へんな洋食屋より発信!

横浜市南区にある洋食屋から旬な話題を発信します。

へんな洋食屋

2006-09-16 08:28:21 | Weblog
その知恵の発達が、昨夜31年間に渡り交通違反が無かったのですが(嫌ッ、無かった訳でなく捕まらなかった)とうとう検挙されました。罰金5000円。二週前の交通事故に続いて、交通系の難有りです。マァ、自分が悪いのですが、大事故に至らない、これからの戒めだと認識して安全運転に努めます。その交通の標識のシンプルさにも新ためて感心した。でも、重なり合って見にくいですなっ!一つ一つは大変シンプルで綺麗なんだけど集合したら複雑です。シンプル・ライフも一つ一つばかりに気付かず、全体のバランスが大事。良い勉強になった。

へんな洋食屋

2006-09-16 08:28:10 | Weblog
というのも、先日のバイク事故で大破したスクーターを馴染みのバイク屋さんが格安で完治させてくれました。ちょっと驚きました、まるで新品の様です。実は、その取り捨ての思案の間に以前から狙っていたバイクを買おうと考えていたんです。治ったという事は、他のバイクは必要に足らない、という真理に尽きる。だけど、物欲。狙いのバイクもついでに世話して頂く事にした。モノを大切に長年使用する姿勢と物欲の葛藤の瞬間に自らの信念の脆さを見た。何とか自分を家族を納得・説得させる理屈を巡らし必要の方向に持っていく知恵の発達。


へんな洋食屋

2006-09-16 08:27:57 | Weblog
と、マァ、シンプル・ライフを目指すのが如何に困難かは、様々を書いている本人が出来ないからこそ、言い聞かせる為にも文章にしている事で判明している。モノを大切に長年に渡り使用するにしても、定期的なメンテナンスは必要だし、そのメンテナンスの手間は金銭だし、以外と買い換える程だったりして二の足を踏んだりもする。自分の自由な意思で入手したモノに責任を持つという事は、メンテナンスを含めて長年に使用し、そのモノの生涯をまっとうさせる事に尽きる。常に、必要か否かを問い、応じて活用しなくてはその感情も生まれない


へんな洋食屋

2006-09-16 08:27:47 | Weblog
とかく不満ばかりを並べる方が居て、聞きずらい。不幸なんだなー、とも思うが開き直りが強いので何を言っても無駄。これが、歳上なら進言も出来ず、只哀れに感じます。今に、感謝し満足すれば不平不満を発しないで済むし、周囲を不快に巻き込むこともなく、好い人として歓迎されるのに…。比較したりしないで生活したら不平不満も少なく、シンプルに活きられるのに…。常に欲が成せる結果ですが、欲も程々にしないと周囲との世間との比較に走り自分がつまらなくなり批判が始まる。シンプルな絶対的信念が有れば、揺らぐ心も押さえられる。

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2006-09-16 08:27:28 | Weblog
澄んだ水に、魚は棲まない。というが、清廉潔白も混濁汚濁の中に際立つ。シンプルは、以外と人間模様とか社会の喧騒の渦に紛れてしまって、探すようですなっ!フッと見付ける事も有るが、大概は注意して生活していたり、情報に因り教わることの方が多い。今は、世の中全てが、人々が自己主張を為すぎてどうしてもシンプルに成りずらい。草原の花ではないが、見い出されようと必死に成って背伸びをし飾り付け出る杭にも成り何か醜い。シンプル・ライフは、心の動きの表れである為どうしても精神論に掛るが、今に満足する事でも成立します。

へんな洋食屋

2006-09-16 08:27:15 | Weblog
そういった芸術家とは、天性にシンプルを持っているからこそ作品の訴えの場面は爆発的なシンプルを出す。単純明解こそが伝わりやすいし、永続性がある。だから、名作は何百年も人を感動させる。人だって、美しい人は裏表がなく見栄や装飾もない。それが、人柄として顔の表情や所作・佇まいに表れ、無言の内に相手に伝わっている。欲が強ければ、装飾し見栄を張り派手な振る舞いとなって、それが世間に表現されて、結果敬遠されてしまう。裏表がなくとは言っても、必ず有る。只、その度合いというか、ギャップが相手を失望させるのです。

へんな洋食屋

2006-09-16 08:27:05 | Weblog
音楽だって、マーラーの様な百人を越える大編成の大音響は、疲れますよ。美しいメロディーも多重和音で装飾したら台無しとは言わないが、大音響の地鳴り振動で表現するコケ脅しに聞こえます。むしろ、小アンサンブルの器楽曲や無伴奏のソロなんかの方が幽玄の大宇宙を表現していると思う。古典やバロックは、そのシンプルな音組の中に心中に訴える神髄が有る。実際、大編成のオーケストラの曲でも美しいメロディーはソロ楽器で聞かせる方が多い。これはと思う場面は、映像でも絵画でも楽曲でも造形でもシンプルの極で表現されています。

へんな洋食屋

2006-09-16 08:26:54 | Weblog
逆に、スタジオ写真や風景写真等は仕込みがある。ありのままだけで無く、待ちがある。叙情的古典派印画機械持込散歩術ーいわゆるスナップ写真には、仕込み等の人的操作はない、光を変えることは野外では困難だし、やろうとしたら人手も機材も必要だから、シンプルではない。どころか、野外では光は常に変わる。その度に、光を測定器で計っていたら瞬間は切り撮れないので人間測定器に成るべく訓練を積む。結局、身に付く。フェルメールの絵画などは、測定器で計りながら描いたらしいがスナップ写真家は、そんなことせずに画けるだろう。

へんな洋食屋

2006-09-16 08:25:20 | Weblog
そういうシンプルの極み沢山有りますなっ!例えば、デッサン。白い画用紙に墨の線と濃淡だけっ!大変潔い。写真を長年やってまして、モノトーンの表現の困難さには手を焼いています。鮮やかな色彩の世界をわざわざ外し、白黒の階調ーいわゆるグラデーションだけで視覚に訴え、物語を持たせ、想像させる。色彩が載った瞬間に自己主張が入りますから、敢えて載せない。筆者のタッチ一つのシンプルな美の世界だ。マァ、写真でもスナップ撮り等は、ゴマカシの無いありのままの瞬間の狙撃ですよっ!光を読み、予測を立て、瞬間を切り取る。

へんな洋食屋

2006-09-16 08:25:02 | Weblog
そう思うと、シンプルと複雑は相反するのかと思うが、シンプルを目指す過程では、情報収集ー試行錯誤ー対策検討ー結論抜粋という複雑な心境が渦巻いている。字から言っても複雑ですなっ!生命の誕生だって、産まれる瞬間は大変シンプルですが、受精してからの細胞分裂や各パーツの出来る過程なんかは魔加不思議の連続だし、よく間違いが無いな、と思う程に複雑じゃないですかっ!もっと拾えば、俳句。17文字の極シンプルの宇宙ですが、掘り起こせば叙情・心情に富んだー解説には多大な文字を必要とする国語です。でも大変美しい文字列だ。