カードゲーム大会開催者側がゲーマーたちに「こうあるべき」みたいなレギュレーション、マナー集みたいなものを出したみたいな話が有った。 それに「風呂に入れ」みたいなのがあって話題になっていたと。
私はこうした構図を「親が馬鹿を保護している」と捉えた。 風呂に入らないゲーマーは知的障害者や境界線上の人間の一種で、親が保護しているから死んでいないし人生の楽しみみたいなものもあると。
フェミが話題になっている。 最近ようやく「馬鹿の言いなりになるとろくなことにならない」との認識が広まってきた。 ここで言う馬鹿とはフェミ達の事である。 一方で、「フェミは悪意の人間なので適当にあしらって無視するに限る」などの動きを問題ありともしている。 というのも、フェミが悪意の人間集団なのは事実だがそう言う人間が毎回悪意の人間集団を見抜くわけではない。 むしろフジテレビデモに対するテレビ業界の反応みたいなものの方が多いだろう。
「ケーキの切れない非行少年たち」なる単語を目にする。 ナチュラルボーン・クリミナルみたいな連中が同時に知的障害者でもあったという話。 イギリス・カウンシルハウス政策はそういった人間を増やし続けるのだろうと見ているが、具体的にどうそうなるのかはピンとこない。
軽度の知的障害児がクズになるプロセスを考える。
1 知的障害児が勝手な事をし事故を起こし、物を壊す、人に怪我をさせる
2 周囲がそれを嫌う
3 友人や大人たちがその障害児を馬鹿にするように振舞う
4 その知的障害児は「事故を起こさない事を学ぶ」のではなく、「他人を馬鹿にしてよい条件」を見つけようとする
5 知的障害児たちが勝手に見繕った「他者を馬鹿にする条件」が社会の秩序に組み込まれるようになる
4がクズ化の始まりで、5が暴力集団、詐欺集団、サイコパス経営者などが社会を牛耳っている現象と。 そして馬鹿の側に権力が与えられた世界では2の「事故や事件を嫌う事」こそが悪だとされるようになる。 そして3が善だとされているのがアイスバケツチャレンジやバンクシーの世界。
問題は、周囲の大人や友人たちが、子供を学ばせるのではなく馬鹿にする事を娯楽とする点にあるとする。 これによって子供は人や物を大事にするのではなく壊して喜ばせようとするようになるのだと。 子供たちは嘲りを娯楽とする人間たちから早期に保護されるべきであり、同時に、好んで事故を起こすような傾向はにはっきりと「馬鹿である」「人としてあるべきが欠けている」と断じられるべきだと。
さて、馬鹿な子が保護されるようになったら世界はどう変わるか。 子供たちは保護されると同時に、保護するものになる事が求められるようになる。 嘲りは悪だとされるが、優劣は付けられる。 例えば算数が出来る人間はその事を褒められるが、できない人間は他の事をすればよいとなる。 良心的である事は当然とされるが、足が速い事、力が強い事、計算高い事、口が上手い事などは能力として優れていても人として優れている条件とはされなくなる。
バンクシーだから許される、白鵬だから許されるという社会とは逆の社会にしようと言っている。 そのために馬鹿な子供を保護しろと。
私はこうした構図を「親が馬鹿を保護している」と捉えた。 風呂に入らないゲーマーは知的障害者や境界線上の人間の一種で、親が保護しているから死んでいないし人生の楽しみみたいなものもあると。
フェミが話題になっている。 最近ようやく「馬鹿の言いなりになるとろくなことにならない」との認識が広まってきた。 ここで言う馬鹿とはフェミ達の事である。 一方で、「フェミは悪意の人間なので適当にあしらって無視するに限る」などの動きを問題ありともしている。 というのも、フェミが悪意の人間集団なのは事実だがそう言う人間が毎回悪意の人間集団を見抜くわけではない。 むしろフジテレビデモに対するテレビ業界の反応みたいなものの方が多いだろう。
「ケーキの切れない非行少年たち」なる単語を目にする。 ナチュラルボーン・クリミナルみたいな連中が同時に知的障害者でもあったという話。 イギリス・カウンシルハウス政策はそういった人間を増やし続けるのだろうと見ているが、具体的にどうそうなるのかはピンとこない。
軽度の知的障害児がクズになるプロセスを考える。
1 知的障害児が勝手な事をし事故を起こし、物を壊す、人に怪我をさせる
2 周囲がそれを嫌う
3 友人や大人たちがその障害児を馬鹿にするように振舞う
4 その知的障害児は「事故を起こさない事を学ぶ」のではなく、「他人を馬鹿にしてよい条件」を見つけようとする
5 知的障害児たちが勝手に見繕った「他者を馬鹿にする条件」が社会の秩序に組み込まれるようになる
4がクズ化の始まりで、5が暴力集団、詐欺集団、サイコパス経営者などが社会を牛耳っている現象と。 そして馬鹿の側に権力が与えられた世界では2の「事故や事件を嫌う事」こそが悪だとされるようになる。 そして3が善だとされているのがアイスバケツチャレンジやバンクシーの世界。
問題は、周囲の大人や友人たちが、子供を学ばせるのではなく馬鹿にする事を娯楽とする点にあるとする。 これによって子供は人や物を大事にするのではなく壊して喜ばせようとするようになるのだと。 子供たちは嘲りを娯楽とする人間たちから早期に保護されるべきであり、同時に、好んで事故を起こすような傾向はにはっきりと「馬鹿である」「人としてあるべきが欠けている」と断じられるべきだと。
さて、馬鹿な子が保護されるようになったら世界はどう変わるか。 子供たちは保護されると同時に、保護するものになる事が求められるようになる。 嘲りは悪だとされるが、優劣は付けられる。 例えば算数が出来る人間はその事を褒められるが、できない人間は他の事をすればよいとなる。 良心的である事は当然とされるが、足が速い事、力が強い事、計算高い事、口が上手い事などは能力として優れていても人として優れている条件とはされなくなる。
バンクシーだから許される、白鵬だから許されるという社会とは逆の社会にしようと言っている。 そのために馬鹿な子供を保護しろと。