人気小説家の原田マハさんの単行本「たゆたえども沈まず」を読み終えました。
この単行本は2017年10月25日とだいぶ前に、幻冬舎が発行したものです。価格は1600円+消費税です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/35/88/39d15500db1d3d65c1d09dca31ca29e0.jpg)
この単行本の表紙は、画家フィンセント・ファン・ゴッホが描いた星月夜の絵です。現在は米国ニューヨーク市の近代美術館が所有する絵です。
この単行本は、パリ市内に住む、まったく売れない画家だったフィンセント・ファン・ゴッホの生き様を描いています。
この単行本の進行役は、1886年1月からフランスのパリ市に住み始めた日本人青年の加納重吉(かのうゆうきち)です。
この加納を、3年先輩の林忠正(はやしただまさ)が、パリ市で営む日本絵画を売る画廊で鍛えます。
加納は、パリ市内で正統派の絵画などを売る名門の画廊に勤務するフィンセント・ファン・ゴッホの弟のテオと知り合い、仲良くなります。
そのテオは、日本の浮世絵が気に入り、浮世絵師の英泉の傑作「雲龍打掛の花魁」を譲ってもらいます。この当時、兄のフィンセントは画材を買うお金にも苦労しながら、テオの稼ぎで何とか生活し、絵を描いていました。
兄のフィンセントは、弟のテオが入手した傑作「雲龍打掛の花魁」を見て、日本にあこがれます。
そして、兄のフィンセントも林忠正と加納重吉と知り合い、林に「あこがれの日本に行きたい」と訴えます。
すると、林忠正はフィンセントに「あなたの日本は田舎のアルルだ」と伝えます。
この示唆によって、兄のフィンセントはアルルに移って絵を描き続けます。この時に、友人としてポール・ゴーギャンにアルルに行って、フィンセントと一緒に絵を描くように指示します。
この結果、ポール・ゴーギャンもアルルに行って、絵を描き始めます。
ある日、フィンセントが描いたポール・ゴーギャンを示唆するイスの絵を見て、林忠正はフィンセントとポール・ゴーギャンが不仲になっていることを悟ります。
その内に、フィンセントは自分の耳を切り落とすという事件を起こします。
実はこの時には、フィンセントはアルルでは、後に傑作といわれる作品を描き続けていました。ところが、こうした事件を起こしたフィンセントは精神病院(たぶん)での転地治療に入り、病院をいくつか移ります。
その内に、フィンセントは自殺未遂事件を起こし、サン・レミの修道院の治療所に転院し、ここで傑作の絵を描き続けます(後日の判断ですが)。
フィンセントはパリで2年住んだ後は、アルルで1年、サン・レミ1年、オーヴォルで1年と田舎を移り住みます。そして、フィンセントはある日、拳銃で自分の胸を撃ち、自殺します。理由は不明です。享年37歳です。
さらに、しばらくして弟のテオも病死します。享年33歳です。
弟のテオの妻は、息子にフィンセントという名前を付けます。さらに、フィンセントの描いた絵は傑作と信じて、保存し管理します。この結果、後日、後世の人々はフィンセント・ファン・ゴッホの傑作を鑑賞することができます。
この単行本は、フィンセント・ファン・ゴッホが日本の浮世絵に刺激を受け、日本にあこがれ、そのフィンセントにとっての“日本”はアルルなどの田舎だと、日本人の林忠正が示唆し、フィンセントは田舎で傑作を描いたという話になっています。
この単行本の読ませる仕組みは、とても面白い趣向です。やや話が長く感じますが、いい中身の小説に仕上がっています。
単行本「たゆたえども沈まず」を読み始めた話は、弊ブログの2019年3月18日編をご覧ください。
この単行本は2017年10月25日とだいぶ前に、幻冬舎が発行したものです。価格は1600円+消費税です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/35/88/39d15500db1d3d65c1d09dca31ca29e0.jpg)
この単行本の表紙は、画家フィンセント・ファン・ゴッホが描いた星月夜の絵です。現在は米国ニューヨーク市の近代美術館が所有する絵です。
この単行本は、パリ市内に住む、まったく売れない画家だったフィンセント・ファン・ゴッホの生き様を描いています。
この単行本の進行役は、1886年1月からフランスのパリ市に住み始めた日本人青年の加納重吉(かのうゆうきち)です。
この加納を、3年先輩の林忠正(はやしただまさ)が、パリ市で営む日本絵画を売る画廊で鍛えます。
加納は、パリ市内で正統派の絵画などを売る名門の画廊に勤務するフィンセント・ファン・ゴッホの弟のテオと知り合い、仲良くなります。
そのテオは、日本の浮世絵が気に入り、浮世絵師の英泉の傑作「雲龍打掛の花魁」を譲ってもらいます。この当時、兄のフィンセントは画材を買うお金にも苦労しながら、テオの稼ぎで何とか生活し、絵を描いていました。
兄のフィンセントは、弟のテオが入手した傑作「雲龍打掛の花魁」を見て、日本にあこがれます。
そして、兄のフィンセントも林忠正と加納重吉と知り合い、林に「あこがれの日本に行きたい」と訴えます。
すると、林忠正はフィンセントに「あなたの日本は田舎のアルルだ」と伝えます。
この示唆によって、兄のフィンセントはアルルに移って絵を描き続けます。この時に、友人としてポール・ゴーギャンにアルルに行って、フィンセントと一緒に絵を描くように指示します。
この結果、ポール・ゴーギャンもアルルに行って、絵を描き始めます。
ある日、フィンセントが描いたポール・ゴーギャンを示唆するイスの絵を見て、林忠正はフィンセントとポール・ゴーギャンが不仲になっていることを悟ります。
その内に、フィンセントは自分の耳を切り落とすという事件を起こします。
実はこの時には、フィンセントはアルルでは、後に傑作といわれる作品を描き続けていました。ところが、こうした事件を起こしたフィンセントは精神病院(たぶん)での転地治療に入り、病院をいくつか移ります。
その内に、フィンセントは自殺未遂事件を起こし、サン・レミの修道院の治療所に転院し、ここで傑作の絵を描き続けます(後日の判断ですが)。
フィンセントはパリで2年住んだ後は、アルルで1年、サン・レミ1年、オーヴォルで1年と田舎を移り住みます。そして、フィンセントはある日、拳銃で自分の胸を撃ち、自殺します。理由は不明です。享年37歳です。
さらに、しばらくして弟のテオも病死します。享年33歳です。
弟のテオの妻は、息子にフィンセントという名前を付けます。さらに、フィンセントの描いた絵は傑作と信じて、保存し管理します。この結果、後日、後世の人々はフィンセント・ファン・ゴッホの傑作を鑑賞することができます。
この単行本は、フィンセント・ファン・ゴッホが日本の浮世絵に刺激を受け、日本にあこがれ、そのフィンセントにとっての“日本”はアルルなどの田舎だと、日本人の林忠正が示唆し、フィンセントは田舎で傑作を描いたという話になっています。
この単行本の読ませる仕組みは、とても面白い趣向です。やや話が長く感じますが、いい中身の小説に仕上がっています。
単行本「たゆたえども沈まず」を読み始めた話は、弊ブログの2019年3月18日編をご覧ください。