去年、突然、ブログから姿を消したケイコさん。
彼女は異国で奮闘中のギャラリスト。
コロナ渦の中、旅行を目前に、この時期、行ってもよいものかと悩んでおられた。
その旅行、行ったのか行かなかったのか、どうなったんだろう、、、と待つこと数週間、数ヶ月、ついに、一年以上が経過した。
それまでは毎日ブログ更新され、いつもブログ村エッセイ注目記事では1位2位3位をケイコさんの記事で独占されていた。
が、ある日、ブログ村を脱会されたものの、書いておられたので、わたしはブログ村を経由せずに引き続き愛読していた。
にもかかわらず、何も言わずに、ある日、いきなり、、、。プッツーン。
ケイコさんの遠征はギャラリーオーナーさんとの旅行だった。
お一人様、独身バツゼロ、一人住まいのケイコさん、、、ひょっとして、、、オーナーさんはビジネス戦友、親友とは言うものの、異性。
何かしらの展開があって、自分の気持ちに正直なケイコさんのことだから、心の整理がつくまでブログは中止されたのかと勝手に想像していた。
さて、わたし。
この度、スマホの機種変更に伴い、画面に貼り付けているケイコさんのブログを画面から消そうとした。
どうせ更新されていないだろう。
もう一年あまりも私のスマホ画面に貼り付けてあるものの、必要ないと思い、その前にとりあえず、開いてみた。
あ、つい最近、更新されていた。びっくり。
そして記事を遡り紐解くと、1年近く放置されていた理由、経緯も説明されていた。
そうだったのか、、、
別のところで書いておられたとのことだった。
わたしは放置された日まで遡って、ブログ記事を読んだ。
お元気だったし、ケイコさんの日常には変化はなかった。
今もギャラリー作品の紹介をしながら、精力的に書いておられる。
そもそもケイコさんとわたしは、人気ブロガーさんと、1読者の間柄に過ぎない。
当然ながら一面識もない。
わたしは一方的に記事を読む側。
だが、わたしは以前のような熱い気持ちにはなれなかった。
ブログには表さない、現れない、ケイコさんの性格の一端を見たような気がした。
決して非難ではない。
ある種の失望である。
読み返した記事の中で、ある日、それまでの「ギャラリーパートナー」という表現が、ごく普通に「パートナー」という言い方に変わっていた。
一度、「パートナー」という表現になってからは、「ギャラリーパートナー」という言い方には戻っていなかった。
この男性は、ケイコさんが日本にいる時から、そして異国行き、異国での仕事、その後のギャラリー運営に最初から関わっておられる方だと推測する。(あくまでも推測に過ぎない)
なんでも誰でもいいのだが、わたしは深くブログを熱心に読み込んでいただけに感情移入も彼女への理解もしていたようだ。
(読解ミス、読み間違えもあるだろうけれど)
ただ、ブログ更新にすごいエネルギーを投じておられていたので、このボルテージ、持つかな、続くかな、とは危惧していた。
筆者がブログを更新し続けると、読者は幾つかの反応に分かれる。
いつまでもファンで居続けるか、飽きるか、嫌いになるか、時間を置いてまた戻ってくるか。
筆者は書いているその時その時の気持ちや考えを書いているわけで、主義主張が変わったからといって、責められるものではないと思う。
クロワッサン症候群然り。
少し距離を置いて粗熱を取ってケイコさんのブログをまた読み始めると、わたしが彼女に対する感想は、以前の憧れや全肯定や思い入れは薄れている。
ひょっとして、サポーター気分は、なくなっているかも知れない。
ファンというものは実に気ままだ。
後々まで責任を持ってフォローなどしない。
気分次第で、ふわふわ浮遊するものである。
さてさて、、、
わたしは読み手であると共にブロガーでもあり、、、わたしの愚ブログに関しての考察、その他は、書くのも恐ろしいので、書きません、、、。
ただ、10年前に書いたものも1日前に書いたものも、半世紀前に書いたものも、あんまり変わらない。
ブレないとも言えるが、成長がないとも言える。