常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

桜の樹の下には

2017年04月10日 | 読書


梶井基次郎は、掌編『桜の樹の下には』で、衝撃的な書き出しで散文詩とも言える短編を書き始めた。読むものすべてに驚きを与える書き出しは

  桜の樹の下には屍体が埋まっている!
  これは信じていいことなんだよ。何故って、桜の花があんなにも見事に咲くなんて信じら 
 れないことじゃないか。俺はあの美しさが信じられないので、この二三日不安だった。しか
 しいま、やっとわかるときが来た。桜の樹の下には屍体が埋まっている。これは信じていい
 ことだ。

『桜の樹の下には』が書かれたのは、昭和3年である。その前年、梶井基次郎は伊豆湯ヶ島に湯治をかねて滞在していた。その頃は湯ヶ島には温泉宿が4、5軒あるのみであった。梶井は結核を患い、第3期であった。梶井は寡黙で、自分のこと、まして病気のことなど誰にも語らなかった。同じ温泉に、川端康成と宇野千代も滞在しており、梶井は二人の宿に足しげく訪れ、夜半遅くまで語りこんだ。しかし、湯治の効果は上がらず、宇野千代との間を夫である尾崎士郎に疑われ、湯ヶ島を去った。

昭和3年には、梶井は文筆活動を精力的に行うが、病状は更に悪化、身体の疲労も激しく血痰を毎日吐く状態であった。梶井はこのときすでに不治の病であることを認識し、死が近づいていることを受け入れていたのではないか。川端康成は「末期の目」について、死に向かう人間が見る自然はより美しく見える、それは人が死んだ後も美しいからと語っている。梶井はこの年、27歳、すでに末期の目を自然の注いでいたように思われる。それから4年、病を抱えながら、多くの作品を書き上げ、4年後31歳の若さで世を去った。

湯ヶ島に梶井基次郎の文学碑が旅館の敷地に立っている。碑には、湯ヶ島の旅館で書いた手紙の一節が刻まれている。梶井は、湯ヶ島の自然の美しさを、目に焼き付けようと凝視している。

 山の便りをお知らせします。桜は八重がまだ咲き残ってゐます。つゝじが火がついたやうに
 咲いてきました。石楠木は浄簾の瀧の方で満開の一株を見ましたが、大抵はまだ蕾の紅もさ
 してゐない位です。げんげん畑は掘りかへされて苗代田になりました。もう燕が来てその上
 を飛んでゐます。 伊豆湯ヶ島世古ノ瀧 湯川屋内 梶井基次郎
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桜の森満開の下

2017年04月10日 | 読書


桜の花は春のシンボルとして、人を楽しませるばかりのものではない。坂口安吾の小説『桜の森の満開の下』は、桜の花は見るものを、狂気へ駆り立てるまがまがしいものとして描かれている。この小説の主人公は名前もない強欲な山賊の男である。通る人をむごたらしく殺し、身ぐるみ剥いで暮らしのたつきとしている。そんな怖いもの知らずの男でも、満開の桜の下にくると気が変になり、怖いものと感じていた。

男にはかどわかして得た妻が7人いた。あるとき山賊の男は、夫婦ものを襲い、男の身ぐるみを剥ごうとしたが、女のあまりの美しさに男を殺してしまった。山賊の男は、女を妻たちがいる山の家に連れていこうとするが、女の美しさに魅せられて、女の僕のような立場になっていく。険しい山を登るにも、女を負ぶって、息も絶え絶えに家に着くが、女は男に命じて7人の妻の内、6人を殺させ、残りの1人は召使として残す。山賊との生活で、女は不平漏らし、ついに山を下りて都の暮らしを始める。わがままな女は男に命じて、名高い人々の首を持ってくるように命ずる。

女は男が取ってきた首で遊ぶことに夢中になる。首が腐敗し骨になっても平気である。首と首をからめて、噛みつかせたり、しゃぶらせたり、思いつく遊びに夢中である。毎日毎日、同じように首を取ってくるのに、男は嫌気がさしてくる。話は、満開の桜の下で女の首を絞めて殺してしまうことで結末を迎える。死んだ女の上に、桜の花びら散りつもっていく。

「彼は女の顔の上の花びらをとってやろうとしました。彼の手が女の顔にとどこうとした時に、何か変ったことが起こったように思われました。すると、彼の手の下には降りつもった花びらばかりで、女の姿は掻き消えてただ幾つかの花びらになっていました。そして、その花びらを掻き分けようとした彼の手も彼の身体も延ばした時にはもはや消えていました。あとに花びらと、冷たい虚空がはりつめているばかりでした。」

小説の最後は、こうしたシーンでしめくくられる。山賊の男にとって花びらと化していくあの美しい女はいったい何であったか。それは、桜の花を畏れている男の心そのものであったのかも知れない。
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