社長室(しゃちょうしつ)に若(わか)い男がおどおどしながら入って来た。それを迎(むか)えたのは、もちろん社長だ。社長は重厚(じゅうこう)な感じのソファに座(すわ)るように勧(すす)めると、自(みずか)らもどかっと腰(こし)を下ろして言った。
「君は信頼(しんらい)のおける人物(じんぶつ)だと聞いている。そこでだ、君に頼(たの)みたいことがあるんだが…」
若い男は驚(おどろ)いた。入社式以来(いらい)、社長と顔を合わすことなどなかったのに、平社員(ひらしゃいん)の自分(じぶん)のことを知っているなんて――。女性秘書(ひしょ)が茶封筒(ちゃぶうとう)を男の前に置(お)くと、社長は続けた。
「ここには、我(わ)が社(しゃ)にとって重要(じゅうよう)な極秘書類(ごくひしょるい)が入っている。これを預(あず)かってくれないか。長くはない、明日(あす)一日でいいんだ。実(じつ)は、会長(かいちょう)が来ることになっていて、目に触(ふ)れるところに置きたくないんだ。もちろん、引き受(う)けてくれるだろ?」
平社員に断(ことわ)ることなどできるはずもなく、若い男は封筒(ふうとう)を手に社長室を出た。誰(だれ)にも見せるなと社長から念(ねん)を押(お)されて、男はどうしたものかと考えてしまった。男はエレベーターの前で大きなため息(いき)をついた。すると、後から声をかけられた。男が振(ふ)り返ると、そこには掃除婦(そうじふ)のおばちゃんが立っていた。このおばちゃんとは顔見知(かおみし)りで、今まで何度も励(はげ)ましてもらったことがある。そこで男は、うっかり社長室でのことを話してしまった。
おばちゃんは笑(わら)いながら、「そりゃ大変(たいへん)だ。わたしが預かってあげようか? そんなの持ってちゃ仕事(しごと)にならないじゃない。心配(しんぱい)ないよ、誰もわたしが持ってるなんて思わないさ」
<つぶやき>渡(わた)しちゃっていいの? でも、どうして社長は大切(たいせつ)な書類を預けたのでしょ。
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