無駄にタスクを溜め込んで、やりたくないエネルギーをチャージしている。
マイナス方向にパワーを蓄積させると、後は爆発するのみ。
わたしの場合、歳も歳だし、爆発はしんどいなあ、と自分を自分で労わり、少しずつ小分けにして、マイナスパワーを消化しようと思っている。
毎日、とは言わないが、気が向いた時に、マイナスからゼロに向けて、ちょっとずつ、借金を返すかのように動こうとしている兆しを感じる。
ゼロになるのが理想で、ゼロからプラス、負から正にはあまり期待もしていないし、頑張る気もない。
とりあえずは、ぼちぼち動いたほうがいいかなあ、と、胎動を感じているところ。
熊の長い冬眠から一瞬目が覚め、トイレタイムか、おやつタイムか。
常にわたしは、マイナスのところに位置する。
それをさらにマイナスにしないよう、そして、少しでもマイナスを減らすよう、ちょっとだけ頑張る。
それで十分、わたしは仕事を成した気がして、満足して落ち着く。
とことん仕事しない人間である。
かといって、世間の皆様のお荷物にはなっていない。
自分はお荷物になっていると感じる人もいて、助けの手を求めないこともあるようだ。
そういう考えだと、生産性のない人間は生きる価値がない、みたいな極論にも達しかねない。
このコロナ渦、芸術関係の人は、生産性云々の面では随分苦しんだだろう。
第一、活動停止で収入が途絶える。
だが、芸術系はいつもいつも発信するわけではないので、穴に潜り、強制的にエネルギーをチャージする機会になっている。
ただし、売れる場合。
売れる芸術は、もはや芸術ではないのかも知れないが。
売れるということは、商業と(芸術的)才能と時代が一致したということ。
どれが欠けても、成立は難しい。
売れない秀悦なものは、世の中ゴマンとある。
芸術に限らず、実業界でも、一人の超優秀な人が、たった一人だけで全身全霊をかけて作ったものは、商業的には成功しないという説がある。
コラボや運、時代の波は必須ということだ。
と、どうでもよい、自分には全く関係ない話をダラダラ脱線。
平凡な名もない歴史に当然残らない一個人の、わたし。
ほとんどの人がそうであるように。
悪名高き大悪人とかよりは、まあマシだが。
ちなみに、お一人様シリーズを掲げて久しい上野千鶴子さんが、お一人様の一人死のススメを提唱されている。
一人住まいの自宅で老衰で死ぬのが、1番の安楽らしい。
発見されるのは、通いのヘルパーさん。
高齢になると、なんらかの介護側の機関や人材、ケアマネさんやヘルパーさんが関わっているだろうから、誰かが毎日のように顔を出してくれるとすると、孤独死放置数ヶ月、なんてことはないはず。
それ、なんだか、気持ちが楽になる。
娘たちは、お互いの自宅の近所の老人施設をわたしに勧めるが、理想はやはり自宅が良い。
病気になれば、入院先病院へ、
認知症になって独居困難なら、認知症を受け入れてくれる施設へ、そういう場所で一生を終える。
とりあえず自立生活できるなら自宅で、老衰希望。
老衰とはいえ、寝たきり期間があるはずだから、最後の一定期間はどこかにお世話になることになりそうだ。
寝たきりで一人住まいは、ちょっと無理がありそう。
寝たきりだとトイレも行けない。
上野千鶴子さんの理想的お一人様老衰死は、現実的にはまだ詰めなければならない点もありそうだが、とりあえずは行く道に灯を照らしてくれたような感じではある。
元気でまだピンピンしているわたしだが、そしてつい最近、姑を亡くしたばかりだが、さらにまだ老母親が健在だが、先の話は早くからプランしておいても悪くない。
ではあるものの、娘たちが、近所の老人施設に入る案に身を乗り出して賛成するものだから、ちょっと気分を害した。
病児保育と、ばあちゃん食堂で、まだ5〜10年は頑張らないといけないのに。
ちなみに、話はころっと全く変わるが、他ブログを読んでの感想。
モラハラは地獄。
モラハラまたはDVと、優しいフォローの繰り返し(揺り戻しの如く)は、モラハラを断ち切る道をふさぐ。
家庭内だとプライベートでデリケートなので、各人、不干渉という立場を取らざるを得ない。
外から救いの手を差し伸べる機関もあるようなので、勇気をもって相談してみると道が拓けるかも知れない。
親子や夫婦の問題は複雑で、社会から目に見えない。