天命を知る齢に成りながらその命を果たせなかった男の人生懺悔録

人生のターミナルに近づきながら、己の信念を貫けなかった弱い男が、その生き様を回想し懺悔告白します

外気が氷点下4°C以下だと水道管凍結が日中でも起きると『広報さっぽろ』有りマンション管理会社は熟読を

2012-12-23 23:16:05 | 日記
今日の日記は、セカンドハウス現地確認の状況報告です。今年の札幌の積雪は、例年に比べて多く、もう累積積雪が80cmを超えています。そして、私が危惧している冬期間の水道管凍結は、外気温が氷点下4°C以下になると、日中でも起こる可能性があると、郵便ポストに入れられていた12月号『広報さっぽろ』の特集記事で書かれ、ここの住民に紹介されていました。このような特集記事は、私のような札幌に常に在住していない者には、とても参考になりました。
だから、冬期間の間で真冬日の最低気温が、氷点下4°C以下になると、”凍結の要注意”ということになります。単に氷点下(水が氷になる)になったら、もう危険ゾーンという訳ではないみたいです。
さらに親切に、もし水道が凍結・故障したら、問い合わせできる札幌市指定給水装置工事事業者リストを、この特集記事に添付されていました。
気配りのある行政サービスとは、こういうような配慮をいうのです。それに比べて、私の購入したセカンドハウスのマンション管理会社は、自己の責任回避と面倒な設備回復をしたくない意図からか?何も具体的な方策を述べずに、安易な逃げ道で、住居利用者に水抜きをしろ!と、むやみに脅しているだけです。
管理サービスの初心とは、まずはその顧客の安心を得ることではないのですか?。そして、不安を助長させるだけの管理サービスなら、もうそのサービスから得られる報酬を、そのサービスを受ける者は全く支払う必要はないと、この行政誌『広報さっぽろ』を読んで、私は今強く痛感しています。
だから、私はマンション管理会社に、是非この広報誌を読んで欲しいです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

セカンドハウス管理会社から届いた「冬期間の水道管等凍結事故警告」に驚き不安な厳冬期は2週間おき札幌へ

2012-12-21 23:29:25 | 日記
今日の日記は、私が札幌に購入したセカンドハウスの管理会社から届いた『冬期間の水道管等凍結事故の予防対策について』のマンション不在者への警告文のことです。
先月、私の自宅へこのマンション管理会社から上記の設備機器に関する警告文が届きました。以下にその文面の抜粋を掲載します。
『・・北海道の冬は連日気温が氷点下となり、・・水道管等の凍結事故が発生する場合もございます。・・★~冬期間空室になっていたり、賃貸等による居住者が退去されるような場合には、居室内の水抜き作業等を確実に行って頂きますようお願い申し上げます。~★ ガスセントラル給湯暖房システム(TES等)の水抜き等は、ガス事業者の指定店による作業が必要となります。・・屋外設置型灯油給湯(暖房)機は直接外気に触れているため、特に凍結事故の危険性が高くなります。水抜き忘れや電気ヒーター等の入れ忘れ等にはくれぐれもご注意下さいますようお願い申し上げます。敬具』
私は、今回購入したマンションで、部屋に供給されている水道管に凍結事故が発生するなど、全く夢にも思っていませんでした。私は、この札幌にあるマンションも、スキー場のリゾートマンションと同様に、別荘扱いの購入者も多くいると思い、<不在の時は、居室内の水抜き作業等を確実に行う>などの利用上の重大な制約があるとは考えもしていませんでした。そして、その水抜き作業は<専門業者に頼め>と更なる制約を課せられています。こんな利用者に不便を強いるマンションなど、全く売る価値もない建物と私は思っています。
そして、この警告文によると、私の部屋のベランダにも、直接外気に触れている屋外設置型ガス給湯(暖房)機があり、<凍結事故の危険性がさらに高くなる>ことになります。でも、何もその凍結防止対策を講じず、そのガス給湯(暖房)機を、安易に屋外に設置していたのなら、全くの欠陥分譲マンションだと私は思っています。
この警告文にも記載されているように、外気に接する水道管には”電気ヒーター”を巻いて保温処置を講じ、さらに保温材をカバーして防寒処置しているのが、寒冷地での屋外給水設備の仕様上の常識だと、私は全く疑いもせず単純に思い込んでいました。
しかし、このマンション管理会社は、この防寒の防護処置に何ら言及もせず、ただ<凍結事故の危険性がさらに高くなる>と、マンション利用者を不安にさせているだけです。だから、セカンドハウス購入者を不誠実な管理会社が不安に陥れる全くの欠陥マンシャンを、思慮が足らずに購入したと、私は今思っています。
明日、私は札幌に行き、水道管が凍結していないか現地確認をします。この警告文が届く前は、私は3連休の時だけ札幌に出かけるつもりでしたが、警告文にある<空室になっている>期間をより短縮する必要があると痛感しました。
だから、私は、1・2月の厳冬期には、約二週間おきに札幌に行くことにしました。その往復に掛かる飛行機代もバカにならないし、私は、思わぬ出費を強いられることになりました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自爆テロ解散と野田首相を誹謗し政治は天命だと語り引退しない田中文部科学相は貝塚茂樹著『論語』読むべし

