今三田市議会に「東日本震災の復興支援策に関する請願書」が提出されている。
「三田の未来を守る会」の方々によるもので、14日の常任委員会で真剣に議論された。また、これに係る担当部局としての考えも表明された。
阪神・淡路大震災では、周辺の自治体など多くの自治体や人々から多大な支援と励ましをいただき、被災された人々を励まし続けてきた。震災による発生したがれきは到底当該地域内だけでは処理できず、周辺自治体などによる受け入れをしていただいた。こういった、感謝の思いをしっかり持っているからこそ、東日本震災への支援について、「自分として何ができるのか」「自治体として可能な限り支援をしていただきたい」との思いで、行動されている。
そういった思いの下、今回の請願が市議会に提出されてきた。請願者ご本人達からも、その思いや趣旨を伺った。
請願項目は、
① 三田市で放射能を帯びた廃棄物を処理しないでください。
② 被災地の市民(特に子ども)への疎開・自主避難への支援を実施・継続することをご検討ください。
③ 三田のクリーンな農産物を汚染地域の子どもたちの給食に供給することなど、多面的な支援の実施についてご検討ください。
である。
委員会では、請願に対しての紹介議員2名(田中一良議員、中田初美議員)が発言・質問に対しての答弁をした。また、委員会の議員が様々な角度から請願に対して質問をした。
この請願に対して、いくつかの問題点が指摘され、採決の結果、2対5の賛成少数で、委員会否決された。今日の本会議で採択・不採択が決められる。
いくつかの問題点は、
ア、 請願者の意図するところと、文書表現が正確でないのではないか。
イ、 被災地は汚染地域なのか。また風評被害で苦しんでいる被災地での農産物は全て汚染しているとも読めるのではないか。
が代表的なもの。
そして、「三田市として、何ができるのか。市としての判断が必要」、「同じ日本人として瓦礫を受け入れるべき」との意見と併せて、趣旨は理解できるので「人道的なこと」であれば、その様な内容にして(請願を)出しなおすべきではないか、などの委員会議員から意見が出された。
「ア」について、紹介議員からは、「放射能を帯びた」は、原発事故が起きる前の基準100ベクレル/kg(国が安全基準として示していた。その後、8000ベクレル、10万ベクレルへと大幅に安全基準を緩和してきた)を超える放射能を帯びた瓦礫を三田市へ持ってきて焼却することは、国がどんどんと安全基準を緩和し、その安全基準自体で本当に国民の放射能からの安全が保たれるのかといった率直な不安に答えられない。当初の基準以下であれば積極的に受け入れることが大切だが、それを超える場合は、安全上問題があるので、三田市として受け入れないでほしいというものだと説明。
三田市をはじめ、関西の約170自治体の一般廃棄物の焼却(三田市ではクリーンセンターで焼却)した灰は、大阪湾フェニックスに埋め立てられている。後10年ほどで、満杯となるが、現時点でフェニックスは、一般廃棄物の焼却灰以外は受け入れを決めていない。また今回のように放射能を含む廃棄物の焼却灰は1市だけの判断で決められるものではなく、フェニックスへ焼却灰を持ちこんでいる自治体全体の中で判断すべきものなので、国や各自治体の状況の下に判断<三田市説明>していくとしているが、大切なことである。
「放射能を帯びた」を文字通り読めば、確かに、100ベクレルがだめなら、安全基準以下の50ベクレルでも受け入れはダメなのか?ゼロでなければだめなのかとも読み取れる。しかし、私たちも請願者から説明を受けたが、安全基準以下であれば積極的に受け入れていくことが大切ととの認識である。
「イ」につては、市当局の説明にもあったように、「風評被害に苦しんでいる地域の安全基準以下の農産物を『食べて応援しよう』と支援することが大切である」との考えは、もっともなことである。そのことを全く否定しているのではなく、つい先日も一旦安全だとして、出荷が認められたお米から、基準値を超えるセシウムが検出され、出荷停止となったように、まだ大きな不安がる。特に子どもは放射能の感受性が大人より高いといわれており、出来るだけ安全なものを食べていただきたいという純粋な気持ちを表していると理解できる。けっして、被災地が放射能から安全でないということを言っているのではない。
12月15日朝日新聞(朝刊)の「進学特集~東日本大震災を受けて大学は」のコーナーで、龍谷大学の取り組み欄紹介に次のようなことが書いてあった。
「1歳の男児を連れた滋賀県栗東市の女性《31》は、『買って支援をとは思うけど、子どもが小さいから少し心配』と詳しい説明を求めた」との記事があった。
理屈では理解できていても、いざ自分の子どものことを考えたときの率直なその人の意見を載せていた。こういった意見のあることも事実であり、その人を決してとがめることや避難することはできない。このような様々な受け止めは、ごく自然であり、国民同士がそのことで、非難し合うことほどみじめなことはない。何といってもこれまで「安全神話」を信じ込ませ、正に国策のように原発を推進してきた国の責任こそが問題なのである。
請願についてのさまざまな受け止めがあって当然である。「請願権」が全ての国民の権利としてある中、必ずしも文書表現が得意でない人も含めての権利である(今回の請願がそういった人であることを言っているのではない)。要は、どういった趣旨でその請願がなされているかを議会が受け止めることではないだろうか?請願に書かれたその表現に疑問があれば、請願者に訪ねることもこれまでにできた。私たちは、その趣旨を伺ったうえでその請願に賛成の立場に立っている。
市政を常識的な運営に変えていかなければ、ますます混迷を深める世界の中で私達の暮らしを守ることは出来ません。尊大で自分が一番えらい、自分と異なる市民の意見を議論の前に握りつぶすという態度を取る議員は、要りません。