友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

成人式

2013年01月14日 17時06分54秒 | Weblog

 降っていた雨が止んだ。関東は雪降りのようだ。今日は成人の日、各地で成人式が行なわれた。成人式の会場の係りの人が「最近また晴れ着が多くなってきましたね」と言っていた。中学校が荒れていた時、その子たちが成人式を迎える頃はやはり成人式も荒れていた。会場に来てもなかなか式場に入らなかったり、既に酒を飲んで来ているような子もいた。スーツ姿が多かったけれど、干支のぬいぐるみで来た子もいた。それはそれで構わないと思うけれど、式は野次と怒号で散々な時もあった。口笛が鳴らされたり、演壇に向かって物が投げられたり、職員がたくさん配置され、注意して回った時もあった。

 私は20歳の時、成人式には出なかった。出る必要を認めていなかった。前日から友人たちが我が家に集まり酒盛りをしているうちに、いつしか眠り込み、みんなで「さあ、行くぞ」と出かけた時には式が終わっていた。会場の中学校から同級生らが帰って来て、その連中とまたぞろ祝杯を挙げに出かけて行った。それを思うと、成人式に出る人の方が真面目なのだと思う。学校のように出欠をとるわけではないし、出ても出なくても咎められることでもない。どうしてみんな、あんなに揃って式に参加するのだろう。20歳の人が式に来なければ、そのうちに成人式はなくなるだろうと思っていたけれど、未だに続いている。

 結婚式が派手になったり地味になったりしているが、成人式もどうやらその繰り返しのようだ。一生のうちに何度着るのだろうと思う振袖を、買うのか借りるのかして着せる親は大変である。こんな雨の日は、振袖を汚さないでと気が気でないだろう。成人した我が子を眺め、「いろいろあったけれど良かったね」と言う親の言葉に、「ありがとう」と泣き崩れる子がいた。節目の儀式は、こうした親子の確認のためなのかも知れない。

 昨日も出陣式に行ってみてそう思ったけれど、20代の参加者はいない。もしいたなら候補者の子どもくらいだろう。20歳の子がアジ演説をしていたら、大人の中にも多少共感する人はいるかも知れない。けれども、年寄りの演説に共感する子どもはいないだろう。私は20代の頃、年寄りの言うことなど馬鹿にしていた。早くくたばった方が世の中のためだぞと思っていた。20代の若者より私の方がはるかに革新的で先進的な意見であったとしても、若者たちからすれば、どいつもこいつも偉そうなことを言ってるだけだとしか受け止められないだろう。世代とはそういうものなのだと最近よく思う。

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