友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

それが情けない

2013年01月08日 19時43分09秒 | Weblog

 胃潰瘍とか十二指腸潰瘍とかを患った人でないと、その痛みがどれほど苦しいか理解できないかも知れない。軽い時なら牛乳を温めてビスケットと食べれば治まってしまう。しかし、あまりに痛みが続くと抉りとって欲しいとさえ思う。空腹時が特に痛む。夜中に痛み出した時は最悪である。原因はストレスと言われているけれど、私はストレスなど感じていなかったので医者に、「別に普段どおりです」と力説するが、医者は「胃は正直な臓器ですよ」と言う。

 明治の文豪、夏目漱石は胃潰瘍で苦しんだ。胃が痛くなると冷静さを失い、イライラする。漱石もよく癇癪を起こしたようだ。痛みを抑えるために、白湯を飲んだり、煮えたぎったコンニャクを胃の上にのせて蒸すという治療もしている。コンニャク療法は摩訶不思議な治療だと笑う人もいるが、実際に胃を温めると少し楽になる。昔の人は、胃や十二指腸の痛んだ部分を摘出する手術を受けたけれど、最近では薬で治療できる。

 『草枕』の冒頭で、「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくこの世は住みにくい」と述べているのは、漱石の本音だろう。漱石がロンドンに留学したのは30代半ば、よほど思っていた生活とは違っていたのだろう、心の病に陥っている。千円札の漱石は物静かに思考しているように見えるが、とても神経質で気配りの人だったのかも知れない。「秋風や ひびの入りたる 胃の袋」とか、「酸多き 胃を患いてや 秋の雨」などという俳句もある。

 その漱石が昨日の新聞で取り上げられていた。ハルビン駅で伊藤博文が暗殺された事件について、漱石が満州の日本語新聞に寄せた紀行文で触れているという記事である。中日新聞から引用すると、「漱石は『驚いた』と繰り返し、『公の死は政治上より見て種種重大な解釈が出来る』などと記述。ただ、自らを『政治上の門外漢』として、事件には簡単に触れるだけにとどめている」。朝日新聞も同様な内容だった。

 私の中学からの友だちもブログに、「漱石は自らを政治上の門外漢と称したそうだが、私も政治に関してはまったくの素人」などと書いていた。しかし、門外漢という言い方は卑怯だと思う。「専門家」と称する「政治家」がいったいどれほどの者なのか、政治は専門家をつくってはいけないのではないだろうか。原発にしても、教育にしても、税金にしても、自分の意見を持つことの方が大事なのではないのか。漱石が「自分は門外漢」と逃げたように、人は皆、政治から1歩引くようにしている。だから少しも政治は変わらない。全ての人が、好む好まないにかかわらず、政治の中で生きているのもかかわらず、自分だけはそうではないと思っている。それが情けない。

コメント (2)
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