誇る高山の茶道具は、茶杓、柄杓、花器、茶合をはじめとする豊富な種類が生産されています。
製法は茶筅同様、その工程のほとんどを、小刀とヤスリを用いた手作業により、これら一連の作業を「秘伝」と称し門外不出にされている茶道具師もあるそうです。
茶道具の材料となる真竹は、絶対量が少ないため、山陰や四国からも移入しています。

編針
明治末期、伸子(しんし)針製造に始まった高山のあみ針製造は、大正7、8年頃の毛糸あみ針の出現を機に、従来の家内手工業から近代工場による大量生産へとその産業構造を変え、一大発展を遂げました。
戦後は、女性の手芸ブーム等による手編み人口の拡大に支えられ、あみ針の需要は急激に増え世界各国へ輸出しています。
時代のニーズにあった製品づくりへの取り組みと、それまで培ってきた高度な製造技術は、四本針や手芸鈎針など高品質のあみ針を生み出し、高山のあみ針の名声を不動のものとしています。

竹炊釜




竹が干されている、多目的広場へ向かいます。









公園には、いろいろな種類の竹が植えられています。











竹の天日干しは、近くの畑でも見ることが出来ます。







説明文は公式サイトを参考にしました。






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北野天満宮、初天神

2018-02-06 | デジカメ紀行
北野天満宮は、京都市上京区にある神社。
菅原道真公をご祭神としておまつりする全国約1万2000社の天満宮、天神社の総本社です。
天神信仰の発祥の地であり、親しみをこめて「北野の天神さん」、「北野さん」と呼ばれています。

創建は、平安時代中頃の天暦元年(947)に、西ノ京に住んでいた多治比文子や近江国(滋賀県)比良宮の神主神良種、北野朝日寺の僧最珍らが当所に神殿を建て、菅原道真公をおまつりしたのが始まりです。

江戸時代には、各地に読み書き算盤を教える寺子屋が普及し、その教室に天神さまがおまつりされたり、道真公の姿を描いた「御神影」が掲げられて、学業成就や武芸上達が祈られてきました。このことがのちに「学問の神さま」、「芸能の神さま」として広く知られるようになりました。

毎月25日は「天神さんの日」で知られるご縁日。菅原道真公の御誕生日である6月25日と薨去(こうきょ)された2月25日に由来しています。
参道には6時頃~21時頃まで露天が所狭しと立ち並び、日没から境内のライトアップも。350の石燈籠と250の釣燈籠にあかりが灯されるそうです。
1月25日の初天神(はつてんじん)には、例月より多い約1000軒の露店が立ち、入試を直前に控えた受験生や父兄の参拝も多くみられます。

雪がちらちら降る中、訪れました。

一の鳥居

高さ11.4メートル。今出川通りに面して建っています。
木曽の花崗岩の一本柱で、大正10年10月に建立されました。
閑院宮載仁親王御筆の「天満宮」の文字の扁額は、高さ2.7メートル
幅2.4メートル、重量は563キログラム。平成26年に修復。


  


鳥居をくぐりふりかえってみると・・・。  


灯篭


楼門


額には、「文道大祖 風月本主」の文言が刻まれています。
平安時代中期の学者・慶滋 保胤(よししげ の やすたね)、大江匡衡
(おおえのまさひら)が菅原道真公を讃えた言葉だそうです。



年末に奉掲するジャンボ絵馬も、京の師走の風物詩として
知られています。


三光門(重要文化財)



楼門と拝殿の間に建つ中門。後西天皇御宸筆の『天満宮』の勅額。
日・月・星の彫刻があることから三光門と呼ばれます。
実際には星の彫刻はないとも言われ、「星欠けの三光門」として
「天神さんの七不思議」に数えられています。




社殿(国宝)

ご祭神菅原道真公をおまつりする本殿と拝殿、石の間、楽の間を連結した日本最古の八棟造(権現造)です。現在の建物は慶長12年(1607)に
造営されたもので、桃山時代の華麗な装飾とともに、
歴史的に非常に貴重な建築とされています。


