【折々の花だより】

”季節の花だより”
花たちとの出会いを楽しんでます

稲渕、案山子ロード

2020-10-30 | デジカメ紀行
安倍文殊院から、明日香村稲渕地区へやってきました。

稲渕の棚田は、中世(平安~室町時代)に開墾され、日本の棚田百選にも選ばれている名所です。
300枚あまりの水田と畑により形作られ、明日香村の美しい歴史的景観の一部となっており、農村の原風景を強く残しています。(平成23年重要文化的景観指定)
彼岸花の県下有数の自生地でもあります。





飛鳥川にかかる勧請橋。正月に村の入口にしめ縄を張り一年の息災を祈ります。

  
案山子ロードへ

稲渕地区の案山子ロード。今年の案山子のテーマは絆。




棚田風景






30体ほどの案山子が点在しています。

「来年こそ皆の絆でオリンピック!!」



「時代を生きる」



「小さな世界」



「共存共榮」



「バトンをつなごう」



「なかよし」



「カエルの家業」



「お月見しましょ」



「♪棚田に響くトリオの調べ」



「(母と子)親子の絆」



ひときわ大きく・・・

「コロナと共に」







「キリンちゃんがきた」



Kiss?きずな?・・・




リモートお茶会でしょうか?

二人が見ていたのは・・・



顔はめパネル



フジバカマのある風景






京都から、原種を分けてもらわれ、大事に育てられています。
2000キロ㍍以上海を越えて旅をするアサギマダラも飛来したそうです。




  

  

  

汚水管マンホール蓋

中央に明日香村章。
村の花タチバナと村の木ツキ(けやき)で囲むデザイン。 「あすかむら」「おすい」の文字。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

安倍文殊院

2020-10-29 | デジカメ紀行
「安倍山崇敬寺」(安倍寺)
孝徳天皇の勅願によって大化改新の時、左大臣となった安倍倉梯麻呂(あべのくらはしまろ)が
安倍一族の氏寺として建立。
大化元年(645)安倍倉梯麻呂が創建した安倍寺(崇敬寺)は、現在の寺の南西約300mの地に法隆寺式伽藍配置による大寺院として栄えていました。(東大寺要録末寺章)
鎌倉時代に現在の安倍文殊院の土地に移転後も、興福寺官務牒疏によると塔頭寺院二十八坊の存在が記されているように大和十五大寺の一つとして栄えていました。
永禄六年(1563)松永弾正の兵火を受け一山ほとんどが火災で焼失、約100年後の寛文五年(1665)に現在の本堂(文殊堂)が再建されました。
日本三文殊の第一霊場「奈良県・大和安倍の文殊」(京都府・天橋立切戸の文殊、山形県・奥州亀岡の文殊)としても知られています。

10月6日訪れました。

境内図


弁財天、奈良時代の遣唐使・安倍仲麻呂、平安時代の陰陽師・安倍晴明がお祀りされている方位災難除けの金閣浮御堂や特別史跡の古墳、安倍晴明が天文観測をしたと伝わる展望台などがあります。

受付を済ませ、本堂へ向かいます。

<西古墳>



飛鳥時代に造立されました。国の指定史跡の中で特に重要である「特別史跡」に指定されて
います。
古墳の特別史跡指定は全国でも数件で、明日香の石舞台古墳、キトラ古墳、高松塚古墳と共に、
境内には二か所の史跡指定古墳があります。

内部は、大化元年(645)当時のまま保存されており、石材は良質な花崗岩を加工し、左右対称に石組みがされています。玄室の天井岩は一枚の石で、大きさは15㎡あり、中央部分はアーチ状に削られています。古墳内部の築造技術の美しさは日本一としても定評があります。
現在、この古墳には弘法大師が造られたと伝わる「願掛け不動」がお祀りされていますが、本来は大化元年に初の左大臣となり当山を創建した安倍倉梯麻呂の墓と伝えられています。


<金閣浮御堂(霊宝館)、文殊池>



<阿倍仲麻呂公望郷詩碑>





<手水舎>


手水舎後ろから

金閣浮御堂が見えています。


<本堂>



入母屋造りの七間四面の建物で前に礼堂(能楽舞台)を従えています。


渡海文殊群像(とかいもんじゅぐんぞう)

(ホームページより)

御本尊は「三人寄れば文殊の智恵」のことわざでも有名な文殊菩薩で、日本最大約7mと伝わる、
快慶作の国宝です。

獅子に乗る文殊菩薩を中心として、向かって左に維摩居士(最勝老人)と須菩提(仏陀波利三蔵)、向かって右に獅子の手綱を持つ優填王と先導役の善財童子、四人の脇士を伴う「渡海文殊群像」は、雲海を渡り、私達衆生の魔を払い、智恵を授ける為の説法の旅に出かけているお姿だそうです。


<本坊>


<伊勢神宮への大道標>





<鐘楼>



<稲荷社>







花の広場の方へ。

秋には、例年、コスモスを使った迷路が楽しめます。今年は中止。
11月頃からは、縦20㍍横25㍍の広場に、花を使った干支のジャンボ花絵が描かれます。

<不動堂>




奥に見えているのは、不動堂。




奥に見えているのは、浮御堂。

  

  

  

    

  



  

チョコレートの香りがします。


カラスウリ



<石仏群、弘法大師像>






<十一面観音>






<東古墳>




  
<白山堂>



室町時代に建立されました。流造屋根柿葺(こけらぶき)で美しい曲線の唐破風をもった社殿で、国の重要文化財にも指定されています。
御祭神は全国の白山神社に祀られる白山比咩神(しらやまひめのかみ)と同一神である菊理媛神(くくりひめのかみ)。鎮守。
白山信仰と陰陽道は古くより深く結びついた為、安倍晴明ゆかりの当山に白山神社の末社が勧請されました。菊理媛神は『日本書紀』によると伊弉諾尊(いざなぎのみこと)と伊弉冉尊(いざなみのみこと)の縁を取り持たれた神様で、菊理媛の「くくり」は「括る」にもつながり、古来より縁結びの神様としても信仰されています。「縁」は巡り合わせでもあることから、人と人を結ぶ良縁成就も祈願下さい、と。


<合格門>


合格門をくぐって行くと、展望台に。








花の広場、金閣浮御堂、二上山へと、続きます。






<ウォーナー博士碑>






<晴明堂>

平安時代の陰陽師、安倍晴明をお祀りしています。

説明文は公式サイトを参考にしました。


安倍文殊院を後にして、明日香の稲渕へ・・・

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

九品寺

2020-10-14 | デジカメ紀行
九品寺(くほんじ)
奈良県御所市楢原、金剛葛城山系に栄えた戒那千坊の一院で、奈良時代に行基菩薩が開創したと伝えられています。行基は聖武天皇のとき奈良東大寺の大仏造営にかかわった僧で、その生涯は民衆救済のため布教活動を続けています。
1558年、弘誓大和尚が出でて専修念仏の道場とされてから浄土宗に族しました。
山号、戒那山( かいなさん)。
本尊は、阿弥陀如来像(重要文化財、藤原時代)。

10月2日訪れました。












慈母地蔵尊



鐘楼



地蔵堂



本堂


扁額







九品寺の本堂脇の小道を抜けて裏山へ進むと、道沿いにズラリと石仏が並びます。



千体地蔵尊
九品寺を代表する千体地蔵です。正確には1,800体ほどです。約200年ほど前に境内の竹やぶ開墾の時に、土中から出現されたものを現在の位置に並べれられてものです。
楢原氏は南北朝の戦いのとき、南朝に味方していた楠木正成公のため一族を引き連れて参戦しています。その戦いに行くとき、一族は身代わりのため石仏を彫って菩提寺だった九品寺に奉納したのが、いまに伝える千体石仏です。


















灯籠の上に、フクロウが。


  


本堂の上のほうから。


彼岸花で知られる九品寺ですが、寺の北東に咲いています。































説明文は御所市観光ガイドを参考にしました。


九品寺を後にして・・・。

葛城坐一言主神社( かつらぎにいますひとことぬしじんじゃ)


葛城の大神、一言主神は日本書紀などによると雄略天皇と争ったとされており、葛城氏と大和朝廷の対立が偲ばれます。 地元では「一言さん(いちごんさん)」として親しまれ、どの様な願い事でも一言の願いならばかなえてくれると信じられています。境内には推定樹齢1,200年の大イチョウや松尾芭蕉の句碑などもあります。

近くの棚田で。









  


葛城坐一言主神社、説明は、公式サイトを参考にしました。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

琵琶湖桂浜園地、彼岸花

2020-10-07 | 花だより
滋賀県高島市では、琵琶湖のほとりにヒガンバナが咲き広がり、秋の訪れを告げています。



湖岸に広がる真っ赤な秋の花。滋賀県高島市の桂浜園地では、ヒガンバナが南北300メートルほどにわたって群生しています。
ことしは例年より一週間ほど開花が遅く、 この群生地では、9月いっぱいは花の風景を楽しめるということです。
9月27日訪れました。



























  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

眉刷毛万年青(まゆはけおもと)

2020-10-04 | 花だより
眉刷毛万年青(まゆはけおもと)



彼岸花(ひがんばな)科。
原産地は南アフリカ、 日本へは明治時代の初期に渡来しました。
 
葉っぱは多肉質で、「万年青(おもと)」の葉に似ており、花の形状と合わせて「眉刷毛万年青」と名付けられました。
別名「ハエマンサス」。
9〜11月になると、花茎を伸ばし、白色で筆のような白い花を咲かせます。
先が黄色いのが雄しべで、先が裂けているのが雌しべです。
11 月 13日の誕生花。
花言葉は「純粋」。








梅一輪、咲きました。
盆栽仕立てに・・・。




  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

円照寺、彼岸花

2020-10-04 | 花だより
円照寺
加古川市北西部の田園地帯に位置し、北には中世の城跡がある城山、北西に山陽自動車道の加古川北インターがあります。

1441年開基。旧本堂が老朽化したため、20年前に100m北から現在地に移転。
浄土真宗本願寺派。
お釈迦さまの教え、親鸞聖人の教えを大切にしながら、心が安らぐ、生きる元気が出るお寺にしていきたいと願ってられます。

花の寺でもあり、春はクリスマスローズ・ツバキ、夏はアジサイ・ノウゼンカズラ、秋は五色のヒガンバナの名所としても親しまれています。

9月24日訪れました。

田園風景が広がります。


草花を見ながら。

  


   
 
   


塀に沿って、ノウゼンカズラが顔を出しています。







チョコレート色の屋根の本堂が見えてきます。







本尊は阿弥陀如来像。



本堂の欄間


江戸時代後期の作、枠からはみ出してつながった巨大な龍の彫刻があります。



本堂の前に






鐘楼


梵鐘




豊臣秀吉が陣鐘として戦場で使い、中国大返しの際志方に残して行ったと、伝わっています。
「明応7年(1498年)周防国大和相秀」 作「富田保上野八幡宮(現山口県周南市)」の銘。
年齢516才。



梵鐘の足元に


境内のお花達。

<彼岸花(ひがんばな)>



別名、リコリスや曼珠沙華(まんじゅしゃげ)とも呼ばれ、日本特有の「彼岸」の時期に咲く花として知られています。
水戸市植物公園の西川園長のお話を参考に・・・。

学名 Lycoris Radiata
科・属名 ヒガンバナ科・ヒガンバナ属
英名 Spider lily
原産地 日本、中国
開花期 7~10月
花の色 赤、白、ピンク、黄、クリームなど。

彼岸花は「まず花が咲き、後から葉っぱが伸びる」という通常の草花とは逆の生態をもっています。その葉と花を一緒に見ることがない性質から「葉見ず花見ず」と呼ばれ、昔の人は恐れをなして、死人花(しびとばな)や地獄花(じごくばな)などと呼ぶこともありました。
彼岸花の見頃の時期は、9月下旬あたりです。自生している原種は彼岸である秋分の日前後に花を咲かせますが、品種改良によって最近では夏〜秋の間に見頃の時期を迎えるものもでてきました。

その印象的な赤い花色から「情熱」「思うのはあなた一人」といった花言葉が生まれたといわれています。

リコリス・アルビフローラ(白花曼珠沙華/白彼岸花)
白い花びらをしていることから白彼岸花とも呼ばれる品種です。花が咲いた後に葉がでる。花びらの縁がゆるやかな波を打って外側に反る特徴があります。

オーレア(ショウキラン/ショウキズイセン)
黄色の花びらをした原種で、花が咲き終わった後に葉っぱが生えてきます。花びらが波を打って外に反り返る特徴があります。








<酔芙蓉>





<萩>
























説明文は公式サイトを参考にしました。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする