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へんな洋食屋より発信!

横浜市南区にある洋食屋から旬な話題を発信します。

へんな洋食屋

2009-01-05 08:06:06 | Weblog
これまたやって来た。この方は、決してケナシは無い。やはり常連のハモニカの達人である。彼は、クリスチャンなので11月から12月一杯は様々な行事や演奏依頼で忙しく年越しでの再会である。年始の挨拶で会えなかった期間の双方の腕前の確認と、新仕込みの曲の披露だ。そして、即興でのセッション。これが楽しい。シャンソンの「パリの空の下で」やラテンの「キエンセラ」、「リベルタンゴ」、ベートーベンの「テンペスト」等をやる。遊びでの合わせだが、双方の本気で弾けば舞台に出られる程である。その中で「パリの空の下で」は、三拍の軽快なシャンソンなのでオイラ自身もギターソロバージョンで仕込むつもりでいる。こうして、他流試合を時々する事で自身の手の内も広がるし励みにも為る。この二人の方は共に写真家であるが、心遣いは雲泥の差だ。一人は俺がオレがの自己主張ケナシ屋だが、もう一人は供為る切磋琢磨屋である。人を比べるのは良い行いではないから、オイラは共に励まされていると感じている。その励ましの手法がそれぞれ異なるだけで
ある。

へんな洋食屋

2009-01-05 08:05:57 | Weblog
新年早々やって来た。あの常連のケナシ屋さんだ。何故にこうも、一言でも、嘘でもいいから誉めないのか?嫌っ!お世辞や嘘ではやはりケナシなのであるからツマラナイが、とにかく誉めないっ!オイラには一つも良さというのが認められないのは判る。だからと言って、常連なのであるから気に入らないという訳ではあるまい。へんな洋食屋の味は口に合うのだが、オイラとは気性が合わないのかも知れない。オイラ自信も嫌いなタイプではないのだが、こうも貶されると気分良くは迎えられないなっ!で、「今年も宜しく」なんて言って食べている。美味しいかなっ?そんな心配りで。何年か前に、写真仲間でやはりケナシ屋がいて、とうとう出入り禁止にした方が居る。そえならずに接しているのだが。

へんな洋食屋

2009-01-04 08:33:12 | Weblog
だからと言って二日以降に大枚を散らすかと言えば、そんな事でもない。商売で仕入れる品物を吟味するのは、直接利益に絡むから品質ばかりでなく金額や耐久、使い勝手なども思案する。これは誰でも同じだと思うが、その思案の度合いが違うのだ。その手法を自らの買い物にも使用する。だから、中々買わない。観光地なんかでは、避ける程である。セコイというか、しっかり者というか、とにかくお金を出し惜しむ。だからと言ってお金が貯まるわけでも無い。投資してしまうからだ。勿論、事業にである。だから、常に金は無い。

へんな洋食屋

2009-01-03 13:51:36 | Weblog
商人というのはセコイ人種で、朔日にお金は使わない。つまり、朔日から出銭があるとその月はお金が出放しに為るというジンクスに囚われているからだ。で、元日。勿論出銭は嫌なのだが、経済活動上仕方がない。そこで、一旦別勘定から出して後に埋め戻す訳。当然、月始めの最初の日の日計帳には載せないで翌日の出金扱いにする。商道の一つである。

へんな洋食屋

2009-01-03 08:52:13 | Weblog
へんな洋食屋の新年が始まる。何て事の無い、いつもと同じ始まりなのだが幸先良く夕食時は予約で貸し切りと為った。仕込みは、二日休んだので普段より多いが気分も一新しているので何て事はない。それよりも、今年の目標である「今までの熟成」に如何に挑むか?である。南区古地図造りも、早七年の月日が経つからそろそろ仕上げなくてはならない。ギターは、残りの譜面起こし2百曲だっ!マァ年内の片付けでなく、還暦目標だから気は楽なのだが病気でも起きたら出来なく成る為、早々には始めるつもりだ。オイラは、要領が悪いから昨年より下準備しているので苦心せずに出来るであろう。唯単に面倒なだけである。

へんな洋食屋

2009-01-03 08:51:56 | Weblog
二日間練習の叙情的古典派印画機械持込散歩術が終わる、三昧である。お金の掛からない遊びをこうも上手く身に付けたのもこの不景気の賜物だ。二日間で占めて1070円である。フィルム10本で1200円だから本当に安い遊びである。細やかだが、満喫した。で、その後のカメラ・レンズの手入れをしながらの道中振り返りがまた楽しい。明日からの料理趣味への切り替えも爽やかなのである。

へんな洋食屋

2009-01-02 08:44:53 | Weblog
元日も恒例の叙情的古典派印画機械持込散歩術である。夕べは頭を捻り道のりを考えて床に着く。で、昼前に起床し徒歩にて井土ヶ谷から丘を越えて保土ヶ谷へ抜ける。未だ歩いたことのない道である。昼過ぎには楽しみな喫茶店での一服、保土ヶ谷駅前の喫茶店、昨日鎌倉で一服した喫茶店と同じ系列の喫茶店である。やはり駅前だから人間模様が観られる。穏やかな元日の初詣客や福袋を沢山持つ乗降客である。この叙情的古典派印画機械持込散歩術の途中の喫茶店での一服がこれ程に気持ちを豊かにしてくれると感じたのは何十年か振りである。そこでは一服もそうだが、人生の坩堝も探れるし何よりケーキである。元来、お酒は飲めない質で甘い物が好きなのだが冷凍・レトルトケーキとはいえ美味しいモンである。駅前の不審者を眺めるのもガラス越しだから楽しい。もう一歩きである。

へんな洋食屋

2009-01-02 08:44:33 | Weblog
帰宅途中にもバイクに跨がりながら考えていた。あの駅前の喫茶店のアベックは、どうしたのか?どうこの年の瀬を乗り越えるのか?余計なお世話であるがやはり気に懸かるオイラである。マァそれでも、お風呂を沸かしながら部屋の掃除が済んで布団も敷いてた。風呂揚がりには年越し蕎麦である。で、恒例の買い溜めビデオ鑑賞で年を越す段取りである。思えば、オイラのブログはその日発信ではなく明日明後日の発信な訳で、今回に限り前年の「独り言」である。

へんな洋食屋

2009-01-01 12:40:45 | Weblog
やって来た、鎌倉である。この年の瀬に大変な人手であるが、それら人間模様を撮りに来ている訳だからなんともないし、むしろこの人手こそ撮りがいがある。駅前の喫茶店であるか、何やらアベックが別れ話で揉めている。かなり大声に成ってきたが聞きがいがある。写真こそ撮れないが人間模様である。帰りには、名物「鳩サブレ」を年賀として買い求め、ついでに家族にも袋詰めを買う。更に揉めてきた、駅前の喫茶店での人間模様だ。だから、駅は面白いっ!というのも、あのアベックには失礼な話だがライブドラマである。駅にはドラマがあるなっ!しかも、この大晦日のライブドラマである。聞き応え、見応え共に迫真である。今年の春に「スタチオン」という曲を造ったが、ポルトガル語だ。日本語では「駅」である。この大晦日に春先作曲の「スタチオン」の辻褄が合うとは思いも依らなかった。

へんな洋食屋

2009-01-01 12:40:33 | Weblog
その「いずれ」がいつに訪れるのかが判らないのである。恐らく、日々の行いからして悪いいずれとは思えない。多分良いいずれである筈だと確信しているのだが、今そこへ取引先の八百屋が今年西後の配達。ここに書いてある話となる。お互い、頷き合い年末の締めくくりと為る。そしてこれから、米屋の納品だ。きっと頷き合う話となるであろう!その頷きは、双方が同じ立場つまり事業主だからの真意の頷きなのだ。失礼な話だが、勤め人の御愛想や対応と言った表面上の頷きとは違う訳である。そうは言っても、年は変わる。そうだっ!今日30日はギターも弾き納めである。オイラは、自宅では滅多なことでは楽器を手にしない。うるさがれるからである。家で行う趣味は、彫金とお絵描き位の事で在る。料理もしない。料理と音楽は、店での趣味なのだから今日がギターと料理は仕納めである。