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蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

2014-06-04 | 
ここ1週間、製紙A4サイズの日記帳が、真っ白だ。
1週間も空いたら、何をしたか、忘れてしまう。

昨日は、兄の運転する車に乗せてもらった。
ほんとうは、自分が運転するつもりだったが、なにしろ30年以上前のマニュアル車。
しかも、軽トラック。
わたしは、マニュアル車で自動車免許を取り、若い頃は、その軽トラックも運転していたことがあったが
さすがに、すごいブランクの後、それもマニュアル車では、試運転してみたものの、こりゃあかん、となった。

母が、「とりあえず練習してみたら?」というので、駐車場で出し入れしてみようとしたが、
ぎっくんがったん、ギ、ギー、ガガガー。
アクセルを踏みながらクラッチ??ありえない~。
バックすると、ピッピッピーと、すごい音で、自分がびっくり。
バックと前進を入れ間違えてアクセルを踏むと、キーと金属音。
何度も何度もエンスト。
寿命が縮まることは、ごめんだ、とばかりに、軽トラックを自分で運転するのは、すんなりあきらめた。

さて、では目的のところに何で行こうか?
バス、タクシーの2種類が考えられる。
バスは1時間に一本。しかも、40分以上かかって、運賃700円。
時間がかかる上に、高い。
タクシーは、4000円以上かかるのではないだろうか?

わたしの滞在持ち時間は3時間しかなかったので、バスになど乗っていらたら、バス停で待って、行って帰るだけでオシマイ。
タクシーで往復・・・高い・・・そんなお金、一人でとても出せない・・・。
行きだけタクシー、帰りはバス。この折衷案にしようかと、母と姉とで話していた。
(行くのは、わたし一人。3人行くなら、タクシーもありだが)

あるいは、行きにタクシーに母と乗って、
帰りには早く帰らないといけないわたしだけ、バスに乗って帰るとすると、
母を現地に一人残したまま帰ることになる。
母は後に一人でバスに乗って帰るというのも、それも不安。


そもそも、わたしが、18歳の頃、車の免許を取得したのは、この僻地事情である。
車がないと、とても移動しにくいところに、父方の実家がある。
この実家には、祖母(父の母)は88歳まで一人で暮らしていた。
祖母は88歳まで頑張ることを目標にしていたが、さすがに88歳になると、自炊するのがしんどくなってきた。
当然、両親は、週に何度も顔を出していた。
わたしは、小学校3年生頃まで、そこから通学していた。
引越し後も、毎週、ピアノの練習に帰っていたが、週に一度の練習では、とうてい、ピアノは進歩なし。
もともと嫌だったのが、ますます、嫌になっていた。
練習できないのが、これ幸いと、小学校卒業と同時にピアノも卒業した。

と、それは蛇足。
その不便な実家に行くためには、最寄の駅まではすんなりなのだが、
そこから足(なんらかの交通手段)が必要なのである。

というわけで、軽トラックを自力で運転して、そこに行こうと目論んでいたが、やめた。
母は、高齢のため、(我々に)車を取り上げられてしまったので、足がない。
車があると乗るだろうから、車も引きとってもらった。
で、残るのは、義姉のマニュアルの車と、軽トラックのみ、
義姉のマニュアル車は、とても乗れないので、軽トラックに目をつけたのだが・・・
あまりにも怖すぎてやめたというわけだ。
あんなマニュアル軽トラで運転などしては、事故必至。自分の一生のほうが、ずっと大事だ。

そこで、兄が、申し出てくれた。
「送って行ったろか?」
この発言には意外だったが、喜んで乗せてもらった。
軽トラックは二人乗り。後ろは荷台。
がったんごっとん、軽トラックに揺られながら2人でのろのろ行った。
兄と2人でドライブなんて、生まれて初めての出来事だ。

わたしの用事は、目チェックだけなので、すぐに済む。
ついでに、目に付いたところをちょこちょこっと作業。
兄が待ってくれているので、ちゃちゃちゃっと済ませて、また軽トラックで帰った。
帰りに、ぼそぼそっと兄と話した。
いつも、顔は見ても話すことはあまりないので、すごく久しぶり。
ここ30年間の話を10分ぐらいの間に、凝縮して話した。

