まりっぺのお気楽読書

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ハンガリー王ベーラ2世妃 イローナ

2010-08-14 19:48:07 | ハンガリー王妃
夫の仇を大量虐殺?
ベーラ2世妃 イローナ


1109~1146/在位 1131~1141

ベーラ2世は父親のアールモシュがカールマーンに対して王位を主張し続けたために
父親とともに目をつぶされてしまいました。

しかし、カールマーンに嫡子が誕生しなかったことから継承者に指名され
宮廷で教育されてカールマーンの死後王に即位しました。

ラスカ公ウロス2世の公女イローナと結婚したのは即位前の1129年です。

      

イローナは盲目のベーラ2世を助け…というか王に代わって
政治力をもたらしました。

イリーナは王子ふたりを含む味方を説得し
夫が盲目にされた時に助けなかった68人の貴族をアラドに集め虐殺しようとしました。
虐殺しちゃったという説もあります。

1141年にベーラ2世が亡くなると幼い息子ゲーザ2世に代わり
王が青年に達するまでハンガリーを統治しました。



末っ子びいきが争いを招く
ゲーザ2世妃 エウフロジーナ


1130~1193/在位 1146~1162

そんなイローナの息子ゲーザ2世は青年に達するとすぐに
キエフ大公ムスチスラフ1世の公女エウフロジーナと結婚しました。
エウフロジーナは16歳でした。

        

1162年、ゲーザ2世が亡くなります。

それまで国政には口をはさまなかったエウフロジーナでしたが
長男イシュトヴァーン3世が即位すると影響力を持つようになります。

ゲーザ2世に対抗し、叔父のラースローやイシュトヴァーンが対立王になって
王位を争っていましたが、エウフロジーナは息子のために先頭に立って戦いました。

エウフロジーナは、三男ゲーザがお気に入りだったみたいです。

イシュトヴァーン3世が嫡子無しで亡くなると、次男ベーラ(3世)を差し置いて
ゲーザを王位に就けようと考えました。

人質としてビザンツ皇帝マヌエル1世の宮廷で暮らしていたベーラは
ハンガリーに帰国すると即位し、ゲーザを逮捕しました。

しかしエウフロジーナは愛する三男ゲーザを密かに逃がします。
でもまた逮捕されちゃったけど…

なんとかゲーザを釈放させようとベーラ3世を説得したエウフロジーナでしたが
失敗におわり、逆に捕らえられてしまいました。

コンスタンティノープルへ行かされたエウフロジーナは
イェルサレムを訪れて修道女になり、慈善病院で亡くなりました。

それでなくても男同士がプライド(虚栄心?)をかけて王位を争っている時に
さらにかきまぜなくてもいいものを…
それとも、王位の争いって、女性が男性を煽っていたのかしらね?

(参考文献 Wikipedia英語版)

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