本題。
認知バイアスの一種として「社会性バイアス」とした。 そんな日本語単語は存在しないようだが。
衆愚に媚びるのを善行だとする認知バイアスを「社会性そのもの」だろうとしたと。 いじめを喜ぶ人間集団への迎合であり、また犯罪処罰といじめの区別をつけない人間が、「自分のそれはいじめに反対する善だ」と称して新たないじめを始める。
聖書の主題の一つだろう。 教会勢の迎合を唾棄し続ける。
余談。
一般のキリスト教徒あたりには前々回が問題行動で前回のが改心した、かのように捉えられるんじゃないかと思う。 詳細は伏せるが実際に喜ばれるのは喧嘩を売ってるかのような前々回の方、と見ている。 「社員が本部にクレームを付けている状態」だとすると解りやすいのではと。 実際に喜ばれるかどうかは「何のためのそれか」により、私見では黒人のためだと。
ポリコレに媚びたCMに怒りを持つ。 それがまた多すぎてストレスになる。
上からするとそれらは
・多数派の誤導を繰り返す形で環境整備
・少数に悟性を与える
となっているのかもしらんが、私的には
・やってる事はアリーアル・サーシェスと大差ない
・多数派青年中年がそのままゴミ化する
といった悪を許容していると。
アメリカ黒人の現状を「内野悪魔と外の悪魔」としている。 内の悪魔は黒人に犯罪者化を強要する黒人コミュニティの同調圧で、外の悪魔とはそれを正当化するリベラル派の事。 リベラル派にとってのメリットは、彼らの少数に名目上の貴族地位を与えると同時に多数を衆愚に留め置く事が可能となると。 Get woke go brokeどころではない。
昔同じものをパレスチナ支援に見た。 テロ集団への正当性付与がアラブ全域の三等国化政策になっていた。
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