・・・

家というものは、たんなる箱ではない。
そこに人が住み、暮らしてこそ、家の役割を果たす。
別荘のように、ちょこちょこっと訪れる家もあるだろう。
が、そこには地域の人々との濃い地縁はない。
別荘の場合、地元の人たちも、別荘の人のことを、
本拠地である他の地に家があって、気まぐれで訪れる別世界の他人、という捉え方になるだろう。

地域の役割を果たさない住民は、地域の人に嫌われる。
のけ者、よそ者扱いになる。
その地域の土地に敷地があり、家が建っている限り、自分の家だけ独立して存在するわけにはいかない。
自治会活動にも参加義務がある。
そこが、ややこしいところ。

だが、べつに、いざこざがあるわけではない。
しら~っとした、白々しい距離感があるだけだ。
(ある人が、著書で、地方が衰退する理由は、この地元の人々の濃すぎる関係にある、と述べていた)

父方の実家も、いずれ、現在のような頻度で行かなくなれば、それは家ではなく、空家になり、
さらに、廃屋へと進む。
維持したり、メンテナンスを行わなくなると、家は大事な機能を失う。
地方に行くと、そんな家は、ごろごろしている。
住み手が、いなくなった家。

・・・

愛着のある家で、風土習慣も刷り込まれているなら、家の文化も継承されるだろう。
そこには、住んだこともなければ、ほんの数回しか行ったことのない人々(子供や孫たち)になると、
愛着や愛情は育たず、自分の生活で精一杯で、とてもそれどころではないだろう。

今、家はもちろん、お墓も変わってきつつある。
イエの概念が薄れている現在では、お墓や先祖祀りなど、「はあ?」と、ぴんと来ないだろう。
都会に住んで、田舎の実家の継承に関しては、家は売るなりなんなり、どうにかするにしても、
仏壇や墓は、どうするのだろう?
義務に見合うお金を残していれば、最低限度のことは、こなすかも知れないが。
よほど情操教育をうまくしないと、マインドまで上手に継承していくのは、
かなりの情熱を要し、複雑でデリケートなことだと思う。

自分自身を振り返ってもそうだ。
家は好きだが、宗教は嫌い。これは、あきらかにおかしい。
これでは、家は、単なる別荘、箱だけということになる。
この矛盾を抱えたままでは、子供たちに、ちゃんとぴしっと筋を通して教育できない。
まずは、自分の教育からスタートしないと。

子供たちも、そんな宗教のことなど、まだ若いので、先の先の先の先のこと。
わたしも若い頃、そうだったように。
宗教は、あの世が目の前に迫ってきた人が、自分が入る家(あの世の)を整備するため、より熱心に力を入れるのではないだろうか。
というか、幼少期や、就職や結婚、子育て、定年・・・などなど、
ステージが進むと、次のステージは、あの世しかない。

ぴんぴんころりをモットーにして、その楽天志向以外にまったく手を打っていない人や、しがらみのない人は、
そんな、あの世の整備までする必要がないので、ある意味、うらやましい。

と、宗教行事をやらなくていい人をうらやましがっている自分が、
子供たちに、宗教行事を押し付けてこの世を去ろうとしている。(まだ、ちょっと早いが)
この矛盾を解決するまで待っていたら、ぐちゃぐちゃのまま、混沌としたまま、乱したまま放置することになる。
なので、とりあえずは、納得しないまま、同時進行。
矛盾を抱えたまま、進んでいかなければ、糸がからんで、二度と解けないまま切れてしまう。

同時進行が、テーマ。

新しい価値観を生み出す前は、前の価値観を引きづったまま、とりあえずは進む。
すべてを壊して一からというのは、その壊れた時期が、大変すぎるので。
目途(めど)も立ってない間は、柱を残して、リノベというかんじか。
強力なインプラントだって、芯が要るんだし。

古いものに手を加えて改修、改善し、次に繋げたい。

廃墟になった後に、一からモノを作るのも一つの手ではあるが。
廃墟に至る歴史は、たいがい悲惨なことが多い。
できれば、平和で平穏な路線で、歴史を残したいと考えるが、机上の空論なんだろうなあ。


と、あれこれ、脱線に脱線を重ね、
自分もそろそろ年貢の納め時なのかと、戦々恐々とする今日この頃。
しかしながら、書くのは相変わらず、大げさ。
実際のところは、それほどでもないので、
お読みになったリアル人の皆様、あまりご心配なさらないようお願い申し上げます。
リアルにご存じない皆様は、またスローの脳内遊びということで、
お付き合い、いつもありがとうございます、と陳謝のこころです。


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