ヒトリシズカのつぶやき特論

起業家などの変革を目指す方々がどう汗をかいているかを時々リポートし、季節の移ろいも時々リポートします

日本経済新聞紙「私の履歴書」に掲載中の元首相森嘉朗さんの文章を読みました

2012年12月16日 | 日記
 12月16日日曜日が投票日になった第46回衆議院総選挙の投票に行って来ました。

 近所の投票所は少し待たされるぐらい、多くの有権者が投票に来ていました。見た目には、来場した方は比較的年杯の人が多く、20歳代の若者は見かけませんでした。たまたまかもしれませんが。



 日本経済新聞紙の朝刊最終面に連載されているコラム「私の履歴書」の2012年12月分の筆者は元首相の森嘉朗さんです。今回の衆議院総選挙のタイミングを考えて、執筆を依頼したと想像しますが、執筆依頼はかなり前なので、ある程度、総選挙の時期を予想して依頼したものと思います。

 森さんの12月11日版には、昭和44年(1969年)12月7日に公示された第32回衆議院選挙に、石川県第一区で無所属で立候補し、トップ当選した経緯が書かれています。公示日前の11月末に、自由民主党の公認をとれなかった森さんの応援に、元首相の岸信介さんが来たことが選挙態勢を勢いづけたと書かれています(当時は、中選挙区制度なので、同じ政党から複数の候補者が立候補でき、上位が当選しました)。

 森さんの12月12日版には、初当選が決まった翌日の昭和44年12月29日午前に上京し、当時の自由民主党の幹事長だった田中角栄さんから「追加公認料と貸し付け金として、合計500万円を受け取った」と書かれています。選挙費用を使った後だけに、この資金は穴埋めに使ったそうです。ただし、選挙の後始末には「とても足りなかった」そうです。この話は約40年前の話なので、現時点とどこまで一致するかは不明です。

 今回の衆議院総選挙に立候補するには、供託金として小選挙区向けには300万円、比例区向けには600万円を出すことが必要条件です(一定数の投票数を獲得すると、この供託金は戻ってきます)。確か、日本維新の会の公認候補者になるには、この供託金を自前で準備できることが条件の一つだったと記憶しています。

 衆議院総選挙の立候補者は、選挙活動として、選挙事務所や選挙カーなどを用意し、協力者に加えて、アルバイトの選挙スタップを雇って運営する費用をまかなう必要があります。支援者からのカンパなどによっていくらかは、補てんできるかもしれませんが、ある程度は自分でまかなうことになるようです。

 今回の衆議院総選挙の立候補者は全国で1504人が立候補しています。今日午後8時以降の開票活動と同時に、選挙費用の決算も始まります。当選の合否と同時に、選挙の後始末も始まります。立候補することは、かなりの決断が必要だと改めて思いました。当選者の方々には是非、いい仕事をしていただきたいと思います。