2012-12-18 22:48:03 | 日記
今日の日記は、読売新聞に掲載されたコラム『五郎ワールド「天命を知る」ということ』(特別編集委員・橋本五郎氏)で紹介された、貝塚茂樹著『論語』(中公文庫)のことです。添付した写真は、その著書の表紙です。
橋本五郎氏が読売新聞コラムでこの著作を紹介してから、私自身も是非この名著を読みたくなって、某書店で購入して今自宅で熟読しています。
この著書に、紹介された『天命』が記述されている、第二・為政篇・四の一部を、以下に引用・掲載します。
『子曰く、吾十有五にして学に志し、三十にして立ち、四十にして惑わず、五十にして天命を知る。(注4)六十にして耳順う、七十にして心の欲する所に従って、矩を踰えず。:(注4)・・「天命を知る」とは、三桓氏の打倒が天から与えられた使命であることを自覚して、改革に努力するが、それが挫折したことも、また人力以上の天の配剤であったことを、孔子がさとったことをさす。・・これは、孔子が晩年に自分の生涯をふりかえった、感慨のこもった言葉である。今までの注釈は、もっぱら教養によって聖人の域に至った過程を述べたものとして、われら凡人どもの精神修養の助けとして読む態度で解釈してきた。・・しかし、万事控えめで、非常に反省心が強く、自己を誇らない孔子が、いつも苦難に満ち、試練にさらされて成長してきたその生涯を、無限の感慨をもってふりかえっての発想を、十分に汲み取っていない。』
この名著を読んで、橋本五郎氏が紹介した貝塚茂樹氏の孔子観を、私は深く理解できました。その孔子観が、名著を読んだ井上靖氏が書いた作品『孔子』にも、色濃く反映されていたのです。
そして、この名著を読み終わった後、今日の読売新聞ネットニュースを見ていたら、今回の衆議院選挙で落選した田中文部科学相が、とても気になって私が大いに憤慨した「敗戦の談話」を述べていました。
野田首相の行動をいつも真紀子節で「自爆テロ解散」と誹謗した田中文部科学相は、今後の自身の政治活動に関しては、「(政治活動は止めずに、政治家は)天命だと思っています。大好きな仕事ですから」と引退をせず、そのまま政治家を継続する意志を示していました。
田中真紀子氏は、孔子の言葉『天命』を自らの敗戦弁明で使う資格など全くない文部科学大臣です。自身の至らなさを全く反省もせず、任命権者の上司の行動を「自爆テロ」と的外れの表現をして、「天命を知る」の真の意味さえ分からず、何らの反省心もありません。だから、田中真紀子氏に、この孔子の思想を紹介した名著である貝塚茂樹著『論語』を、是非とも読んでほしいです。
そして、田中真紀子氏が真摯にこの名著を読めば、自分自身の今までの非見識な政治行動を悔い改めて、即座に今後の政治活動を止めるはずです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

映画『眺めのいい部屋』オスカー脚色賞受賞もラストの出逢い場所フィレンツェ眺めのいい部屋での抱擁に納得

2012-12-15 18:39:16 | 日記
今日の日記は、久しぶりにDVD映画鑑賞した『眺めのいい部屋・完全版』(1986年英国製作 ジェームズ・アイヴォリー監督 ヘレナ・ボナム=カーター ジュリアン・サンズ主演)のことです。
私は、最近、英国を舞台にした懐かしい名作映画を、多くDVD鑑賞しています。だから、一昨日の日記で大好きなイタリア(古代ローマ帝国)の話題にしたので、今回は20世紀初頭のイタリア・フィレンツェとロンドンを二カ国(注:昔はグランド・ツアーと称して、欧州文化発祥の地・イタリアを旅行するのが上流社会のヨーロッパ人の風習)を舞台にしたこの名作映画を観たくなって、今お茶の間鑑賞しています。
この映画は、私の日記でも紹介した映画『日の名残り(1993年)』を監督したジェームズ・アイヴォリーの7年前の作品です。この映画には、ふとしたフィレンツェでの出逢いから恋愛に陥る英国人男女を演じた主演のヘレナ・ボナム=カーター(良家の若き令嬢)とジュリアン・サンズ(彼女とフィレンツェ宿泊ホテルで部屋を交換した男の息子)以外にも、現在の映画界で大活躍している英国人の名優たちが多く出演して、映画に深みを増しています。
女優のマギー・スミス(令嬢の従姉で年配の独身女性:実質は映画主演者タイトルは彼女が一番目)とジュディ・デンチ(フィレンツェ宿泊ホテルで同宿した英国女流小説家)と男優のダニエル・デイ・ルイス(若き令嬢と婚約するが、それを解消された英国男性)らがそうです。
そして、その名演技が認められて、マギー・スミスは英国アカデミー賞の主演女優を、ジュディ・デンチは助演女優を受賞しています。若き上流社会の英国人男性の気品高さや格調さを巧みに表現したダニエル・デイ・ルイスは、残念ながら何も受賞しませんでしたが、主役の若き男女二人を引き立てるとても印象に残る名演技でした。
さらに、本家のアカデミー賞で受賞した脚色賞・衣装賞・美術賞が物語るように、20世紀初頭のイタリア・フィレンツェの歴史的街並みやロンドン郊外のマナー・ハウスの景色をとても美しく忠実に見せています。
両国のこの舞台となった景勝地は、私が外国旅行で実際に訪れた場所であり、今回DVDで再鑑賞して、とても親近感が沸き起こりました。
さらに、ラストで、二人の出逢いの切っ掛けとなったフィレンツェでの眺めのいい部屋での二人の窓際の抱擁シーン(注:添付した写真を参照の事)の映画展開に、私は満ち足りた安心感を抱き、とても気持ち良い印象を強く持ちました。
だから、この映画がアカデミー脚色賞を受賞したのも、私は深く納得しています。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

