天命を知る齢に成りながらその命を果たせなかった男の人生懺悔録

人生のターミナルに近づきながら、己の信念を貫けなかった弱い男が、その生き様を回想し懺悔告白します

Iバード著『日本奥地紀行3北海道アイヌの世界』白老入墨無し少女は目鼻立ち血色や優美さで極上美人と絶賛

2012-12-07 21:43:17 | 日記
今日の日記は、今読んでいるイザベラ・バード著『完訳 日本奥地紀行3 北海道・アイヌの世界』(金坂清則訳注 東洋文庫 2012年11月平凡社刊)のことです。
この著書は、19世紀後半に全世界を探検旅行したイギリスの女性旅行家のイザベラ・バード(1831年~1904年)が書いた北海道・蝦夷探検記(1878年・明治11年)の日本語翻訳本です。私は、この著書が日本人ではなく日本を訪れた英国人が書いたアイヌ人の記録である事に、とても興味が沸きました。だから、この著書を某書店で購入して、今自宅で読んでいます。
さらに、この名著は、日本を訪れた一般外国人が、自由に移動できる範囲をその入国した開港場からわずか10里(40キロメートル)に制限されていた明治11年当時の日本国で、旅行家イザベラ・バードが、特別の内地旅行免状を明治政府から取得して、実現できた得難い貴重な旅行記でもあります。
そして、見るもの全てが驚きの連続であった彼女は、明治初期の北海道・胆振地方の蝦夷に多く居たアイヌの人々と、民族の垣根を越えた交流を深め、その曇りない眼差しで彼らの生活を生き生きと描き出しています。以下に、私がとても共感した記述の一部を引用・掲載します。
『私にとって、北海道での大きな関心事は、蝦夷の原住民であるとともに、日本全体の現住民であるかもしれないアイヌ民族が現存していることである。・・彼らの征服者である日本人(和人)との関係は、アメリカ人に対するアメリカ・インディアンの関係と同じである。ただ、彼らは、アメリカ・インディアンよりも、よい処遇をその主人(和人)から受けている。・・1873年(明治6年)に出た人口調査概報によると、その人口は、男6,118人、女6,163人、計12,281人となっている。・・札幌への道(札幌本道)で、数人のアイヌの女性を見かけた西洋の旅人たちが、”とても醜いが、勤勉にして貞節であることは、その醜さを補って余りある”と話すのを、耳にしたことがある。しかし、後者は疑いの余地がないももの、前者については認めたいと、私は思わない。醜く見えるのは入墨(アート:ヌイェ)と汚れのせいである。・・白老で出会ったある少女は、何らかの理由で入墨をしていなかったこともあって、目鼻立ちや血色、生まれつきの優美さのどれもとっても、この上なく美しかった。長い間目にしなかったような美人だった。』
外国人女性であるイザベラ・バードは、内地の日本人から土人と虐げられたアイヌ人でも、入墨をしていないある少女を”この上なく美しかった”と絶賛しています。私自身も、初めて北海道に渡った時、若い女性の中に、目を見張るような美人(函館市内の仕事場で、私が出会った事務の若い女性)がいたことを、今懐かしく思い出しています。
そして、イザベラ・バードが美人の必須条件として指摘したように、私が過去に応援していた北海道出身のある女性ストリッパーが、その自身の手首にイニシャルタトゥーをしていなければ、彼女はもっと美しく輝いていただろうと、今強く得心しています。
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