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田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

北大スラブ研公開講座№1 カザフ文学とイスラーム世界

2019-05-15 20:25:11 | 大学公開講座

 近現代(19世紀)まで文字を持たなかったカザフスタンにおいては口承文芸によって語り継がれてきたという。文字を持つに至ってからは、作家の作品が人々への影響力をもつことから、体制との距離感に配慮せざるを得なかったようだ…。 

 今年度もまた「北大スラブ・ユーラシア研究センター」の公開講座が始まった。(今年度で34年目だという)私は北大が行っている公開講座の中でも、このスラブ研の講座を最も興味深く毎年受講している。ところが今年度のテーマが「文学」、それも「古典」を対象としたものだと知った。「文学」+「古典」ときたら、私にとっても最も関心外のことであり、苦手とする分野である。どうしようかとずいぶん迷ったのだが、結局怖いもの見たさも手伝い受講することにした。

 今年度の正式テーマは「再読・再発見:スラブ・ユーラシア地域の古典文学と現代」という、私にとってはなんとも近寄り難いものであった。

 講座は5月10日(金)から始まっていたが、講座の理解力に自信がなくレポを書く気になれないでいた。しかし、いくら稚拙であろうとも受けた講座をレポすることは私のポリシーの一つでもある。思い直して、たとえ稚拙であろうとも、誤解があろうとも、自らのポリシーを貫くことを選択した。ということで第1回講座をレポしたい。 

 5月10日(金)夜、「カザフ文学とイスラーム世界:近代遊牧社会にとっての古典とは何か」と題して、北大スラブ・ユーラシア研究センターの宇山智彦教授が講義した。

 宇山氏は氏の研究対象であるカザフスタンの文学事情について論じた。カザフ地域はもともと遊牧民の地であり、使用された言葉はテュルク語だったという。文字をもたない遊牧民たちは、そのテュルク語を用いた口承文芸を発達させたそうだ。その口承文芸の中で語られる内容は、超自然的な力を持つ英雄の苦難や友愛と裏切りのドラマなどの「英雄叙事詩」が主であったという。そこにはカザフ地域の南に位置するペルシア(現在のイランを中心とした地域)語文化、あるいはその背景にあるイスラーム文化の影響が大きかったという。

             

         ※ 口承文芸は写真のような民族楽器を弾きながら語られたそうである。

 19世紀に入り文字を獲得したカザフではテュルク語による出版活動が活発化したという。その後、カザフ語が生まれたことによってカザフ語による出版物が次々と発行されるようになった。出版文化の隆盛はやがて宗教的な訓戒も含みつつ、社会改革や民族意識の覚醒を促すような内容のものも出版されるようになった。しかし、そのころの中央アジアはロシア帝政が支配するところとなり、ロシア帝政はイスラームの影響力の拡大を抑えようと画策を始めた時期でもあった。ところが、文字を獲得し、民族意識に目覚めたカザフ人たちはロシア帝政の思惑をよそに宗教を重んじようとする社会運動として一大潮流となっていった。

 そうした中に現れたのがカザフ文学史上最大の詩人と称されるアバイ・クナンバエフという詩人だった。講座ではこのクナンバエフがどのような作品を世に送り出し、人々にどのような影響を与えたのかについて詳しい説明があったが、その点は省略する。

                  

            ※ カザフの偉大な詩人アバイ・クナンバエフ(1845~1904)です。

 ここからは私の勝手な思い込みを中心にしながら論ずることにする。ともかくカザフ人に大きな影響を与える存在となったクナンバエフだったが、彼は自らの影響力の大きさを自覚していたのだろう。非常に注意深く作品を提示していったようだ。時代はロシア帝政が終わりソ連時代となっていたが、当局は彼を宗教を批判的に考えた人物として考えられていたという。しかし、カザフ人のとらえ方はそうではなく、彼の作品から深い信仰心を読み取っていたそうだ。

 クナンバエフはその後に続く人たちにも大きな影響を与え、20世紀初めにはカザフの知識人にとって模範となる古典的な地位を確立したという。つまりクナンバエフはカザフ人の精神的な支柱となったということであろう。 

 さて、カザフスタンというと旧ソ連から独立以来、初代大統領のナザルバエフが30年の長期にわたって権力を握り続けてきた国家である。(今年3月に後継トカエフにその座を譲ったが)その間、強大な権力により国民の自由な表現活動に制限を加えてきたことは想像に難くない。今そのナザルバエフの縛りから解かれたカザフ国民が今後どのようにカザフ文学を創造してゆくのか、その行方が注目される。

(後段の論説については、かなりの独断と偏見が混じっていることをお断りしておきたい)