本村凌二著『古代ローマとの対話・歴史感のすすめ』多神教はいい加減寛容で唯一神は侵害許さず厳しい掟課す

2012-12-13 20:59:18 | 日記
今日の日記は、今読んでいる本村凌二著『古代ローマとの対話「歴史感」のすすめ』 (2012年6月岩波書店刊・岩波現代文庫版)のことです。添付した写真は、その著書の表紙です。
この古代ローマ世界をとても興味深くかつ分かり易く解説した歴史書の新刊を、私は某書店で購入して、今自宅で読んでいます。
今まで多くの古代ローマ帝国に関する著書を読んでいる私でも、この著書に新たな歴史的な発見を見出して、著者の本村凌二氏(東京大学名誉教授・古代ローマ史専攻)の卓越した指摘に、とても共感した記述(第1章:古代地中海世界の文明史 オリエント世界と一神教・前二千年紀)がありました。以下に、その記述の一部を、引用・掲載します。
『しばしば、私は欧米人に遠藤周作の「沈黙」を読むことをすすめる。・・知人のコロンビア大学教授は、読後に自分の日本人観がすっかり変わったと告げた。信仰心の有無を問わずキリスト教の世界に育った者なら、自分たちの論理にゆるぎない自信をもっているという。それは一神教という土壌に培われた透徹した論理性とでもいうべきものであろうか。それなのに、この小説のなかでは、彼らの首尾一貫した論理が、多神教である日本人の薄弱な論理の前に崩れ去ってしまうのである。一神教は高度であり多神教に負けるはずがないと思いこんでいるから、その衝撃は並々ならぬものがあるらしい。たしかに、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教などの一神教は、人類五千年の歴史のなかで遅れて登場している。後代に成立したから、まさっているわけではないだろうが、数多の神々を淘汰して唯一神が登場すると理解されやすい。だから、一神教世界の側は多神教世界を見下すことになりがちである。しかし、精神分析学者の岸田秀が語っているように([一神教VS多神教]/新書館)、一神教は必ずしも優れているわけではないのだ。・・岸田の考えによれば、人間は本能が壊れており、自我も言語も本能の崩壊に対処して成立したのである。差別され抑圧された人々は、失われたものを埋め合わせようとする意識がことさら強くなる。だからこそ、唯一絶対にして全知全能なる神という観念に共鳴するのだ。それに比べると、多神教の神々は、全知全能などではなく、ひどく人間くさい。ギリシアの最高神ゼウスは女神や妖精ばかりか、人間の女にまで手を染める好色漢であり、天照大神は弟神の乱暴にすねて岩屋戸に隠れながらも、裸踊りの騒ぎにつられてそっと戸を開けてしまう気弱な女神でもある。・・こうして多神教の世界はいい加減でもあり寛容でもあるが、唯一神の世界は侵害を許さない厳しい掟を課すことになる。』
この本村凌二氏の卓越した「歴史感」に、私は今強く共感しています。私自身も著者が紹介した遠藤周作著『沈黙』(原作を既に映画化した日本映画作品や、今欧米で再映画化の企画を含めて)を、自身の日記で何度も紹介しています。だから、私は、彼の”読書の勧め”にも今強く得心しています。
そして、古代ギリシア・ローマ世界の宗教観が、現在の日本人が抱く神道と同じであるとの認識にも、私は強く同意しています。だから、私は、とても人間らしい古代ギリシア・ローマ世界のほうが、厳しい戒律があった中世ヨーロッパ世界より大好きです。
それは、現在に生きている人間が営むどんな世界にもいえることです。私がかって夢中になったストリップ劇場での、観客の演じている踊り子嬢への応援行動でも、全く同じことがいえます。
私を劇場から排他した独善的応援教義を信奉する某踊り子嬢の応援親衛隊らは、自らが信仰する唯一神のストリップ応援世界では、何人もその侵害を許さない厳しい掟を他の観客に課しています。だから、この歴史に関する名著を、その応援親衛隊らに悔い改める為の助けとして、私は、是非読んで欲しいと今衷心より思っています。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする