天命を知る齢に成りながらその命を果たせなかった男の人生懺悔録

人生のターミナルに近づきながら、己の信念を貫けなかった弱い男が、その生き様を回想し懺悔告白します

『クリスマスの起源』コンスタンティヌス帝は異教価値ある要素をキリスト教に取込み総合しようとXマス祝う

2011-12-11 14:29:24 | 日記
今日の日記は、今読んでいるO・クルマン著『クリスマスの起源』(土岐健治・湯川 郁子訳 2006年・教文館刊)のことです。添付した写真は、その著書の表紙です。
この著書は、現在キリスト教徒以外の全世界の人々にも幅広く普及している風習”クリスマス”の起源を、とても分かりやすく興味深く解説しています。その解説の中に、私がとても共感した記述がありました。以下に、その一部の記述を引用・掲載します。
『ローマにおいて336年12月25日にキリストの降誕祭が行われたことが確認されており、おそらくすでにコンスタンティヌス大帝治下(306~337年)にこの日が降誕祭として祝われていたものと思われる。・・12月25日は非キリスト教世界では太陽神をまつる特別重要な日として祝われており、コンスタンティヌス大帝は意識的に太陽崇拝とキリスト崇拝とを結び付けようとしたのだ、ということである。・・実は、ローマの皇帝たちは、ミトラス教の導入以前に、「不敗(不滅)の太陽」(Sol invictus)をまつる神殿を建てていたのであり、3世紀には12月25日に、新たに昇り始める勝利者なる太陽を称えるために、荘厳華麗な競技が催されており、おそらく太陽が地平線上に昇るのを助けるために、おびただしい焚き火がともされた。・・コンスタンティヌスが、キリスト教徒というよりはむしろ意識的な「シンクレティスト」(宗教混淆主義者)であったことは、今日では定説といってよい。つまり、彼は異教の中の価値ある緒要素をキリスト教の中に取り込むことによって、一つの総合(Synthese)を達成しようと努めたのである。・・異教に対して故意に戦いがしかけられた痕跡は見当らないし、コンスタンティヌスは個人的には、臨終の床における洗礼の時まで、異教を捨てなかったのである。・・彼は一生涯太陽崇拝を奨励し続けた。・・コンスタンティヌスが、太陽はキリストの象徴であるという、すでに存在していた観念を利用して、太陽崇拝をキリスト崇拝と統合しようと考えていたことは、ほぼ間違いない。』
このように、キリスト教を公認したローマ皇帝として有名なコンスタンティヌス大帝も古くからローマに存在した太陽神信仰を捨てなかったのです。私は、著者O.クルマンが指摘した彼は「シンクレティスト」(宗教混淆主義者)説に、今強く賛同しています。
そして、その発生起源が”異教の中の価値ある緒要素を内部に取り込んだローマ皇帝の思惑”であるクリスマスが、現在キリスト教徒以外の全世界の人々にも幅広く普及して、非宗教的な汎風習に転化されたのも、至極当然な歴史的な流れだったのだと、今は強く得心しています。
しかし、このようなコンスタンティヌス大帝のようなより良い柔軟な思考を持てず、硬直化した独善的な教義を信奉する人間が、現在の日本(都内某ストリップ劇場の一部常連客)には存在しています。そして、その親衛隊の首魁は、その教義に適わぬ異端者の私に、理不尽で容赦ない悪行をしかけたのです。彼らには、悲しいことに、歴史の教訓がまったく生きていません。
コメント
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