かつて約4000本の梅が咲いて観光客でにぎわいながら、大半が枯れた奈良市中町の「追分梅林」の復活に、奈良県内などの若年性認知症の人と地域住民が挑み始めました。観光、加工品販売などを通じ、雇用の場の創出も目指しています。
第2阪奈道に近い緩やかな谷間の両斜面約11,5ヘクタール。追分梅林組合が約50年前に丘陵地を切り開いて造られました。
関西有数の梅林として賑わいましたが、水路から水があふれるようになって土壌悪化が進みほとんどが枯れてしまい、2011年3月から一旦閉園して農地改良造成を行っていました。
追分梅林復活プロジェクトなどにより、造成工事が続いていますが、2016年春には70本ほどの木で開花。
最終的には4500本ほどになる計画となっています。
3月15日訪れました。
実った梅の実を刈り取る「梅狩り」も5月下旬~6月上旬に予定されています。
その他に見られた花たち。
村井家
村井家住宅は奈良から生駒暗(くらがり)峠を越えて大阪にいたる街道沿いに位置し、ここが大和郡山との分岐点であるために追分の本陣と呼ばれています。
主屋の屋根は茅葺(かやぶ)きと桟瓦葺(さんがわらぶ)きを組み合わせた大和棟(やまとむね)形式で、この主屋の南東に上段の間、控(ひかえ)の間、玄関などからなる座敷棟が接続します。
宿場建築として貴重。
主屋:桁行14.89m、梁間8.87m、切妻造段違、茅及び桟瓦葺
本陣座敷:桁行12.73m、梁間8.67m、切妻造、桟瓦葺 西北面主屋に接続
年代 19世紀初め~中頃(文化~文政)
我が家の梅(雨あがりの16日撮影)です。
第2阪奈道に近い緩やかな谷間の両斜面約11,5ヘクタール。追分梅林組合が約50年前に丘陵地を切り開いて造られました。
関西有数の梅林として賑わいましたが、水路から水があふれるようになって土壌悪化が進みほとんどが枯れてしまい、2011年3月から一旦閉園して農地改良造成を行っていました。
追分梅林復活プロジェクトなどにより、造成工事が続いていますが、2016年春には70本ほどの木で開花。
最終的には4500本ほどになる計画となっています。
3月15日訪れました。
実った梅の実を刈り取る「梅狩り」も5月下旬~6月上旬に予定されています。
その他に見られた花たち。
村井家
村井家住宅は奈良から生駒暗(くらがり)峠を越えて大阪にいたる街道沿いに位置し、ここが大和郡山との分岐点であるために追分の本陣と呼ばれています。
主屋の屋根は茅葺(かやぶ)きと桟瓦葺(さんがわらぶ)きを組み合わせた大和棟(やまとむね)形式で、この主屋の南東に上段の間、控(ひかえ)の間、玄関などからなる座敷棟が接続します。
宿場建築として貴重。
主屋:桁行14.89m、梁間8.87m、切妻造段違、茅及び桟瓦葺
本陣座敷:桁行12.73m、梁間8.67m、切妻造、桟瓦葺 西北面主屋に接続
年代 19世紀初め~中頃(文化~文政)
説明は、毎日新聞2016年11月1日付、「追分パークへようこそ!」
パンフレットを参考にしました。
パンフレットを参考にしました。
我が家の梅(雨あがりの16日撮影)です。