常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

久保田万太郎

2024年02月02日 | 日記
新しい月の初めは、夕焼けになって暮れた。熱海では河津桜や菜の花が咲く映像が映しだされた。きさらぎとは、着衣のうえにもう一枚着ること。つまり一年のなかで一番寒い季節だ。明日は節分、恵方巻がコンビニを中心に売り出される。そして翌4日が立春。暦と現実の気候が重なることが多くなった。今年は全ての花が1週間早まっている。先日、画像生成で菜の花を創ったが、もう早い地方では、直にみることができる。わが家のアマリリスも、立春を待ちかねて蕾が一つの茎に4個花芽が姿勢を改めた。

俳人の久保田万太郎は、東京府立3中で芥川龍之介の一年先輩で、芥川の句づくりに大きな影響を与えた。冒頭の「はなのやま」の句について、万太郎は「この句をつくるのに、わたくしを出来るだけ静かにした」と語っている。昭和36年~37年、万太郎は親しい友人や俳人を次々と亡くした。最後の愛人三隅一子は37年の12月に亡くしている。孤独に支配された万太郎は、一子の死に際して「湯豆腐やいのちのはてのうすあかり」という句を詠んだ。昭和38年5月、万太郎は一子の跡を追うように亡くなった。画家の梅原龍三郎邸での会食中、赤貝の鮨を誤嚥した器官閉塞であった。
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