総面積約500坪。桧皮葺屋根を戴く社殿は、菅原道真公をおまつりする本殿と拝殿が石の間という石畳の廊下でつながり、本殿の西には脇殿を、拝殿の両脇には楽の間を備えた複雑な構造。八棟造、権現造りと言われ、神社建築の歴史を伝える貴重な遺構として国宝に指定されています。
千年余りの歴史のなかで何度も火災にあいましたが、そのたびに朝廷や将軍家によって造営修繕がなされ、現在の本殿は豊臣秀吉公の遺命により豊臣秀頼公が慶長12年(1607)に造営されたものだそうです。
唐破風や黄金色に輝く装飾、精緻な彫刻の数々は絢爛豪華な桃山文化の建築ならでは。

奉納された酒樽です。


社殿をぐるっと周ります。





雲竜梅





後ろに地主社、老松社・・・。


後ろに地主社。


東門(重要文化財)

切妻造り、銅葺きの四足門。
こちらの門を出ると、西陣の花街・上七軒一帯になり、
京都らしい町家が残る人気のエリアです。


見上げると、神紋の「星梅鉢紋」があります。


北野天満宮の境内には、本殿を囲むように50の摂社(せっしゃ)と末社(まっしゃ)が建ち並びます。
菅原道真公ゆかりの方々をおまつりした社もあり、そのご神徳も多彩です。

伴氏社(ともうじしゃ)

子どもの成長と学業成就を守護。


竈社(かまどしゃ)

台所の守り神。


火之御子社(ひのみこしゃ)

五穀豊穣(ごこくほうじょう)の神。


老松社(おいまつしゃ)

植林・林業の神

白太夫社(しらだゆうしゃ)

子授け・安産の神。


福部社(ふくべしゃ)

金運・開運招福の神。



天神さんの七不思議とは・・・。

<その一> 影向松(ようごうのまつ)

表参道の大鳥居(一ノ鳥居)をくぐってすぐ右手に、石の玉垣で囲まれ、
影向松と名付けられた一本の松が立っています。
松は、当宮の創建からこの地にあると伝わる御神木。立冬から立春前日までに初雪が降ると天神さまが降臨され、雪見を愛でながら詩を詠まれるという伝説があり、現在でも初雪が降った日には、硯と筆と墨をお供えして「初雪祭」の神事を行っています。

<その二> 筋違いの本殿(すじちがいのほんでん)

後方朱色の建物が地主社。
参道の正面に本殿がそびえ立つ、というのが多くの神社ですが、当宮の楼門参道の正面には摂社の地主社が立っています。これは、もともとこの地には地主神社があり、のちに菅原道真公をおまつりする社殿を建てたという歴史的な理由から、本殿は地主社の正面を避けて建てられたそうです。

<その三> 星欠けの三光門(ほしかけのさんこうもん)
本殿前の中門は三光門と呼ばれ、神秘的な「星欠けの三光門」伝説が残っています。それは、門の名は日・月・星の彫刻に由来しているけれども星は天上に輝く北極星のことで、実際には刻まれていないという説だとか。
日の彫刻(ホームページより)

月の彫刻(ホームページより)


平安時代、御所の場所は現在とは異なり当宮を北西に臨む千本丸太町に位置し、帝が当宮に向かってお祈りをされる際、三光門の真上に北極星が輝いていたからだと伝えられています。

<その四> 大黒天の燈籠(だいこくてんのとうろう)




三光門の少し東南に立つ石燈籠は台座に大黒様の像が刻まれていて、この大黒様の口に小石をのせて落ちなければ、その小石を財布に入れて祈るとお金に困らないといわれています。
石燈籠は江戸時代に「大黒屋」を中心とする質屋さんの組合によって奉献され、このことからお金の運だめしが始まりましたが、「落ちない」ことから受験生にも知られるようになりました。

