天命を知る齢に成りながらその命を果たせなかった男の人生懺悔録

人生のターミナルに近づきながら、己の信念を貫けなかった弱い男が、その生き様を回想し懺悔告白します

金慶珠著『嫌韓の論法』嫌韓論は日韓問題でなく日本自身の認識、当事者なので広い心で理解の著者主張は矛盾

2015-05-30 14:22:52 | 日記
今日の日記は、札幌図書館から借り出しを受け、今別宅で通読している金慶珠著『嫌韓の論法』のまったく読む価値のない著者の見解のことです。添付した写真は、その著書の表紙です。
私はこの著者が反日韓国人だと前から知っていましたが、この在日韓国人が日本人の嫌韓思想(私を含めて)をどのように解釈しているのか?興味があり、この著書の予約を入れました。しかし、読み始めて数分で、その書かれている事すべてが生理的に受け止めるのが、私はとても出来なくなりました。そして、その著者の身勝手な論法に、批判をする気にもならなかったし、それを言っても彼女は理解できないと思って、この著書の精査・精読は全くしなかったです。
この著書のプロローグに、この著書の内容全てを、象徴する記述があります。以下に、その私が唖然とした身勝手な論法の記述一部を、引用掲載します。
『嫌韓論とは、日韓の問題である以前に、日本自身の認識のあり方の問題です。その根拠に、嫌韓論は、あくまでもここ日本で「日本人による、日本人のための、日本人どうしのやりとり」によって成り立っている点が挙げられます。・・今そこにはいない相手に対して、まるで「井の中の蛙たちによる欠席裁判」のように繰り返され続けている。・・嫌韓論または韓国人に対する攻撃は、日本社会の現象であり、個人の常識と非常識のレベルで片付けるべき問題ではないというのが私の考えです。・・何卒、当事者だからこそ言いたいこともあるのだろうと、広い心でご理解いただければ幸いです。』
この著者は、日本人の「嫌韓論」は、「韓国人(当事者)抜きの日本人どうしの親韓派と反韓派による欠席裁判」と曲解しています。多くの親韓派は、その反韓派の主張を日本人だからと限定して非難などしていません。あくまでもその主張の善悪による好悪感を持って、お互いに論争しているのです。そこには、韓国人の関与が一切ない『欠席裁判』などでは全くないのです。
事実、この著者自身も、『嫌韓の論法』を”当事者だからこそ、言いたいこともある”と積極的に部外者の関与しているではないですか?この著者は、現在、東海大学教養学部国際学科准教授です。ですが、このような思考的に重大な矛盾を持つ著書を執筆する彼女の学術的力量を、大学側はどうのように正しく判断したのか?全く私には理解できないです。その講座を聴講する価値など全く存在しないと私なら判断します。
民主国家である日本では、言いたい事は自由ですが、その根拠に重大な瑕疵があれば、誰も耳を傾けません。傾けるのは、その矛盾を何とも思わない朝日新聞社を代表とする国賊的人民だけです。私自身は、嫌韓論を、この著者が指摘している『日本国内あり方問題』だけに留めておらず、お互いの国交関係にまで広く拡大言及し、【即刻、国交断絶!】を強く訴えています。そして、私は【井の中の蛙】では決してありません。
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