あああ・・・。
また来てしまった・・・。
別れられない、罪な人、・・・。
わたしを引っ張らないで・・・、と言いたい。
が、ブログはまたまた強烈に、離れようとするわたしに、揺り戻しをかけようとする。
悪いオトコに、さんざん泣かされた後、甘い言葉と優しい態度で、気持ちが揺らぐように。
(→実際には、そういう経験は、ありません)
やはり、振り回される自分がいる。
自分のブログに、自分が振り回されるなんて、こんなおかしなことはない。
しかも、コメントがどうのこうの、そんなことは、まったく関係がないというのに。
こういうのを一人芝居っていうのだろうか。
しかし、一人芝居も立派な芸のジャンルとして確立されているし。
ということは、ブログも、なんでもありかも。
とは言いつつ、
別れを意識し、一旦は、決断したのだから、そうそう、ぐらぐらしていては・・・。
より強い鋼を作るように、鉄を熱くし、真っ赤な鉄を焼き、一気にじゅじゅっと冷却し、また火を入れ・・・
そうやって、繰り返し、強い揺るぎないものを作る。
行ったり戻ったり、出たり入ったり、試行錯誤のモラトリアム。
しかし、何度も同じことをして、いっこうに進化がないのは、いかがなるものか。
自分で自分の見切りをつけるのが、大事な美学だ。
引け際が、肝心。
製本は、流通に乗せるなど、とんでもなく、また、配布用などでは決してなく、あくまでも自分用。
控えである。
コンピューターが使えない時のための、紙の原本控えバックアップ。
2部ぐらいが、いいかなと。1部プラス、スペア1部。
あまりにも嵩(かさ)高になるなら、1部でも良しとしよう。
・・・
ちなみに・・・話は変わって、
昨日、プリントアウトした自分の日記風のものを発見した。
最初は、誰かに宛てて書いていたものの、途中で、送るのをやめ、独り言としてそのまま続きを書いたようす。
長女が就職したばかりの頃なので、今から9年前のもの。
書いていることと言えば・・・当時の近況、心境や人生計画。
なるほど、その当時としてはそうだろう、と、懐かしく思った。
9年前の自分は、今の自分より9歳若いだけあって、元気だ。
あれこれ、やりたいことを具体的にプランを練り、何案も書き出していた。
今では、どれもできないことばかり。
実践を目的にしているというよりは、空想して楽しんでいるかんじ。
その中で、実践に近いことは、ひとつぐらいしかない。
第一、仮に、状況がころっと変わったら・・・という大前提で、予測、プランしていたのであるが、
その後、その前提自体が無くなったことで、大きく予定が変わった。
人生の舵きり。
とは言うものの、速度が緩まっただけであって、方向は同じ。
緩まったというか、ストップした。
その間に、計画は実行されなかった代わりに、なにもせず、力をチャージしたことになる。
で、いま、チャージされた力を発揮する時期に突入しているのだが、
早くも息が切れかけている。
まだまだ坂は、上り始めの最初の10分の1ぐらい。
残りはたっぷりあるし、坂の勾配はどんどんキツくなる。
ぜーぜー。
もうじき、暑さの厳しい夏がやってくる。
チャージしたつもりの力は、じつは、充電器が弱いせいで、
あまり大量の強力な力をチャージできなかったのかも。
9年間、ちんたらこんたら遊んでいただけか。
というか、そういうプリントアウトした日記もどきを目にすること、それ自体が、
たまたまプリントアウトしていたから、手に取って見ることができた。
他にも23年ぐらい前のプリントアウトしたもの
(A4サイズに、文字間隔、行間ブランクたっぷりで、3枚ぐらい?)も、ほんの手元にある。
それは、若い自分がその当時、アタマに来て、ある人に送りつけたものであるのだが、
けっこうおもしろい、と思って、捨てられずにいる。
そっちは、なにしろ23年も前なので、完全に時効である。
他にも、中学時代の日記がたっぷりある。
何冊ものノート(B4サイズぐらい?)に、万年筆でびっちり書いたものだ。
これは、実家の母に、「持って帰ってちょうだい」と、押し付けられた。
母が処分してもよかったのだが、書いた本人に委ねるのが手っ取り早いと、母は思ったのだろう。
それは、さすがに読む気がせず、しかし、いまだに手元にある。
わたしは、自分の独り言を書いたものをうんと後に読むのが好きなのだろうか。
おそらく、中学生日記は今後、読まずに処分することになると思う。
処分する段になって、最初の数ページだけぱらぱらと見て、なにか思うんだろう。
・・・
今のところ、本気で、ブログを製本にすることは考えている。
(電子化という案もあるが、あえて、紙)
ただし、これは、配偶者と別れようと本気で考え、離婚の本を読み漁っている段階と同じだ。
気持ちを固め、いざ、実行となるには、あとどれぐらいの時間がかかるのだろう。
静かにこころの準備をし、進めようとは思っている。(離婚の話ではありません)
一生懸命取り組んでいるうちに、本来の目的を忘れてしまうかも知れない。