天命を知る齢に成りながらその命を果たせなかった男の人生懺悔録

人生のターミナルに近づきながら、己の信念を貫けなかった弱い男が、その生き様を回想し懺悔告白します

貝塚茂樹著『孔子』天命を自ら実現できなけば弟子教育し理想伝え未来に実現図ると孔子は死ぬ74歳まで実践

2012-12-09 18:45:47 | 日記
今日の日記は、今読んでいる貝塚茂樹著『孔子』(岩波新書 青版65)のことです。添付した写真は、その著書の表紙です。
私は昨日の日記で、紹介したコラムに出てきた貝塚茂樹著『論語』(中公文庫)に言及しました。そして、その後、この著名な中国古代史家・貝塚茂樹氏が書いた『孔子』も読みたくなって、今日某書店で購入して、今自宅で読んでいます。
読売新聞社特別編集委員・橋本五郎氏が指摘していた<孔子は、天から与えられた使命である魯の国の昭公を追い出した豪族を打倒すことが適わず、挫折したことも天の配剤であった>を、この著書『孔子』でも検証したくなったからです。
この著書を読んで、この著書にも<孔子がその豪族を打倒すことが適わず、挫折した>事と、<その後の孔子の覚悟>もしっかりと記述されていました。以下に、それに関係する記述の一部を引用・掲載します。
『孔子が、初めて魯國に仕えて中都という町の町長になったのは、恐らく陽虎(私注:古代中国の春秋時代・戦国時代に栄えた小国魯<現:中国山東省南部>の公族である三桓氏の一つに仕えた政治家)が一敗地に塗れて、齊に逃げ出した前501年のことであったろうと推定されている。このときの孔子の年は、五十二歳であった。・・その2年後の前499年には、孔子はついに大司寇という最高裁判官に任ぜられ、なお外交官をも兼任した。・・しかし翌年、歴史には明記されていないが、三桓氏(私注:古代の春秋時代・戦国時代に栄えた魯の第15代君主桓公の子孫である孟孫氏・叔孫氏・季孫氏の3氏)の支持を失った孔子が、政治的に失脚することになった。今まで予定どおり進行してきた三桓氏打倒計画が、最後の場面になって、水泡に帰してしまったのである。孔子の落胆はどんなであったか、想像に余りがある。しかし、孔子はこの失敗で絶望してしまったのではない。彼は前497年、祖国・魯を見捨てて、諸国流浪の旅に出発した。・・彼がこの天の使命を受けて、この世界を改革するために生れたと自負しているにもかかわらず、この世界では、この使命は結局どうしても達成できないことは、もはや明白となった。理性的な孔子は、その客観的な情勢を十分に認識している。この課せられた使命が、自分の生命のあるうちに実現することができないとすると、弟子たちを教育して、弟子たちを通じて後世にこの理想を伝え、そして未来において実現をはかる外はない。・・だから、七十四歳、前479年でこの世を去るまで、彼は弟子たちの教育と、読み習ってきた「詩」「書」などの古典の整理編纂に、全力を傾注したのである。』
この名著『孔子』で貝塚茂樹氏は、橋本五郎氏が指摘している”孔子の挫折”後の並々ならぬ孔子の覚悟、”与えられた天命が実現不可能であれば、自分の後継者を教育して、彼らを通じて後世において実現させる”次善の方策を語っています。
だから、私は、この名著を読んで、孔子の没年齢74歳まで、まだ15年もある私も、その自らの天命を諦めていけないと、今強く得心しました。
さらに、孔子が生きた二千五百年前の74歳は、現在の100歳以上の実年齢だとすれば、まだ私には40年以上も歳月が残されています。”ネバー・ギブアップ”の精神で私も、以後精一杯頑張ります。
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