防護服を着たまま昼食。 鉛の入った青い遮蔽幕
11月23日(土)大阪天満橋にあるドーンセンターにて開催された「福島の今を語る: 福島第一原発事故現場から」に参加しました。
18歳の時から原発で働いてきた小川 篤さんに黒田清氏の弟子である矢野宏氏がインタビューするような形式で原発事故ごの現場で働いてこられた様子を話されました。
小川さんは2011年3月11日事故後の2011年12月から翌年3月までの4か月間福島第一原発の現場で働かれました。
写真にあるマスクと紙製のような白い防護服を着て働き、重要免震棟では前日にコンビニで買った弁当を食べたこと。防護服は毎日使い捨てにされ、マスクは洗浄されて再び使う。毎日2時間から6時間働くが、作業を終えた後は頭痛がひどい。それに耐えられず、3日ほどでやめていく人がいたとのこと。
*会場で私もマスクをしてみたが、息苦しく、これでは作業などとてもできるものではないと感じるほどでした。
「原発事故が起きるまでは、100%原発事故は起きないと信じていた。だから放射能に対する怖さはなかった」とのこと。
2011年12月当時の日当は一日18000円ほどだったが、野田前総理が原発就職宣言を出した直後からどんどん日当が下がっていった。二重・三重下請けの人では、日当6000円ほどの人など、賃金のピンハネがひどくなっていている。
現場で働く人たちが、放射能測定を遮蔽する鉛を使っていたのは、会社の指示ではないだろう。被曝を恐れまともに測定したら、働き続けられなくなり、収入の道が閉ざされることを恐れ、そのようにしたと考えられる。
これが現場の実態ですとのお話。ぞっとする事実に恐怖を感じました。
事故後、東京電力の若い社員が中には、泣きながら地元の人たちに謝罪している姿を目撃している。東電の社員はほとんどが見回りだけで、現場の仕事は二次・三次下請けの人。
中小企業で事故が起きて怪我人や死亡者が出た場合は、社長は責任をとるが、JRの尼崎事故などや今回の福島原発の事故など、いまだに社長は責任をとっていない!この事実には全く納得がいかないし、これが今の社会の現実。
小川さんは、まだ40代でありながら、既に両目に白内障ができ、時々鼻血が止まらないことがあっても、被曝が原因だとは認められない。
「原発事故では一人も死んでいない」と言われるが、福島県だけで原発関連死は1,539人にものぼり、小川さんが住んでいる富岡町だけでも既に200人が関連死。今後、もっともっと関連死が増えるだろう。
国と東電は事故の状況は放射能が漏れだしている事実をもっともっと正直にオープンにすべき。「臭いものには蓋をする」式では、解決できない。
制御棒の抜き取り作業が始まったが、放射線量が高くて作業ができないところがある。今生きている大人ではなく、今の子どもたちが大人になって、原発の危険な作業をしなければならなくなることに、胸が痛む。
いま、国会では特定秘密保護法案を成立させようとしているが、そうなったら、もう原発の話ができなくなるだろう。
お二人のお話の後、質問に答えて下さったが、会場からもすすり泣く声が聞こえてきた。また会場に集まった40名を超す人たちを見て小川さんは、「いまだにこんなに多くの人が関心を持ってくださり、ありがたい」と泣きながら話されました。
矢野さんからは、「無関心が今の国や社会をつくってしまった。先ずは「知ることからはじまる」と言われました。
ところが、国民の「知る権利」を奪おうとしているのが、自民・公明が成立を急ぐ「特定秘密保護法案」。これが成立したら、正に国民は「見ざる・聞かざる・言わざる」の戦前の社会に逆戻り。そして、戦争に・・・・・