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田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

下を向くことはないぞ!コンサドーレ

2008-04-02 23:48:22 | スポーツ & スポーツ観戦
 どうしても今日のうちに書いておきたくて、再びPCに向かっています。

 今日は私にとって、コンサドーレの初戦でした。
 対川崎フロンターレ戦・・・。
 結果は、0対2ですから点数だけ見ると完敗です。
 しかし、私は悲観していません。
 明日になると、メディアや専門家らしき人たちの戦評が目に入りますから、その前に素人の戦評を述べておこうと思いました。

 確かに結果を見ればガッカリです。
 しかし、観戦していた私はそれほど落胆してはいません。
 私の目にはコンサ戦士たちは昨年よりグレードアップして立派にJ1仕様になっていたと見えたからです。
 東アジアカップでも北朝鮮代表として活躍した鄭に見事に裏を取られて二発決められたのはいただけません。守備陣は猛反省しなくてはいけません。

 ただ試合そのものは、私の目からは互角以上に戦っていたように映りました。
 「決め手に欠けた」というところでしょうか・・・。
 そこがJ1の厳しさでもあるのですが・・・。

 まだまだ随所にヘタッピーなところを見せてくれますが、昨年よりはずっと見られると思いました。
 士気さえ下がらなかったら、J1で十分戦っていけると私は見ました。
 知将三浦監督の手腕に期待したいと思います。

 今日は私と同じように、スーツにネクタイ姿でドームに駆けつけた人が目立ちました。
 きっと、彼らの中にも私と同じ感想を抱いた人が多いと信じています。
 
 下を向くことはない!赤黒の戦士たちよ!

田舎おじさん in 沖縄 12 読谷村

2008-04-02 22:49:20 | 道外の旅

 読谷村(よみたんそん)は、村とはいえ人口は37,500人余りを数え、人口密度も1,070人と地方都市並みの人口密度です。

 読谷村で閉口したのは役場の所在地です。
 車載ナビでも曖昧にしか提示してくれないために、何度も迷った末にようやく到達することができました。
 それというのも、役場庁舎の建設地についても村民のこだわりがあったと想像されるのです。(そのこだわりについては、本欄で後述します)
 役場は旧読谷村飛行場跡地に立派な庁舎が建設されていました。そこへ至る道路が狭く、複雑な道路だったのです。
       
     ※ 読谷村役場庁舎の正面です。碑はこの写真の左手にありました。

 読谷村では、海岸近くに作られた体験王国「むら咲むら」を訪れました。
 何も知らずに訪れたのですが、当初はNHKの大河ドラマ「琉球の風」のスタジオパークだったそうです。そこを衣替えして沖縄の民芸、風俗を体験できる施設としたようです。
 スタジオパークらしく園内は琉球王国が栄えた頃の街を再現させたものでした。
 この体験王国で工房を開き販売していた【花織ミンサーのコースター】を読谷村のsimethingとしました。


現代のお城?市町村庁舎
 沖縄では立派な庁舎をもっている市町村が多いこと、琉球王朝時代の城(グスク)跡が多いことから、「沖縄の人たちは、市町村の庁舎を現代のお城に見立てているのではないだろうか」という仮説を私は立ててみました。
 その仮説のもう一つの根拠が、読谷村の立派な役場庁舎を訪れて見つけた一つの宣言文でした。

 読谷村役場は、平成9年にアメリカ軍が空軍基地として使用していた読谷村飛行場の一部を転用して建てられたようです。(現在は全て返還されています)
 その役場庁舎の前に役場名が記された碑が建っています。その碑の裏面に建設当時の村長が新庁舎にかけた思いを宣言の形で残しているのが目に入りました。

 帰ってきてから、その宣言文に再び接したいと思い、読谷村役場にお願いして宣言文を送付してもらいました。ここにみなさんにも紹介したいと思います。

     三代目 読谷村役場

  嗚呼!遂に村民の夢は実現した
  読谷村の自治の殿堂として
  米軍基地・読谷飛行場の真中に
  誇らしく自信をもって建っている
  おまえは三代目読谷村役場なのだ
  由緒ある座気味城の腰当(くさて)に、風水(ふんし)よく
  鳳凰(ほうおう)の鳥として建っているのだ
  アメリカ軍にも大和政府にも
  読谷村の主人公は読谷村民だ、と
  読谷村の自治・文献・参加
  民主主義・平和の殿堂として
  村民と共に輝き
  未来に向かって雄雄しくはばたけ

                 1997年4月1日
                 読谷村長 山内 徳信

 この宣言文に接し、村の人たちの屈折した思いと、それを乗り越え堂々とした他に誇ることのできる庁舎を建設することができたという高揚した気持ちを読み取ることができるのです。
 それは単に私の仮説の傍証などというより、庁舎が自分たちの拠り所であり、象徴であるという思いが伝わってきます。
 そのことを裏返すと、それはやはり読谷村の人たちにとっては「現代のお城」なのではないのかと・・・。