常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

津軽 蟹田

2017年04月12日 | 読書


坂巻川の岸の桜は、少しづつ開き、今日は小雨のなかで今年一番の美しさを見せた。桜の開花ととも始めた、桜の名作を読む作業も三日目になる。今日取り上げるのは、太宰治。酒好きであった太宰は花の下で、飲むことも多かったようで、色々な作品に桜の場面が登場する。何と言っても、『津軽』の蟹田の場面が忘れられない。太宰が自分の生れた津軽を文学作品に残しておこうと企てた紀行で、最初に行ったのは漁港のある蟹田である。敗戦の色も濃くなった昭和19年5月、太宰は青森からバスで蟹田へ向かった。

蟹田を選んだ理由の一つは、幼馴染が住んでおり、名前の通りカニが取れる漁港であわよくばカニを肴に日本酒の熱燗にありつけるという期待があったかも知れない。蟹田は現在では合併して外ヶ浜町となっているが、青森から電車で30分、「津軽海峡冬景色」で歌われた最北端の竜飛埼までも同じく30分ほどの本州最北の地である。

「きょうの蟹田町はおだやかな上天気である。そよとの風もない。観瀾山の桜は、いまが最盛期らしい。静かに、淡く咲いている。爛漫という形容は当っていない。花弁も薄くすきとおるようで、心細く、いかにも雪に洗われて咲いたという感じである。違った種類の桜かも知れないと思わせるほどである。」(太宰治『津軽』)

この桜の下で太宰の幼馴染のほか、地元の名士が集まり、花見の宴が始まった。幼馴染のN氏の奥さんが作った肴は、「重箱に詰めた弁当、蟹とシャコが竹カゴにいっぱい。ヤリイカの胴にヤリイカの卵を詰めたつけ焼き」そしてビール。東京で活躍する作家の話を太宰に聞きながら、宴会は盛り上がる。空襲の東京では考えられない、楽しい花見の宴であった。

私は太宰の小説のなかでも異色な『津軽』が好きだ。酒のみを自虐的なネタにしながらも、最北の地へ、太宰はその足跡を残して行く。極め付けは小泊で、太宰の子守をした越野タケとの再会の場面である。たけは太宰がたばこを吸うのを見て、「お前に本を読む事だば教えたが、たばこだの酒だの、教えなきゃのう。」と言った。たけは、「龍神様の桜でも見にいくか」と誘い、そこで太宰の子どもの頃の思い出を語る。昭和56年ころであったと思うが、越野タケの死亡記事が新聞に載った。それを切り取って買った文庫本の『津軽』挟んでいたことを思いだし、本棚を探したが、どこかに埋もれて見つからない。

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