箱根登山電車の風祭駅の隣が入生田駅、なんと読むのか解らなかった。
駅では「入生田 Iriuda」で「いりうだ」と表記してあった。
ところがYahoo地図や郵政省郵便番号の住所表記では「いりゅうだ」とある。日本歴史地名大系「神奈川県の地名」には入立田村(いりゅうだむら)現入生田(いりうだ)とある。難しい地名読み方のクイズに出てきてもこれでは正解が判らない。旧東海道に面していた紹太寺惣門跡付近で草刈していた年配の人に此の辺の地名を聞いたら、「いりゅうだ」と小さい時から云っていたという。 入生田の旧東海道と道祖神
湿地を意味する近畿のウダが西にむかうと九州のムダ、東の関東では、ヌタやノタと変化し、いずれも同一語で(柳田國男「地名の研究」)、ウダという語はかなり古いという。アイヌ語ではウダは海岸の濱続き、または崎と崎との間のような地形を云うと紹介している。新編相模風土記稿に「入生田村(以里宇駄牟良)古は入立田、或は入宇田とも記せり、(正保の改には今の字を記し、元禄の改には、入立田と載す)、民戸三十、東西六町八間、南北二町五十間」とある。関東での湿地の古語であるヌタやノタが使われず、近畿圏のウダが使われたのか興味は尽きないが、風土記稿によれば「早川 南寄を流る、昔は北方を流れしに、天和中洪水の時川瀬替れり、(川幅十二間より十八間に至る)」とあるから村の面積は一町を六十間として約六万二千坪で川幅が1680年代に22m位から33m位に広くなったことになる。
駅から旧東海道に出て小田原の方に向かう。途中、猿の群れの生息域に入るという村の鎮守、山神社によった。注意していないと通り過ぎてしまいそうな家と家との間に神社に通じる狭い石段をオッカナビックリ登る。
山神は「やまがみ」というのかと思ったら、神奈川県神社庁に、入生田の山神神社(さんじんじんじゃ)とあり、大山祇命を祀り、管理は早川の木の宮さんと呼ばれ、箱根木工業の人たちに昔から崇拝されてきた紀伊神社となっていた。 早川の紀伊神社
県神社庁記載の山神社の表記には、「やまのかみしゃ」秦野市堀山下、「やまじんじゃ」相模原市緑区佐野川、「さんじんじゃ」大和市中央と三通りの呼名があり、いずれも大山祇命を祀っている。早川の紀伊神社と入生田の山神神社とは祭神が異なるが、紀伊神社は惟喬親王も祀っており、入生田山神神社の本殿正面に天狗が彫られ、山神は「さんじん」と呼ばれることから山人と木地師、あんがい同じような生業の人々が祀った神社なのかもしれない。
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