天命を知る齢に成りながらその命を果たせなかった男の人生懺悔録

人生のターミナルに近づきながら、己の信念を貫けなかった弱い男が、その生き様を回想し懺悔告白します

『ヒトラーの最期ソ連軍女性通訳の回想』検視立会人著者は出来事が歴史から勝手にくり抜かれるに我慢できず

2011-12-04 15:21:06 | 日記
今日の日記は、今読んでいるエレーナ・ルジェフスカヤ著『ヒトラーの最期 ソ連軍女性通訳の回想』(松本幸重訳・2011年白水社刊)のことです。添付した写真は、その著書の表紙です。
この著書を読んで、ヒトラーの最後の検視結果の顛末に、とても興味深い思いをしました。以下にその著書から、その衝撃的な出来事の一部記述を、引用・掲載します。
『1936年にはここブーフで、ベルリンの大地区パンコウの全住民を対象とする「遺伝学的・生物学的適格」カルテが制定された。一人の人間の運命、キャリア、結婚の権利、地上に生きる権利ー一切は、このカルテに書かれていることにかかっていた。そして今、ほかでもないここへ、ヒトラーが法医学鑑定のために運ばれることになったのである。・・この1945年5月8日、ベルリン・ブーフでの法医学鑑定にヒトラーはどのような姿で立ち現れたのか。これについては鑑定書に述べられている。<長さ163センチ、幅55センチ、高さ53センチの木箱で運ばれてきたのは、男子の焼け焦げた死体の残存物である。死体の上から端の焼け焦げた、メリアスのシャツに似た25X8センチの寸法の黄色がかったメリアス生地断片が発見された。死体が焼け焦げていたため、年齢の判断は困難だが、推定年齢は約50~60歳、身長165センチ(組織が炭化しているため、測定は正確ではなく)死体は相当程度炭化しており、焦げた肉の匂いがする。火で著しく変化した体には重大な致命的損傷、もしくは疾病のはっきりした兆候は認められなかった。口中に、肉薄のアンプルの側壁及び底の一部を構成するガラスの破片が発見された。>詳細な調査のあと、委員会は次の結論に達したー<死は青酸化合物中毒によるものである。死体の口中で発見されたアンプルの破片を入れた試験管を、鑑定書に添付する。>・・西側の研究者、ジャーナリスト、回顧録筆者たちはしばしば、ヒトラーは銃で自殺したと主張している。・・彼の最後の状況を何とか美しくしたいという欲求から、そう主張しているのだ。・・1945年5月23日、アバクーモフ諜報総局長は、私にこう言った。「同士スタリーンは、本件の全経緯とヒトラー発見に関する資料に目を通された。そして彼からのご質問はない。・・彼はこう言われた。”これは公表しない。資本主義の包囲は残っている”と、今君に話したことは、すべて忘れろ」・・歴史は、その動機がいかなるものであれ、あれこれの出来事が歴史から勝手にくり抜かれるのに我慢できない。・・これは、政治的、倫理的な損失は巨大である。』
この著者エレーナ・ルジェフスカヤは、1919年ベラルーシ生まれのモスクワ育ちのユダヤ人です。そして、彼女は、第二次世界大戦ソ連軍諜報部のドイツ語通訳として従軍したベルリン陥落での歴史的出来事の体験者です。さらに、ヒトラー自殺の検視鑑定に立ち会った重要な歴史の生き証人です。
だから、彼女が語ったその肉声はとても重みがあります。そして、ソビエト連邦が崩壊し21世紀になった現在、66年前のその歴史的事実が、ようやく日本でも広く公表されたのです。この著書(私注:長編ページにわたり、一般読者も関心?があるか不明で、定価も4,200円と高額)を出版した白水社の熱意に、私は大いに敬意を払います。
そして、私は、今著者が語った”出来事が歴史から勝手にくり抜かれるのに我慢できない”に強く共感しています。だから、私事ではありますが、私が独善的な教義を信奉する親衛隊から受けた迫害を、勝手に黙殺されるような出来事に、私はとても我慢できません。私の生ある限り、エレーナ・ルジェフスカヤ女史のように、この私が真実を吐露できる日記で、これからも長く語り続ける所存です。
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