今、エロ小説を書いているので、この一週間は「再掲」週間となっております・・・。
以下は、2012/07/26 に投稿したものです。
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☆以下の引用は、私が、直接的な対決をし難い「最悪の人間」について記すときに、必ず転載するものである。
今回は、そこだけを抜き出して載せておく。
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アガサ・クリスティと言ったら、ハリー・ポッターの作者と同じく、英国の超有名女流小説家である。
その著作は、全世界で聖書に匹敵するほどの発行部数を誇っている。
ミステリーの内容としては、現代の基準で見るとややシンプルであるが、昨今のミステリー小説のトリックの原初の姿がほとんど網羅されている。
何よりも、女流作家らしく、登場人物の心の機微が丹念に描き込まれているので、今もなお読み継がれているのだろう。
以下は、名探偵ポアロが語る、「最期の事件の犯人」である。
当該書物を未読のミステリーファンは、この先を読まないで下さい!!!
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アガサクリスティ著 『カーテン ポアロ 最後の事件』より
≪・・・しかるに、わが友よ、いずれの事件でも(あるいは、ほぼいずれの事件でも)犯行をなしえたのは被告だけであるという状況があった。
逆に、もしそうだとすれば、Ⅹの存在をどう説明するのか?
警察とか、刑事弁護士事務所とかにつながりのある人間を別にすれば、男女を問わず一人の人間が五つの殺人事件にかかわり合うこということはとうてい考えられない。
そんなことはありえないのだよ!
だれかが、「実は、私は五人の殺人犯をじかに知ってるんですよ」などと打ち明けることは、絶対にありえない!
そうとも、わが友よ、そんなことはあるはずがない。
そこで引き出される奇妙な結論は、これが触媒作用・・・、第三の物質が介在する場合にのみ二つの物質間に反応が起こり、しかもその第三の物質は明らかに反応に参加もしなければ変質もしないという現象・・・による事件だということだ。
こういう局面に立ちいたった。
つまりⅩがいたところで犯罪が起きた・・・だがⅩは実際の犯行に手をかしていない、というわけだ。
(中略)
さて、これならきみも気づいているだろう、ヘイスティングス。
人はみな潜在的殺人者だ・・・どんな人間でも、ときおり殺してやりたいと思うことがある・・・殺してやるとは思わないまでもだ。
「あの女には殺してやりたいと思うほど腹が立ったよ!」とか、「Bのやつ、あんなことをぬかすなんて、殺してやりたいくらいだよ!」とか、「彼を殺してやりたいほど腹が立ったよ!」とか、きみだってそんな気持ちになったり、他人がそんな言葉を口にするのを聞いたりしたことが何度もあるだろう。
これらはすべて文字通りの本音なのだ。
その瞬間のきみの気持ちはたいそうはっきりしている。
つまりきみはだれそれを殺したいのだ。
しかしきみは殺さない。
意志が願望に同意を与えなくてはならないからだ。
幼い子供の場合は、このブレーキが完全には働かない。
私の知っている子供で、自分の飼っている仔猫に腹を立てて、「おとなしくしないと頭を殴って殺しちゃうぞ」と言って、実際にその通りにした子がいる・・・ところが一瞬あとには仔猫がもう生き返らないことに気づいて愕然とした・・・その子は仔猫をとてもかわいがっていたからだ。
こんなふうに、われわれはだれでも潜在的殺人者だということがわかったろう。
そこでⅩのテクニックだが、それは殺人の欲望を唆すのではなく、だれでも持っている良心の抵抗力を押しつぶすという方法なのだ。
これは長い間の修練によって完成されたテクニックだ。
Ⅹは抵抗力の弱い部分に働きかけて、徐々に圧力を増加させてゆく言葉、言いまわし、さらには抑揚までも的確に知っていた!
それは可能だった。
そして相手がまるで知らないうちにそのテクニックが駆使された。
催眠術とは違う・・・催眠術では成功しなかっただろう。
もっと陰険で、危険なテクニックだ。
破れ目をふさぐのではなく、一段とひろげるために人間の総力を結集するテクニックとでもいうか。
それは人間の最良の部分を呼びおこして、最悪の部分と同盟を結ばせる。・・・≫
◇ ◇ ◇
「灰色の脳細胞」ことエルキュール・ポアロは、この法が裁けぬ犯人「Ⅹ」を、自らの手によって葬ろうとするのだ・・・。
殺人事件にこそ発展しなくても、
あなたの生活半径の中にも「Ⅹ」のような人物がいて、
人間関係の破壊に勤しんでいることでしょう・・・。
ちょっと許しがたいですよね~^^;
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アガサ・クリスティー | |
早川書房 |
(2012/07/26)