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友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

どうして威張りたがるのだろう

2013年01月16日 17時50分46秒 | Weblog

 町内の新年会の後、二次会に誘われてその自宅に行った人がいた。座敷の奥に、たいそうふんぞり返ってる人がいると思ったけれど、誘ってくれたこの家の主人ではなかった。その隣りにいた人は町内会の前の会長さんだと紹介された。けれども知らなかったので、軽く挨拶した程度だった。どうもそれが気に入らなかったのか、「見ない顔だな。どこの何という名だ」と言われた。そのぞんざいな言い方に、えっと思っていると、隣りに座っていた男が代わって、どこどこの誰々で「空手の先生ですよ」と要らぬことをしゃべった。

 「空手?どれくらいやってるんだ」とふんぞり返っていた男が聞いた。「そんなに長くやっていませんよ」と答えると、「先生だと!大きな顔するな」と男が言った。つかさず前の町内会長が「どこで空手をやっているのか知らんが、もぐりじゃーないのか」と畳み掛ける。あまりの言葉にビックリしたけれど、それより先に頭に血が上った。「なんなら、おふたりの顔を砕きましょうか」と言ってしまったそうだ。

 町内会とか自治会とかは、多少の手当てが出ていても基本はボランティアである。役職の違いはあっても、どちらがエライというものではない。以前、会長になった人が他の役員を「君つけ」で呼ぶことがあった。ここは会社ではない、ましてや他の役員は部下ではない、だから君づけは間違っている。けれども若年の私が言っては角が立つ。そこで会長よりも年上で常識のある人に忠告してもらった。同じ町内に住んでいるというだけで、社会的な身分も年齢も関係ない、あくまでも平等である。

 ところが、会社での地位とか、ひどい人はどこの大学を出たということを鼻にかける。会長とか区長とか言ったところで、それはたまたま引き受けることになった役職でしかないのに、まるで会社における地位のように錯覚している人がいる。トップになればなるほど「皆さんのおかげです」と頭を下げなくてはならないはずだが、たとえば会長や区長に許可を貰わないと出来ないようなこともあるので、自分がエラクなったように錯覚してしまう人もいるのだろう。

 「とても酒を飲み交わす気分ではなかったので、すぐに失礼させてもらった」と言うので、「世の中にはそういう人もいる。ケンカだけは絶対にダメだよ」と答えたけれど、本当に困った人がいるものだ。どうしてそんなに威張りたがるのだろう。

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