天命を知る齢に成りながらその命を果たせなかった男の人生懺悔録

人生のターミナルに近づきながら、己の信念を貫けなかった弱い男が、その生き様を回想し懺悔告白します

CCタンシル著『裏口からの参戦』英チェンバレン仏ダラディエ両首相ヒトラー会談で軍部首脳クーデター中止

2018-09-24 15:48:21 | 日記
今日の日記は、自宅で読んでいるチャールズ・カラン・タンシル著『裏口からの参戦 ルーズベルト外交の正体1933-1941【下】』(渡辺惣樹=訳・草思社2018年8月刊)で書かれた1938年のヒトラー排除計画(クーデター)の事です。添付した写真は、その著書の表紙です。
この著書は、アメリカ歴史学者チャールズ・カラン・タンシル(1890~1964)が、1952年にアメリカ国内で出版しました。でも、その彼の真っ当な主張は黙殺され、彼自身は人種差別主義者と個人攻撃されてしまいます。その為、学会での彼の評判は貶められ晩年は全くの不遇の身になってしまいました。でも、彼はルーズベルト大統領を批判(戦勝国史観へのアンチテーゼとして)し続けたとても強い信念の人です。
この書著の中で、1938年のドイツ軍部上層部のヒトラー排除計画(クーデター)が、突然中止になった経緯を語っています。私がとても興味深い思いを持った記述を、以下に一部引用・掲載します。
『1938年、ドイツ国内では、有力者のグループが排除の動きをみせていた。ルートヴィヒ・ベック将軍(参謀総長)、クルト・フォン・ハンマーシュタイン将軍(元参謀総長1930~34年)、エルヴィン・フォン・ヴィッツレーベン将軍、ゲオルク・トマス将軍(ドイツ陸軍経済計画担当)、エドゥアルト・ヴァーグナー将軍(主計総監)、ハンス・オスター少将、クラウス・フォン・スタウフェンベルク大佐ら、そうしたグループだった。・・ベック将軍は、ヒトラーに強硬策をとらないよう願いながら参謀総長を辞任した。後任にはハルダー将軍が就いた。ハルダー将軍もヒトラー排除のグループに属していた。彼はブラウヒッチュ将軍(陸軍最高司令官)が、ヒトラー排除を命じたら、それに従う準備ができていた。ヒトラーは9月14日にベルリンに戻ることになっていた。ヒトラー排除派は、その機を捉えて計画を実行すると決めていた。・・9月28日、ヴィッツレーベン将軍はハルダー将軍(参謀総長)の執務室に入り、ヒトラー政権転覆計画の実行を命じられた。ところが、この時点で、イギリスのチェンバレン首相とフランスのダラディエ首相が、この翌日にミュンヘンに入り、ヒトラーと会談することが伝わった。この報道で政府転覆計画はいったん中止されることになった。結局、ミュンヘン協定が締結され、それがヒトラーの政治的立場を強化した。同時にクーデター計画も無期限に延期された。クーデターが避けられて、ヒトラー排除の機会は失われ、第二次世界大戦が始まることになるのである。』
この記述を読んで、ヒトラーは何と悪運(親独派の英仏首脳・宥和政策推進者に自身の命を助けられる)の強い独裁者だと、私は痛感しました。クーデターの目的はヨーロッパ和平の維持(注:ヒトラーは最初からその気持ちは無かったと私は断言できる)だったからその理念は失われたと、この排除メンバーはその時に判断(ハルダー将軍は、後のニュルンベルグ裁判で証言)したのでした。独裁者ヒトラーの本性を見抜けなったハルダー将軍に、私はとても残念な気持ちを今抱いています。
でも、グループの一員だったクラウス・フォン・スタウフェンベルク大佐は、ヒトラー排除を最後まで諦めずその数年後、暗殺事件(映画『ワルキューレ』でトム・クルーズがその大佐を演じる)を起こしました。しかし、残念ながらヒトラーは負傷しただけで暗殺未遂に終わってしましました。つくずくヒトラーは腐れ運が強烈に強い男です。
このクーデター未遂事件が起きたちょうど80年後、9月18~20日、文在寅韓国大統領が北朝鮮の平壌まで出かかけて行き、独裁者・金正恩委員長と南北首脳会談を実施しました。北朝鮮の軍部に金正恩委員長へのクーデター計画があるとは、私は考え難いです。ですが、この親北派の文在寅韓国大統領の北への礼賛行動は、独裁者金正恩委員長を強く利する馬鹿げた外交だと、私は今痛感しています。
また、石破茂元自民党幹事長は、総裁選の政治公約で『北朝鮮に、連絡員事務所を設置し、交渉を促進する』と主張しています。彼は、独裁国家の北朝鮮の政治体制や金正恩委員長の本質を全く理解していません。彼が総裁選で敗れてほんとうに良かったと私は強く思っています。
ことわざで【歴史は繰り返す】と、巷間よく言われます。だから、文在寅韓国大統領(韓国で出版されているか?不明)と石破茂元自民党幹事長に、この名著:チャールズ・カラン・タンシル著『裏口からの参戦 ルーズベルト外交の正体1933-1941』を、是非熟読してほしいです。自分の国家が第二次世界大戦のイギリスやフランスのようにならないに、私はこれからの外交を注意深く運営して欲しいからです。
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