何人かの方が小石を探されていましたが、雪が残っていたので・・・。

<その五> 唯一の立ち牛(ゆいいつのたちうし)
(ホームページより)

天神さまのお使いとして、境内には神牛の像や彫刻が数多くみられますが、これは菅原道真公が丑年生まれであったことと、大宰府でご生涯を閉じられた際、道真公の御遺骸をお運びする途中で車を引く牛が座り込んで動かなくなって、やむなく付近の安楽寺に埋葬したという故事に由来。この伝説から神牛は臥牛(伏した牛)の姿であらわされていますが、一体だけ立った姿の神牛が拝殿の欄間(らんま)に刻まれているそうです。

<その六> 裏の社(うらのやしろ)



ふつう神社は前から拝むように造られていますが、当宮の本殿は背面にも「御后三柱(ごこうのみはしら)」という御神座をもっています。道真公の御神座と背中合わせの形で北向きにおまつりされているのは道真公のご先祖様の天穂日命、おじい様の菅原清公卿、お父様の菅原是善卿の三柱の神様です。その昔、天満宮の参拝はこの「御后三柱」も含めて礼拝するのを常としていたそうです。

<その七> 天狗山(てんぐやま)
当宮の境内の北西の角には天狗山と呼ばれる小山があります。室町時代に描かれた『社頭古絵図』(北野参拝曼荼羅)には、ユーモラスな烏天狗が描かれており、大昔、この辺りには天狗が出没したのかもしれないと想像をかきたてられる場所です。
また、この場所は都の守護を司った乾(北西)に立つ北野天満宮の境内のさらに乾にあることから特に神聖な場所とされてきました。


境内へもどります。

絵馬掛所

鳥居をくぐっていくとたくさんの絵馬がかけられています。
学業成就、合格祈願などの願いが込められた絵馬は、
毎年10万枚にも及ぶそうです。

境内の北西にまつられている一願成就のお牛さま(ホームページより)

なでると一つだけ願いがかなうという「一願成就のお牛さん」を
おまつりしています。


境内では「さるまわし」のイベントがありました。

最後の御挨拶。


境内で。

キンカン


ロウバイ



お土井






桃山時代、豊臣秀吉公は洛中洛外の境界、水防のための土塁「御土居」を築きました。その一部が残る境内の西の一帯は長らく自然林で、自生のものと後に植林されたものを含め、現在、約300本の紅葉を有する名所「もみじ苑」となっています。


源平咲き分け梅


飾り彫り物







織部の灯篭




茶人好みの石灯篭のひとつ。
古田織部の墓にあるものの形に因んで名付けられ、マリア像の彫刻が
あることから、マリア灯篭、切支丹灯篭とも言います。


世継ぎの梅



火鉢で温まりながら「長五郎餅」を頂きました。



境内に奉納された牛たち。












脇道をそれて・・・。

東向き観音寺


本堂


左手に白衣堂


行者堂


右手に辨天堂


菅公御母儀伴氏大五輪供養塔


参道にはたくさんの屋台が並んでいます。
















『東風吹かば 匂ひおこせよ 梅の花 主なしとて 春をわするな』
拾遺和歌集

道真公は太宰府へ赴く前、自邸に咲き誇る梅に向かってこう詠んだそうです。
この歌の意味は、「春風が吹いたら香りを送っておいで、梅の花よ。主人がいないからといって、春を忘れないでおくれ。」というもの。
梅を愛でた気持ちが見えます。
梅はあらゆる花の先頭を切って花を咲かせるので、別名「春告草(はるつげぐさ)」と呼ばれています。

京都の中でも梅の名所として有名な北野天満宮では2月から3月の間、約1,500本もの梅が境内を彩り、珍しい品種も並ぶ梅苑も限定公開されます。
2月25日の道真公の命日には「梅花祭」が催されます。

説明は公式サイトを参考にしました。


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