狸喰うモノ牛愛でるモノ

虐待放置、インチキ優先のやり方を信用出来るわけねーだろ

社会は馬鹿をどう保護すべきか

2022-01-13 22:54:12 | Weblog
カードゲーム大会開催者側がゲーマーたちに「こうあるべき」みたいなレギュレーション、マナー集みたいなものを出したみたいな話が有った。 それに「風呂に入れ」みたいなのがあって話題になっていたと。
私はこうした構図を「親が馬鹿を保護している」と捉えた。 風呂に入らないゲーマーは知的障害者や境界線上の人間の一種で、親が保護しているから死んでいないし人生の楽しみみたいなものもあると。

フェミが話題になっている。 最近ようやく「馬鹿の言いなりになるとろくなことにならない」との認識が広まってきた。 ここで言う馬鹿とはフェミ達の事である。 一方で、「フェミは悪意の人間なので適当にあしらって無視するに限る」などの動きを問題ありともしている。 というのも、フェミが悪意の人間集団なのは事実だがそう言う人間が毎回悪意の人間集団を見抜くわけではない。 むしろフジテレビデモに対するテレビ業界の反応みたいなものの方が多いだろう。

「ケーキの切れない非行少年たち」なる単語を目にする。 ナチュラルボーン・クリミナルみたいな連中が同時に知的障害者でもあったという話。 イギリス・カウンシルハウス政策はそういった人間を増やし続けるのだろうと見ているが、具体的にどうそうなるのかはピンとこない。

軽度の知的障害児がクズになるプロセスを考える。
1 知的障害児が勝手な事をし事故を起こし、物を壊す、人に怪我をさせる
2 周囲がそれを嫌う
3 友人や大人たちがその障害児を馬鹿にするように振舞う
4 その知的障害児は「事故を起こさない事を学ぶ」のではなく、「他人を馬鹿にしてよい条件」を見つけようとする
5 知的障害児たちが勝手に見繕った「他者を馬鹿にする条件」が社会の秩序に組み込まれるようになる

4がクズ化の始まりで、5が暴力集団、詐欺集団、サイコパス経営者などが社会を牛耳っている現象と。 そして馬鹿の側に権力が与えられた世界では2の「事故や事件を嫌う事」こそが悪だとされるようになる。 そして3が善だとされているのがアイスバケツチャレンジやバンクシーの世界。

問題は、周囲の大人や友人たちが、子供を学ばせるのではなく馬鹿にする事を娯楽とする点にあるとする。 これによって子供は人や物を大事にするのではなく壊して喜ばせようとするようになるのだと。 子供たちは嘲りを娯楽とする人間たちから早期に保護されるべきであり、同時に、好んで事故を起こすような傾向はにはっきりと「馬鹿である」「人としてあるべきが欠けている」と断じられるべきだと。

さて、馬鹿な子が保護されるようになったら世界はどう変わるか。 子供たちは保護されると同時に、保護するものになる事が求められるようになる。 嘲りは悪だとされるが、優劣は付けられる。 例えば算数が出来る人間はその事を褒められるが、できない人間は他の事をすればよいとなる。 良心的である事は当然とされるが、足が速い事、力が強い事、計算高い事、口が上手い事などは能力として優れていても人として優れている条件とはされなくなる。

バンクシーだから許される、白鵬だから許されるという社会とは逆の社会にしようと言っている。 そのために馬鹿な子供を保護しろと。
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ガブリエル問題について

2022-01-13 22:21:30 | Weblog
表題の。 3つに分けられ
1 イスラム教・ユダヤ教対立の問題
2 ソロモンおよび「神の人」の評価に関するもの
3 「神の子」の問題

となっていると。 まず2から行く。
古代イスラエルの宗教は、元々はアテン教であった。 圧迫されるようになったエジプト・アテン教宗団(マナセ派、エフライム派)が教祖の故郷カナンを目指したのが出エジプト。 ここでマナセ派、エフライム派は「いびつなアテン教」へと変質した。 これを十戒教団とする。 この十戒教団からアテン教回帰を志す王が表れた。 これがソロモン。
エジプトから嫁を取る、シバの女王に認められる、万民に「神に祈るならば我々と同等に引き立てる」としたソロモンを、十戒教団は邪悪とした。 十戒教団の流れを酌む今日のキリスト教(シメオン・ペテロの教団)も同様で、相変わらず「通婚」「ソロモンの重税」などと言っている模様。 富裕層同族の金で貧民たちに教育(ソロモン神殿は今日でいう大学に相当する)を施した結果が地域全体の安定と繫栄なのだがこれを罪悪だなどと教えている。
列王記「神の人」事件が意味するのは決別である。 それは隠されている。 何故未だに隠したままなのだ?

1のイスラム教。 ソロモンが言った「ソロモン神殿に向かって祈る者は神の民である」を実践したのが初期イスラム教団。 のちに礼拝の向きはメッカに変わった。 ムハンマドにイスラム教を伝えたのが天使ガブリエルで、この「ガブリエル」の語源は「神の人」だそうな。 イスラム教側はキリスト教を偶像崇拝に傾いているとしているが、私に言わせればあれはあれで選民思想の変形。 イスラム教の方は「一神教ならユダヤ教、キリスト教でもオッケー」的な面がある(時々なかった事にもされる)が、キリスト教側にはない。 基本的に、キリスト教徒以外は地獄行き、がシメオンペテロ教団の教義。

神の子。 「神の子って何だ?」ってのが問題で。 これが二元神論になる。 唯一神と二元神の関係は細胞分裂としての理解が妥当な面もある。 というか、生物の細胞分裂が世界の多様化プロセスをなぞったものだったり。 分裂した細胞AとBを双子のように見なすのが二元神、細胞Aから細胞Bが現れた、とするのがいわゆる「神の子」。 そしてこれらは重ね合わせにもなっている。 唯一神が存続する世界、分裂が確定した世界、分裂が未確定の世界。 唯一神の世界が概念の世界で、分裂確定二元神から多様化したのが物質世界、未確定が霊の世界。
二元神「神の子」には対照的ではない特徴があると。 分裂のもう一方を親と見なしたり兄と見なしたりする。 放蕩息子のたとえの放蕩息子でもあって、親を直に認識していたりはしない。 知識として「居る」のは知っていても常に目の前にというわけではないと。 結果どうなるかだが、適宜最高神のようなものを想像し続ける。
「神の子」が被造物最高神を生じ続ける構造がある時終わったと。 これが十戒。 私はこれを、被造物が創造神を止めたとしている。
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