天命を知る齢に成りながらその命を果たせなかった男の人生懺悔録

人生のターミナルに近づきながら、己の信念を貫けなかった弱い男が、その生き様を回想し懺悔告白します

『図説ディケンズのロンドン案内』熱気溢れ活力満ち猥雑な劇場がディケンズ想像力形成すばらしい創造へ導く

2011-12-24 17:55:00 | 日記
今日の日記は、28日からのイギリス旅行の勉強の為に、今読んでいるマイケル・パターソン著『図説 ディケンズのロンドン案内』(山本史郎監訳 ピーター・アクロイド序文 原書房2010年刊)のことです。添付した写真は、その著書の表紙です。
この著書の中に、私がとても強く共感した記述がありました。以下に、その一部を引用・掲載します。
『19世紀のイギリス首都の広大さと豊かさを考えると、ここにはその膨大な人口に見合うだけの豊かな娯楽があるはずだと言える。そして、事実そうなのであるーいうまでもなく劇場がその筆頭だ。・・劇場は、喧騒と混乱の場所だった。ロンドンの観客は、現代とは違いまったく行儀が悪かった。・・外国人にとってイギリスの劇場でもっとも驚くのは、観客がとんでもなく下品で粗暴なことである。・・宮内長官は、文化的価値のある作品を上演する許可を、三つの大きな劇場にしか与えていなかった。そして、その他の劇場に許されたのは、音楽・ダンス・パントマイムに限られていたのである。その為、法律違反しない為には、他の劇場ではどんな作品でも、何らかの歌かオーケストラの伴奏がつかなけれればならなかった。・・終生芝居を愛したディケンズは、ロンドンの劇場やそので舞台に立つ者たちのことを実によく知っていた。・・20世紀の劇場に比べて、当時の劇場は、はるかに熱気にあふれ、活力にみち、猥雑でもあった。これがディケンズの想像力をかたちづくり、すばらしい創造へと導いたのである。この数十年後、大衆演劇場(ミュージック・ホール)が、がさつで無教養な観客を根こそぎ掠ってゆき、劇場はもっぱら中産階級の為のものとなってしまったのだった。』
今は紳士の国と呼ばれる「イギリス」も、今から1世紀半前には、このような喧騒と混乱の場所である市民の憩いの場(劇場)があったのです。また、筆者のマイケル・パターソンは、その劇場の持つ”熱気にあふれ、活力に満ちた猥雑さ”を強く肯定的に考えて、もっと良い存在価値の”ディケンズの想像力をかたちづくり、すばらしい創造へと導いた”と結論付けています。
私もこの筆者の主張に、今強く同意し深く得心しています。何故なら、私は、自身の持つ”熱気にあふれ、活力に満ちた猥雑さ”故に、某ストリップ劇場の独善的教義を信奉する親衛隊から、理不尽な迫害を受けた”歴史の生き証人”だからです。
そして今、歴史の教訓をまったく生かすことをしない某ストリップ劇場の経営者や関係者に、私はこの著書『図説 ディケンズのロンドン案内』を読んでほしいです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする