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私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

八重山諸島の旅を振り返る ~ 人との出会い

2015-02-27 19:42:09 | 道外の旅

 旅は日常生活をしている土地を離れ、訪れた土地の文化や景色を見たり触れたりすることだというが、そこに住む土地の人たちと話をすることで、旅がより豊かになることを改めて感ずることができた旅だった…。 

 前回の旅(昨年春の「奄美群島を往く旅」)では、旅する前から「人との出会い」を旅の一つのテーマとして旅立ち、多くの人に絶極的に話しかけることによって旅がより豊かになったと感じていた。
 ところが今回は特にそうしたことは意識しないまま旅立った。

 それでも私の中に昨年の経験が生きていたように思われる。けっして積極的ではなかったが、可能なかぎり話しかけるように努めた。そうしてお話できた人たちを振り返ったみたい。

          
          ※ 小浜島の細崎に向かうとき、電線の多さが気になって収穫作業のお茶休みだった若者に話しかけた。

 最初は小浜島でサトウキビの収穫作業をしていた若者たちだった。
 若者たちは島の若者ではなかった。話しかけても島のことをあまり知らないようだったので不思議に思い尋ねたところ、サトウキビの収穫作業を応援するために本州などから駆け付けた若者だったようだ。
 お茶休みをしているところだったが、サトウキビの茎を器用に削って齧らせてくれた。なるほど甘い汁が口の中に広がった。

          
          ※ 若者はこうしてサトウキビの茎を削って、味わってくださいと私に手渡した。

 続いて、やはり道路沿いでサトウキビの収穫作業をしていた夫婦がいたので話しかけてみた。サトウキビの茎を一本一本丁寧に整えている。整えるとは、トウキビにもある細い葉のような部分を取り除いて茎だけにし、茎の長さを揃えていた。大変な手作業である。
 昨年の旅の際、徳之島で機械によるサトウキビの収穫作業を見た経験があったので「機械は使わないのか?」と問うてみた。
 すると、「機械を使って収穫するのは白糖の方で、黒糖の場合は余分なものが混じらないようにいまだ手作業が中心なのだ」ということだった。そのための道具が写真のような「脱葉鎌」(何と呼ぶのだろう?)という特殊な道具を使うそうだ。

          
          ※ ご夫婦二人でサトウキビの収穫作業を行う方に話を聞きました。

           
          ※ 収穫作業の際に使用する「脱葉鎌」という農具です。

 そこからまた少し行くと、収穫作業を終えたキビ畑に、サトウキビの茎(種)を植え付けている人に出会った。これもまた機械ではなく、手作業で行われていた。サトウキビはこの時期植えたものは、来年の春に収穫することになるそうだ。(夏に植えたものは再来年の春に収穫する)

          
          ※ 収穫作業を終えた畑では、直ぐに次の種となるサトウキビの苗を植え付けていました。

      
          
          ※ 手前は来春収穫するキビ、向こうは今春収穫するキビです。

 いずれも仕事中だったので長居はできず、僅かな時間の会話だった。

 翌日、黒島での出会いについては一部旅の途中でもレポートしたが、一人は黒島のビジターセンターの管理人を務める通称「てっちゃんオジー」との出会いだった。
 てっちゃんオジーは黒島に住む先祖たちがいかに優秀な舟づくりの民だったかを滔々と語った。ビジターセンターの横には、当時の舟を再現したものが島の祭りのために収納されていた。
 そのてっちゃんオジーだが、私が思いついた先島諸島の人たちは、どこの島でも島の中央部に居住しているのは津波被害を避けるための先人たちの知恵ではないのか、という問いに必ずしも同意しなかった。
 彼は「黒島では海岸部にも集落はある」と言う。しかし、私はさらに食い下がった。すると、彼の思いを汲み取ることができた。八重山諸島では過去に明和地震による30m級の津波被害に襲われたそうだ。30m級だと黒島は全島が波の下に沈んだそうだ。何せ黒島では最高地点で海抜9mしかないのだから無理もない。
 てっちゃんオジーが素直に私の考えに同意できなかったもの頷ける。しかし、先島諸島のほとんどを巡った私の思いは確信に近い。

          
          ※ 黒島の港に着くと、黒島の最大の祭り「牛まつり」の開催をPRしていました。訪れた日の6日後の開催です。

 同じ黒島を巡っているときだった。煙草を片手に牧場を眺めつづけている初老の男性がいた。
 私は躊躇なく自転車を降り、彼に話しかけた。「ご自分のところの牛を見ているのですか?」と…。彼は「そうだ」と答えた後、黒島での肉牛農家の経営のあれこれを饒舌に私に語ってくれた。話は20分以上続いた。それを詳細に綴っていくと膨大なものになる。肉牛農家の苦悩、後継者問題、TPP、etc.…。
 一人で長い時間その場に居続けたこともあったのだろう。久しぶりに話し相手を得たかのように、見ず知らずの旅人に対してあれこれを語ってくれたことが、私には何より嬉しかった。旅する醍醐味を感じながら彼の話に耳を傾け続けた。

          
          ※ 放牧されて飼育されている肉牛です。今では少数派とのことです。

 ただ通過してしまうだけではけっして得られなかった得難い経験をさせてもらった思いだった。これこそが私が求める旅の形だった。
 しかしこの後、西表島を訪れた私は一日目はバス、二日目はレンタカーだったこともあって、島の人たちと触れ合うことができなかったのは残念なことだった。

          
          ※ 何だか北海道の牧場風景に似ていませんか?黒島ではこうした風景が広がっていました。

 最後にちょっとしたエピソードのようなことを一つ…。
 西表島でのバスの移動は運転手兼ガイド兼ツアー担当者というように一人何役もこなす方だった。
 私がバスの乗客の中で唯一カヌーをする客だったため、私と彼は二言、三言話を交わす機会があった。すると彼は「お客さんは北海道の方でしょう?」というのだ。これには正直いって驚いた。「えーっ!なぜ?」と問うと、語尾が北海道の人らしいというのだ。
私 は別に「だべさー」とか、「だべぇー」などという言葉はけっして発していなかった。それなのに見抜かれた(聞き抜かれた?)のだ。よく聞くと、彼は北海道の長万部出身だということだった。
 同郷の人に会い、彼の中に故郷への懐かしさがこみ上げてきたのだろうか。面白い体験だった…。