これで、頂けるという口約束のカメラが四件に達する。後は、現物がオイラの手中に渡されるのを待つだけである。話や瓦版は、活用するモンである。話と言えば、頼んでいるパン屋へ行くとへんな洋食屋のお客さんに会う。で、へんな洋食屋のブログや書き込みを見ているらしい。意気なり「よく、毎日毎日話がかけるねっー!」と感心してくれたが、客商売だから毎日溢れる程に話題が在る訳で、採り留めも無い話ならば幾らでも書ける。趣味の話は勿論だが、お客さんとの会話の中での膝栗毛や滑稽話なんか見方・視線を変えれば切実話だったり人生論だったり哲学だったり雑学だったりと沢山展開出来る訳で、それらをブログにしているだけである。
ビッグニュースだっ!とは言うもののカメラの話ばかりでまことに恐縮だが、昨夜は暇ながら閉店間際に来店してくれたお客さん。プロのカメラマンで弟子3人を連れての来店。正直謂うと、閉店間際の来客は気持ちも乗らずちょっと厄介だ。が、オイラの3人の子供達が小学校時代に卒業アルバムでは世話に為っている。先日の末っ子の修学旅行も同行し記念撮影以外にも沢山撮って頂いている。そんなこんなの訳在って気乗りしないが料理を造り食べ終わると、弟子の一人が店内の「瓦版」不要の金属カメラ下さいっ!を見て師匠に知らせる。今は、プロカメラマンの全てがデジカメだからフィルムカメラの処分にも頭悩ます。趣味の道具にするか、展示物にするか、しかないらしい。で、くれる事に為った訳である。活用の場を求めていたのだ。推察するに、プロ仕様だからメンテナンスはバッチリだし保管も防湿庫だからカビ等の致命的不都合はないだろう。更に、其のカメラマン先生は権威在る「JPSー日本写真家協会員」だから中古カメラとは言えカメラ店のウィンドー
に並ぶ得体の知れない、経歴の皆無の物体ではない訳である。早く届かないかなっー!
に並ぶ得体の知れない、経歴の皆無の物体ではない訳である。早く届かないかなっー!
世に出て30年、大してお金の苦労め無かったのは決して裕福だった訳でなく、欲も程々だったからだなっ!在るモンで我慢し、せいぜい中古で済ませてきた事で歴史在る中古品の良さも理解した。中古品の見極めや目利きも付いた。新品なんて見極め、目利きは不必要ですなっ!機能が自分の使用スタイルに合うか?好みか?格好良いか?使いやすいか?だなっ!でも、其の選ぶ道具の根本は何なのか?一番学んだのは、楽器である。ウィンドーに並ぶ古楽器の色褪せた風貌からの音色の見極めや自分の弾き様に応えてくれる音色の見極め程に困難な事はない。100万円からの出費である。月謝や授業料どころではない。今まで何十台かの古楽器を買ったが満足な楽器は1割程度である。それら不満足は、売り払い今では何台かのギターを弾き回して満足している。手工品だし古楽器とは言うものの中古だから一点物である。二度と廻り合わせは無い訳である。
人生の意味、生きている意味。なぁんて言っちゃつ来店してくれた御常連、早々に奥さんを亡くされ、定年退職もし、さぁこれからだったのだがという御仁。そんな事言っちゃたらオイラなんかも同様である。それでもオイラの場合は、未だ51才だし子供も育ち上がってはいないし、借金は在るしだから人生の意味までは考えた事が無い。そう考えない様にとの予防もしていない。その場しのぎの自転車人生である。気儘と言えば気儘だが、予定通り計画通りに行かないのは今までの30年間でも味わっているから、その場しのぎとは言うものの被害や悲壮を最小限に、大難を中難に中難を小難にと平凡に暮らしている訳である。分・器をわきまえて必要か?否か?を考慮して、石橋を叩いて壊し、渡らない。しかし後悔しない。因果応報だし、自由意思に基づく決断は全て自己責任であるという事を此の30年間で学んだ訳である。無理はしないし、欲も程々である。