天命を知る齢に成りながらその命を果たせなかった男の人生懺悔録

人生のターミナルに近づきながら、己の信念を貫けなかった弱い男が、その生き様を回想し懺悔告白します

『パッチギ!的 世界は映画で変えられる』で著者語る映画撮影不許可の朝鮮総連には十年後因果応報が下さる

2013-05-12 17:46:26 | 日記
今日の日記は、今読んでいる李鳳宇著『パッチギ!的 世界は映画で変えられる』(岩波書店・2008年刊)で語られている朝鮮総連の衰退のことです。
最近の10日付けのニュースで、朝鮮総連中央本部の土地、建物を競売で落札した宗教法人「最福寺」の池口恵観氏が、資金が調達できなかった為、取得の断念して、改めてその再入札が行われる、と報道されていました。
このニュース報道に関連して、映画『パッチギ!』(2005年公開 井筒和幸監督 塩谷瞬 沢尻エリカ主演)を製作総指揮した李鳳宇氏が書いたこの著作を思い出して、今自宅で再読しています。添付した写真は、その著書の表紙です。
そして、その朝鮮総連に関連して、この映画の舞台となった李鳳宇氏の母校である京都朝鮮高校の撮影許可を、現在の校長に申請したエピソードを、以下にこの著書から引用・掲載します。
『久しぶりに会った校長に、どんな映画を撮るのかと質問されたので、正直に話の中身を説明すると、校長は苦虫を噛み潰した表情で、「困る」、「許可できない」を連発した。当時の朝鮮高校生(私注:設定された時代は1968年頃)たちが学校でタバコを吸ったり、喧嘩に明け暮れていたという「間違った認識」を植えつける映画には協力できないと却下されてしまった。・・彼は、おそらく事前に送ったシナリオを総連京都本部か総連中央の誰かに見せただろうし、彼自身、朝鮮総連の組織の中ではただの使いでしかなく、一人で英断を下せる人でもなかった。かなり粘った末、僕は寂しく母校を後にした。結局、学校の撮影は滋賀県にある比叡山高校にお願いして、幸いにも許可を得ることができた。・・朝鮮総連の衰退は、即、朝鮮高校の生徒数減少に繋がり、在日社会におけるプレザンスの縮小に直結している。それは本来ダイナミックな発想で民族教育を展開してきた在日朝鮮人や、それを支えてきた人々に、大きな失望を与えている。国家は国家、人は人、ましてや在日の学生たちの将来に、金正日(私注:原文のまま、現在の独裁者の親父)が何をやらかそうとも、本質的には影響を与えることなどあり得ないはずだ。』
この李鳳宇氏が製作総指揮した映画『パッチギ!』は、キネマ旬報ベストワンになった名作と言われていますが、私の評価はあまり高くなく、好きな映画でもありません。しかし、1968年頃の朝鮮高校生の生活ぶりは、私自身はリアルタイムで知っており、その映画での表現の確かさには、敬意を表します。
この著書によると、その「確かな事実」を、その目撃の当事者であった当時英語を教えていた朝鮮高校教師(今は校長)が、「間違った認識」であると、判断しています。このような重大な食い違いの意識は、現在の母国・朝鮮人に脈々と流れていると、私は今強く得心しています。
これは、歴史的事実を冷静に見詰められない北朝鮮(韓国も含めて)の民族特有の国民性なのか?知れません。そして、この朝鮮総連が不許可した映画『パッチギ!』撮影を天台宗系の比叡山高校が救った約十年後、今度は自らの本部建物の賃借権利を、皮肉なことに、今度は高野山系の宗教法人(私注:本山には無申請で許可されず)が救おうとしたが、最後には失敗しています。
この冷徹な事実は、仏教でいう『因果応報』が、この朝鮮総連中央本部に下されたからと、私は今強く確信してします。
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