居酒屋(いざかや)で会社(かいしゃ)の飲(の)み会(かい)が開(ひら)かれていた。そろそろお開(ひら)きという感(かん)じ。テーブルの隅(すみ)の方(ほう)で、芳恵(よしえ)が新入社員(しんにゅうしゃいん)の圭太(けいた)にからんでいた。
芳恵「ちょっと、ちゃんと私(わたし)の話(はな)し聞(き)いてる!」
圭太「もちろん、聞(き)いてますよ、先輩(せんぱい)。でも、あの、そろそろ…」
芳恵「なんで、あの女(おんな)に任(まか)せるのよ。私(わたし)の方(ほう)が、きっちりと、この…」
圭太「あの、先輩(せんぱい)。もう、みんな、帰(かえ)ろうって…」
圭太(けいた)は立(た)ち上(あ)がろうとする。芳恵(よしえ)、彼(かれ)の腕(うで)をつかんで引(ひ)っぱる。
芳恵「まだ、話(はな)し終(お)わってないでしょ。人(ひと)の話(はなし)は、ちゃんと最後(さいご)まで聞(き)きなさい」
圭太「ちゃんと聞(き)いてますって…」
芳恵「私(わたし)はね、この会社(かいしゃ)で、一生懸命(いっしょうけんめい)働(はたら)いてきてるの。もう、七年(しちねん)よ。七年(しちねん)」
圭太「ああ、そうなんですか」
芳恵「あの女(おんな)より、私(わたし)の方(ほう)が優秀(ゆうしゅう)なんだから。ちょっと私(わたし)より美人(びじん)なだけなのに、なんでいい仕事(しごと)は向(む)こうへ行(い)っちゃうわけ」
圭太「いや、そんなことないですよ。先輩(せんぱい)の仕事(しごと)だって…」
芳恵「フフフ…。ねえ、あの女(おんな)の昔(むかし)のあだ名(な)、教(おし)えてあげようか? どん亀(がめ)って言(い)うの。フフフ…。小学校(しょうがっこう)の運動会(うんどうかい)で、いつもびり走(はし)ってて…」
圭太「何(なん)で、そんなこと…」
芳恵「だから、こんなちっちゃい頃(ころ)から知(し)ってるの。ほんと、いやな奴(やつ)だったわよ」
圭太「それって、幼(おさな)なじみとか…」
芳恵「幼稚園(ようちえん)のときなんか、私(わたし)のおもちゃでかってに遊(あそ)ぶのよ。自分(じぶん)のことしか考(かんが)えてないの。今(いま)も、そういうとこあるじゃない。そう思(おも)わない…」
圭太「いや、そうかな…」
芳恵(よしえ)は圭太(けいた)の腕(うで)をつかんだまま酔(よ)いつぶれてしまう。
係長「じゃあ、さきに帰(かえ)るな。君(きみ)たちの分(ぶん)は、立(た)て替(か)えといたから」
圭太「そんな、係長(かかりちょう)…」
明日香「じゃあね、芳恵(よしえ)のこと頼(たの)んだわよ。ちゃんと、送(おく)ってあげてね」
圭太「いや、待(ま)って下(くだ)さいよ。僕(ぼく)も…」
寛子「大丈夫(だいじょうぶ)よ。君(きみ)は草食系(そうしょくけい)だから、きっと無事(ぶじ)に帰(かえ)れるわよ」
圭太「えっ? どういうことですか」
吾朗「(圭太(けいた)の耳元(みみもと)で)お前(まえ)、変(へん)な気(き)おこすなよ。へたすると、怪我(けが)だけじゃすまないぞ」
圭太「なに言(い)ってるんですか、先輩(せんぱい)」
芳恵「(突然目(とつぜんめ)をさまし)こら、新人(しんじん)。まだ、話(はな)し終(お)わってないだろ(また寝(ね)る)」
圭太「あの、僕(ぼく)はどうすれば…」
時江「彼女(かのじょ)、合気道(あいきどう)やってるのよ。だから、反射的(はんしゃてき)に身体(からだ)が動(うご)いちゃうこともあるみたい。取扱(とりあつかい)には細心(さいしん)の注意(ちゅうい)を払(はら)いなさい。私(わたし)が言(い)えることは、それだけよ」
みんなは出(で)て行(い)く。圭太(けいた)は、気持(きも)ちよさそうに寝(ね)ている芳恵(よしえ)を見(み)て、途方(とほう)にくれた。
<つぶやき>翌日(よくじつ)、きっと彼女(かのじょ)は何事(なにごと)もなく出社(しゅっしゃ)することでしょう。すべてを忘(わす)れて…。
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