大阪市立桜宮高校の生徒が自殺した。バスケット部の主将だった。練習試合でミスを犯し、顧問の男性教諭にその場でたたかれた。午後9時半ごろに帰宅し、母親に「お弁当おいしかった。今日もかなり殴られた」と話した。顧問宛に手紙を書いているが、渡す前に首を吊って死んでしまった。「遺体は頬が腫れ、唇が切れている」(母親の話)。「これは体罰ではないのですか」と、通夜の場で母親が顧問に問いただすと、顧問は「本当に申し訳ありません」と謝罪した。
殴る、たたくは運動部でよくある。我が家の隣りの運動場で、日曜日は少年野球と少年サッカーのクラブチームが練習をしているが、指導しているコーチの声を聞くと寒気がする。「何をやってるんだ。こんなことができないのか。お前はバカか」と罵声が飛ぶ。強くしたい、勝つチームに育てたい、コーチなら誰もがそう思っているだろう。だから熱が入る。熱くなればなるほど、声だけではすまなくなり、「愛のムチ」がとぶことになる。
私の中学校の時、「私が殴った生徒は東大にいった」と言う先生がいた。予科練出の国語の先生で、「歯を食いしばれ」と言って、平手打ちをした。怖いと思ったけれど、尊敬できるとは思えなかった。殴られてまでして東大へいきたいと思わなかった。教員になった時も、私の中学生の時からすれば10年近く経ていたのに、生徒を殴る先生がいた。「殴ってやらないとあいつらは分からん」と言う。「言葉で分からせるのが教師の務めだ。それが出来ないなら辞めた方がいい」と、言い合いになった。
テレビの記者会見を見ていたけれど、どうして顧問の教諭は会見しなかったのかと思った。もっぱら市の教育委員会が説明していたのは、体罰について調査したという自己弁護なのだろうか。教諭は日頃から「たたいたり」「殴ったり」していたことを認めている。彼は信念を持って指導したというわけだ。特に主将である自殺した生徒を殴ったのは、「発奮させるために厳しくした」と述べている。ならば、校長や教育委員会の後に隠れてしまわずに、堂々と自分の見解を述べたらいいと思う。
それでもきっと、立場が逆であれば、つまり自分の子どもが先生から体罰を受けて、自殺にまで追い込まれたなら、彼は「一体どういう指導をしているのだ」と逆上するのではないだろうか。カッカとなりやすい人は、事態を冷静に見られない。自分のしていることは正しいとしか思っていない。みんなの前で叱られ、殴られ、罵倒される側の身に自分を置き換えてみることができないのだ。
世の中には怒りっぽい人がいる。そういう人は、逆の立場になってみることだと思うけれど、相手の立場に立てないから、平気で罵ることが出来るのだろう。こういう人はどうしようもないのだろうか。